第12話


「よし、もっと早くいくぞー」


と言われて、時生は悲鳴をあげそうになった。

リズムトレーニングが終わるころ、時生はもう自分の体から水分は一滴も出ないような気になっていた。


「堤、大丈夫か?」

戸次先輩が心配そうに近寄ってくる。

スポーツドリンクを飲むのに忙しい時生はそれどころではない。

早く水分をとらないと干上がってしまいそうだ。

かわりにマヨ先輩が、

「んー、まー、いけるっしょ」

と、曖昧な返答をしてくれた。




「じゃ、振り練行くぞー……と言いたいとこなんだが」

戸次先輩は一度言葉を切って、マヨ先輩と時生を見渡した。

「まだ曲が決まってない」

「そりゃそうだな」

と、マヨ先輩が同意した。

「そもそも、何用の曲なんだ? 練習なら練習でいいけどさ……」

「それなんだ」

と、戸次先輩がうなずく。

時生もよく分からないなりに、重要な話なのだとは理解できた。

三人は日陰に移動してしゃがんだ。

額から落ちた汗が屋上の床に染みを作る。


「マヨ、今までオレたちは練習曲として好き勝手に踊ってきたよな。それは部活が停止になって一年も時間があったし、二人でできる曲も限られていたからだ。だけど、今年は違う。」

戸次先輩は得意げに時生を見た。

期待にあふれたまなざしに、時生は誇らしいような照れくさいような居心地の悪さを感じて、もじもじした。

「今年は堤が入ってくれて、もう三人だ。それに、もっと増える……いや、増やす。部活にするためには少なくても5人は必要だって話はしたよな」

「分かった。5人構成にするってことだろ」

と、マヨ先輩が言った。

「ああ。もちろん5人以上になっても構わないが……想定では、5人構成のダンスを考える。そして、夏の大会に出る」

「おお」

「マジですか」

マヨ先輩が返事をしたのと、時生が素っ頓狂な声をあげたのは同時だった。

「た、た、大会って……オレも出るんですか?」

「そうだな」

「無理ですよ! だって、ドがつく素人ですよ? まだリズムトレーニングだって精一杯なのに」

「安心しろ。アイソレーションもまだまだだから」

と、マヨ先輩が言った。

戸次先輩が言った。

「堤はいやか? オレたちと一緒に踊るの」


ずるい。

入部を決めたのは、この人たちと一緒に踊ってみたいと強烈に思ったからだというのに。


「……あの、先輩たちとやるのがいやなわけじゃないです。っていうか、いつか一緒に踊

ってみたいって思って、入部決めたんだし。だけど、オレ、足ひっぱっちゃうかもしれないです」

時生がぽつりぽつり話し始めるのを、マヨ先輩と戸次先輩は黙って聞いてくれた。

「オレ、中学のときはバドミントン部に入ってたんです。みんな初心者だったから、友達がいるからって軽い気持ちで入って。だけど、ついていけなくて。オレ、こんなヒョロイから相手にもなめられて、試合でも全然活躍できなくって。もう意地になって続けてたんですけど、そのうち、部活の友達とか後輩にも、気つかわれるようになっちゃって……ペアを組んでる子にも申し訳なくって。もう誰かの足ひっぱるの、いやなんです」


話をしながら時生は情けなくなってきた。

中学の頃の苦い思い出を、ひきずっているとは何となく思っていたけれど、言葉にしてみると心の中のずいぶん深いところに溜まっていたのだと気が付く。


「あのな、堤。」

と、マヨ先輩がいつになくまじめな顔をして言った。

「中学の頃はどうか分かんねぇけど、少なくともオレらは、お前に足ひっぱられるなんて気にしてねーヨ。つーか、足どころか手も腰もひっぱられるくらいの覚悟はしてるし。それに、意地でも3年間続けたんだろ? 根性あるんじゃん。お前」


「マヨ先輩……」


「そうだな、マヨの言うとおりだ。堤、オレたちは試合に勝ちたいからダンスやってるんじゃない。楽しいからーー踊りたいから踊るんだ。ダンスには年齢も人種も関係ない。一緒に踊ればみんな仲間だよ」


「戸次先輩……オレ、泣きそうです」

「泣いたらさっき飲んだスポドリが無駄になるぞ」

マヨ先輩がちゃかして言った。


「よし、じゃあ、コンテスト用の曲の振り付けはマヨとオレで考えるとして、今日は練習曲で振りを付けよう。5月はそれで一曲踊りきるのを目標にするぞ」

戸次先輩が言って立ち上がった。


「泣いてる暇ァねーぞ、堤」

にっかり笑って、マヨ先輩も立ち上がる。


ハイ、と返事をしながら、やっぱり泣きそうになるのを時生はぐっとこらえた。



練習曲は去年の秋頃に戸次先輩たちが自分たちで考えたというもので、たくさんのステップや手の動きが入っていた。

ステップが多く、ずっと跳んだり跳ねたりしているような振り付けだ。

何故、二人の先輩は呼吸困難にならずに踊り続けられるのだろう?

時生が疑問に思うくらい、体力が必要な曲だ。


「まずは曲と、振り付けを覚えるところからだな」

と、さわやかに戸次先輩は言った。

覚えるといっても、全部で3分半ほどの曲だ。

カラオケで聞けばそれなりかもしれないが、踊るとなると話は変わってくる。繰り返しのところを抜いても、3分半の振り付けを覚えるというのは尋常じゃない。


時生は戸次先輩とマヨ先輩にお願いして、スマートホンで撮影させてもらった。帰ってからパソコンにおとして、一心不乱に見て網膜に焼き付ける。

こうして動画にして見てみると、戸次先輩とマヨ先輩も同じ振り付けを踊っているのに個性が出る。戸次先輩はやはり豪快で力強さがある。マヨ先輩はどちらかというと、柔らかく技巧派で、手や指先の動きが丁寧だ。


「あー……すごいなあ」


改めて、二人の先輩に対しての尊敬がわきあがってきた。

「えっと……耳の上でくるっと回して……って、え? この動きどうなってるんだ? 早すぎてわっかんない」


真似してみようにも、振り付けが早すぎて全くついていけない。


「うわーっ、だめだあ……」


先輩たちの後ろに立って、カウントでゆっくり合わせていると自然に頭と体に入るのに、映像にしてみると全くわからない。

データはスマートフォンからノートパソコンに移動させたので、大きく見られるようになったのはいいが、なにぶん映像は鏡になっていないので、おぼえにくい。動画の先輩が右手をあげたら、左手をあげるということなのだ。



「難しい……」



暫くは動画とにらめっこしていた時生だったが、一時間たった辺りで限界が訪れた。

時生はベッドに転がって溜め息を吐いた。

コンクールの前に練習曲の完成。

練習の前に部員集め。

前途多難だ。


少し休憩をしようと、時生はまたパソコンを開いた。

インターネットに繋がっているのをいいことに、ダンスの動画を検索してみる。人気動画の中に、以前見たおぼえのある人がいた。

Yというハンドルネームの、あの、完全にオタク丸出しのダンサーだ。

どうやら新作の動画らしく、コメントがたくさんついていた。

日付を見ると、ちょうど昨日アップしたものらしい。

アニメの登場キャラクターの誕生日を祝うために急いで練習して踊ったとコメントに書かれていた。Yは本当にアニメやその登場人物を愛しているようだ。本人が一番楽しそうに思える。


時生も動画を開いてみた。

青い壁のスタジオを背景に覆面をかぶったYが映る。

キャラクターソングだろうか。

かわいい女の子の舌っ足らずの高い歌声が、テクニカルなサウンドと一緒に流れ出した。

「あ、これっ……!」

時生は気が付いた。

Yの手が耳元でまわり、下に素早くおりる。

タイミングや前後の動きこそ違うが、マヨ先輩や戸次先輩が踊っていたあの振り付けと全く同じだ。

そして、筋肉がはじけるような緩急のある動き。

胸がバウンドして、腰や足がなめらかに揺らいではピタッと止まる。

覆面の下は汗をかかないのだろうか。

全く疲れが見えず、かなり激しい動きをしているのにもかかわらず、足が止まったりテンポが遅れたりしない。むしろ、踊りながら鼓動が高まっているのが分かる。表情が見えないのに、何故こんなに楽しそうなのだろう。


最初はアニメソングをBGMに、オタクっぽい格好で必死で踊るだなんてばかみたいだと思っていたのに、何度も見ているうちに、一人のダンサーとしてYはすごいと思ってしまう。

技術やビジュアルだけではなく、踊ることが楽しいと思って踊っているのが一目で分かるダンスだ。


時生は最後まで動画を視聴した。

自然と、音楽が鳴り終わる頃には画面の前で拍手をしていた。


きっと世の中には今まで知らなかっただけで、マヨ先輩や戸次先輩、そしてYのように、たくさんの種類のダンサーがいるのだ。

時生はわくわくしていた。

コンクールに行けば、そんなすごいダンサーたちを、生でもっと見ることができる。


画面の中のYは音楽が鳴り終わると、その場にドッと倒れ込んだ。

昨日アップロードしたということは、最近撮影をしたということだ。

連日この湿気と蒸し暑さなのだから、たまらないだろう。

人間離れした動きをしていたYの人間らしい一面を見て、ほほえましい気持ちにすらなる。

そんなとき、時生はあることに気が付いた。


「あれ、この鞄って……」


それは何の変哲もない、平凡なありふれたスポーツバッグだった。

黒地にスポーツブランドのロゴが書いてある。

つるっとした表面に金具がついている――。

時生は動画を止めてもう一度見た。

何か気になることがあるのだが…… それが何かは思い出せない。


「おい時生ー! 飯だぞー!」


ドアの向こうから秋子の大声がした。

急に現実に引き戻される。


「はーい!」

大声で返事をして、時生はパソコンを閉じた。

1分でも遅れたら部屋のドアが蹴破られるに違いない。

考えるのを後にして、時生は急いでリビングへ向かった。


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