第19話

「問題なのが、これが落ちていた場所だ」

マヨ先輩が面倒くさそうに言った。

「どこに落ちてたんですか?」

と、群くんが言った。

「屋上だ」

と、戸次先輩が言った。


マヨ先輩があとを引き継いで言った。

「お前たちにも話しただろ。ダンス部が部停になったのは――酒とたばこが原因だったって」

戸次先輩は表情を無くしているように見えた。

そんな先輩たちを見るのは初めてだ。時生は疑問に思ったことを口にした。


「つまり、部員が問題を起こしたから――部活ができなくなったってことですか」

「そうだ」

マヨ先輩が苦々しげに言った。


「舞踊場に移動していなかったら、もうだめだったかもしれない。一度ならず二度までも、ダンス部が問題を起こしたとなれば今度こそ廃部は免れない」

「でも、こんなのオレたちじゃあ……」

「分かってる。だけど、李下に冠を正さずって言うだろ」

「リカ……?」

時生が群くんに小声で尋ねると、

「疑わしいことをしたら、自業自得ってこと」

と、解説をしてくれた。群くんは辞書よりも話の早い貴重な友人だ。


戸次先輩が言った。

「ただの偶然なのか。だったらまだいいが……」

「ああ。もし、誰かが悪意をもっているとなると問題だ」

と、猪原先輩が言った。


誰かの悪意――。


ダンス部を廃部にしようとする誰か。

時生はその存在を想像してぞっとした。

本当にそんな人間がいるのだろうか。いたとしたら、その目的はいったい何なのか?


戸次先輩が言った。

「とにかく、今回の件は少し気になったからみんなにも集まってもらった。生方先生が話してくれて、おれたちダンス部とコレは関係ないと先生方には理解してもらえたけれど……他にも気になることがあったら、おれでもマヨでもいい。すぐに話して欲しい」


一度言葉を切った戸次先輩は、少し考えてまた口を開いた。

「おれは、部停になる前のダンス部も全てが嫌いなわけじゃなかった。だけど、後になって思うとこうすればよかったって、悔いているところもある。いや、正直言って、今までずっと後悔ばっかりだったかもしれない」


戸次先輩はぽつりぽつり、言葉を考えるようにして話続けた。

「でも、みんながこうして集まってくれて、新しい部活になって、活動できているのがとても嬉しいんだ。それを大切にしたいんだ。もう――壊したくない」


マヨ先輩が戸次先輩の肩を叩いた。

「まぁた、すぐ熱くなるんだかなあ。一年がびびっちゃうぜ」

「いや、そんな……そんなことないです。戸次先輩の言いたいこと、おれ、なんとなく分かります」


群くんも時生の隣で、うんうんと頷いた。

うまくは言えなかったけれど、戸次先輩の気持ちは痛いほど分かった。誰よりもダンスが好きで、だからこそ傷ついて、後悔して、それでもあきらめられなかった。マヨ先輩だって、戸次先輩がそういう人だったから部活ができなくなっても屋上で踊り続けていたのだろう。

あぐらをくんでそれまで黙って座っていた猪原先輩が言った。


「ま、用心にこしたことはないってことだな。監視カメラでもつけるか?」

「冗談じゃなくて、猪原先輩なら自宅に一個くらい持ってそうだよね……」

時生の横で群くんがぼそっと呟いた。

「ん? 何か言ったか?」

「いえ、何でもないです!」

感情のよめない柔和な顔つきの猪原先輩に群くんが元気の良い返事をした。

そのとき、舞踊場の窓をドンドンと叩く音がした。

「ん? セミか?」

と、マヨ先輩が窓を開けると、そこから何かがにゅっと入り込んできた。

肌色の……人間の手だ!

「うわあああっ」

時生たちは悲鳴をあげてその場を飛び退いた。


微動だにしなかったのは生方先生だけだ。生方先生は、片眉を少しあげただけで、体勢を変えずに静かに座っている。これが大人の余裕というやつか。

謎の手はペタペタと窓枠を触っている。何とも気味が悪い。

マヨ先輩がおそるおそる近付いて、その手をつかみ上げた。

「痛っ……てててて、ちょっと、痛いってば」


何と、手が喋った!


そんな訳もなく、マヨ先輩が釣り上げた腕の先には、キャラメル色に近いふわふわした髪の少年が不満そうに唇をとがらせていた。

マヨ先輩が誰だと尋ねる前に、信じられないことに生方先生が口を開いた。

「深川」

時生も群くんも、幻聴を聴いたような気で生方先生の方を見た。低音で聞き取りにくかったが確かに喋っていた。

深川と呼ばれた少年は、戸次先輩たちにうながされて室内へ入ってきた。非常に機嫌が悪そうだ。

「で、きみは誰? それに、どうしてここに来たんだい?」

と、戸次先輩が優しく尋ねた。

時生であれば、たちまち懐柔されてしまうであろう戸次先輩の爽やかオーラにも、深川は寄せた眉を崩さない。唸り出す前の犬のようだ。


「深川七音(ふかがわなおと)」

とだけ深川は言って、むっつりと押し黙った。

「一年生?」

と、戸次先輩が尋ねる。

深川はこくりと頷いた。

「ここはダンス部の部室だけど……何か用事か?」


と、戸次先輩が重ねて尋ねた。超人的な根気強さだ。時生だったらむっつりされた時点で苛ついてしまっただろう。

深川にも少なからず、戸次先輩の慈愛に満ちた態度は響いたらしい。喧嘩間際のような恨みを感じさせる目つきが少しだけ落ち着いた。そして、深川は小さな声で言った。


「アイスが食べられないから、生方先生を取り戻しに来た」

「え? どういう意味だ?」

「こんなの納得できない。困る」

「いやいや、分かるように順を追って話してくれ」


さすがの戸次先輩も動揺していた。

深川の話というのは、こうだった。


「生方先生はアイスクリーム同好会の担当の先生兼アドバイザーなんだ」

「アイスクリーム同好会? 何するんだ、それ」

時生が尋ねると、深川は哀れむようなまなざしをした。

「そんなのアイスクリームを作って食べるに決まってるだろ。それ以上でもそれ以下でもない」

「メンバーは?」

「おれ一人」


群くんが目配せして言った。

「すごい、スーパー変なやつだ」


深川は続ける。

「それなのに、生方先生はダンス部が復活するからって言って、アイスクリーム同好会に全然来てくれなくなった。先生と活動してたのはおれが先のはずだ。先生がいないと家庭科室が自由に使えない。これからもっと暑くなるだろ。夏本番で、アイスクリームも本番だ。それなのに先生がいないのは困る」


マヨ先輩は何とも言えない表情で聴いていた。超甘党にとっては、バカらしいと一刀両断するのも気が引けるのかもしれない。


猪原先輩にいたっては呆れているのか、興味が失せたのか、スマホをいじっている。まともにとりあっているのは戸次先輩だけだ。


「うん、深川の言いたいこともよく分かった」

「じゃあ……」

「でも、すまん! おれたちにも生方先生は必要なんだ。だから、どうにか両方が納得するようなやり方を探さないか?」

「そんなこと言ったって、体は一つだろ。ハサミで半分にじょきじょき切りとってもってくわけにもいかないし」

しれっと怖いことを言って、深川は眉を寄せた。

すると、黙って成り行きを見守っていた生方先生が口を開いた。


「深川も……入ればいい。ダンス部」

「えっ?」


尋ね返したのは深川本人だったが、誰しもが耳を疑った。

しかし、生方先生は平然と言った。


「実質、同行会の部員は深川だけだ。活動は週に一度」

そこで生方先生は意味ありげにマヨ先輩を見た。

ぼうっとしていたマヨ先輩は我にかえって、あとを続けた。

「あ、ああ……ダンス部に入ったら、練習終わりにアイスの日がある」

それはマヨ先輩が勝手にスイーツやアイスを仕入れに行っているだけだろうと思ったが、時生は口をつぐんだ。


深川はじっと考えていたが、

「それって、いつ?」

と尋ねた。

マヨ先輩があわてて、なだめるように言った。

「週に一度だ。しかも水曜日は、アイスクレープの日だ。駅前のクレープ屋。行ったことあるか? オレは常連なんだ。ポイントカードも持ってる」

「ほんと?」

深川が小さな子供のように目を輝かせた。もう一押しだ。

マヨ先輩は追い打ちをかけた。


「お前、甘いもん好きなのか?」

「大好きだよ」

「じゃあ、土曜の午前練習の後にうちに来ればいい。菓子作ってんだ。激甘のやつ」

「砂糖の塊みたいだけどな」

と、戸次先輩が横やりを入れた。


深川はすっかりその気になったようだった。特に最後の、マヨ先輩お手製の「砂糖の塊ケーキ」は効いたようだ。

「おれ、部員になります! ダンスやったことないけど!」

なんて単純なやつなのだろう。時生は呆れるやら、いっそ感心するやらだった。

しかしこの、群くんの言う〈スーパー変なやつ〉の深川七音の入部は、ダンス部にとっての転機だった。



ちょうどその数日後、高等部中をある噂が駆け巡った。

「おい、知ってるか? 魔王が帰ってくるって」

と、2時間目が終わったばかりの休み時間に八木が声をかけてきた。

「魔王?」

「ああ、そっか。お前は高等部からだもんなあ。」

八木は納得したように頷いた。

「あのな、王子とか魔王って呼ばれてるやつがいるんだ。中等部から有名だった。昔はテレビにも出てたらしいけど……今は休業中らしい。」

「芸能人ってこと?」

「まあ、そうだな。芸能活動してるやつがいるって噂だった。確かに女みたいにつるっとした顔してるキレイなやつだったよ。それが、突然中等部の三年で外国行っちまってさ。アメリカかどっかに留学してたらしいけど、それが帰ってくるんだと」

「へぇ……人気者なんだ」

「うーん、どっちかっていうと、〈腫れ物〉だな。オレは同じクラスになったことないから廊下で見たことがある程度だけど、かなり独特らしい。ちょっと距離があるっていうか、まあ相当キツイ性格だって噂だ」


そして、魔王は中等部の3年のクラスに編入したらしかった。校舎は離れているものの、敷地は一緒なので噂が巡るのはその日のうちだった。数日もすると、あちらこちらで魔王の噂がされていた。

部活に向かう途中、群くんと時生が廊下を歩いていると、その辺りにいる生徒はみんな噂でもちきりだった。

「聞いたか? 魔王様の話」

「ああ。一日で中等部のクラス、制圧したとか」

「オレは担任を締め上げたって聞いたぜ」

「クラスの中学生、泣かせたとか」

「殴ったって話も」

ここまでくると何が本当なのか分からない。

群くんが、

「魔王の噂、すごいね」

と話しかけてきた。

「嫌でも耳に入ってくるよ」

と言うと、群くんはそうだねと笑った。

「ほんとに有名人なんだ。テレビや雑誌に出てたからね。在田眞生って、聞いたことない? JINXの」

「ジンクス?」

「子供だけで結成されたユニットで、歌とダンスを売りにしてた。在田くんはすごく歌が上手くて、センターで踊ってたんだけど、ある日突然解散しちゃったんだ。それぞれが学業に専念するとかいう理由だったけど、在田くんはその直後に海外に行っちゃったから……あの時も噂がすごかったよ。芸能界で干されたんだとか、隠し子がいるとか」

「隠し子って……まさか、中学生でしょ」

「それくらいミステリアスだったんだ。なんていうか、テレビ以外のところだと全然笑わない感じみたいでさ。最初はそんなことなかったらしいけど……。それにおれたちは内部進学だったから、まあ、そのつまり……普通の中三よりはずっと暇だったし」

「何、何? 何の話ー?」

「うわっ」

珍しく群くんが大きな声をあげた。何かと思えば深川だ。後ろから飛びついたようで群くんの眼鏡が半分ずれている。天真爛漫というか、何も考えていなさそうというか、とにかく少しずれている不思議なやつだ。

「魔王の噂だよ」

と、時生が言うと、深川はふぅぅんと相づちのような鼻息を鳴らした。

「新しいゲームか何か?」

「いや、知らないの? 高等部中で噂になってる。在田くんのことだよ」

「ありた? 誰それ」

群くんが首にしがみついている深川をようやく片手で引きはがした。

「有・名・人だよ! はい、この話終わり! 部活行こう。戸次先輩が今日から新しい曲やるって言ってた」

「えっ、マジ? いつ聞いたんだよ、そんなの」

と、時生が言うと、群くんは得意そうに今日の清掃の帰りぎわに偶然会ったのだと言った。深川は胸ポケットから棒付きのキャンディーを取り出して舐めた。

じっと見ている時生に気が付いて、

「欲しい?」

と、しぶしぶ話しかけてきた。時生が丁重に断ると、深川はあからさまにほっとしたようだった。

「甘い物好きなんだな」

と、時生が言うと、深川は嬉しそうに笑った。笑うと八重歯が見えて、余計に少年っぽくなる。

「うん、生きがいだね~。糖分がないと生きていけないよ。それに今日は、これから動くみたいだし、今のうちに補給しとかないとね~」

どうやら部活に行く気はあるようだ。

案外にも深川は真面目に部活にやってきた。

「ダンスって、小5のときにソーラン節やったくらい」

というのには全員が脱力したが、悪いやつではないというのは初日に一緒に活動するだけでよく分かった。特別に運動神経がいいというわけではないが、何となくパッと映える華がある。よくもわるくも相当個性的な新メンバーだった。



そうしてついにやって来た。



夏休みだ。


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