第11話
それから暫く経ち、時生が昼休みにウインナーパンを頬張っていた時だ。
ちょうど、七戸からダンス経験者だというクラスメイトの噂をきいた。
群というやつで、ジャズダンスをやっていたことがあるらしい。
話しかけてみると、群くんはめがねを押し上げて困ったように笑った。
「いやー、でも、ね。僕、家遠いし、帰宅部のつもりだから」
と断られた。
そこをなんとか!と食い下がって勧誘したのが一週間前。
もしかしたらという思いを抱えたまま日がたって、時生もなんとなく分かってしまった。
(群くんにダンス部に入るつもりは一切ない)
教室で見る群は普段通りで、時生に誘われたことなど無かったかのように振る舞っている。
屋上でストレッチをしながらマヨ先輩に話すと、
「バーカ、そう上手くいったら苦労なんかしねぇヨ」
と、背中を叩かれた。
足を伸ばしていた時生はうめいた。
「それにしても時生、本気で股関節固いな。バドミントンやってたとき、伸ばしてなかったの」
「それなりにやってたつもりですけど、う、痛い」
「いきなり伸ばすと筋痛めるぞ。少し痛いかってくらいがちょうどいいんだ」
マヨ先輩は時生の隣にあぐらをかいて、足の裏同士をくっつける。そして額を容易く合わせた足の上にのせた。見ていると簡単そうだが、実際にやってみると足が付け根から外れてしまいそうだ。
「よし、じゃあアイソレ始めるか」
と、戸次先輩が言った。
アイソレとはアイソレーションのことだ。
数日前、初めてのレッスンに臨んだ時生は
「ケーキか何かですか?」
と見当違いな質問をして先輩たちに笑われた。
ストリートダンスでは基本となる動きで、練習の前にはかかせない。
いわば準備運動や基礎トレーニングのようなものだ。
マヨ先輩はスマートフォンをスピーカーに接続させながら言った。
「いいか、人間の体ってのはどこかを動かすと一緒に別の部分も動いちまうようになってる。それを切り離して独立させていくんだ」
スローテンポながらも、ドンッドンッと低音がはっきりとした曲が流れる。
「まず首からな。ワン・ツー・スリー・フォー」
とカウントをとったマヨ先輩がパチンと手を叩いた。
肩から下は動かさず、首だけが前に出る。
4つのカウントで首が戻り、今度は右側へ動いてとまる。
時生は肩まで動いてしまいそうになって、あわてて両の手のひらで鎖骨のあたりを押さえつけた。
三人で屋上の扉側に向かって立つ。
そうするとうっすら、ガラスにうつって自分たちの姿が見える。
戸次先輩が一番前、その後ろに二人並ぶ形でマヨ先輩と時生が立つ。
「オレの真似をすればいいぞ」
と戸次先輩が言った。
音楽プレーヤーをつないだスピーカーから音が鳴る。
ドン、ドンと腹に響くビートの音。
「アイソレ、いくぞー。」
と、戸次先輩の声が響いた。
時生は鎖骨のところに置いた手にクッと力を込めた。
「ワン、ツー、スリー、フォー!」
カウントに合わせて首が動く。
まずは4カウント。
顎を突き出して首だけを前に動かす。
「みーぎ!」
次の4カウントは右側に動かす。
首がつりそうだ。
横目でマヨ先輩を見ると、平然とした顔で信じられないくらい首が動いていた。インド人もびっくりだ。
左、後ろと4カウントずつ首を動かす。
次は2カウント。次は1カウント。
どんどん早くなっていく。最後は、
「よし。回すぞー」
首だけを水平に回していく。
戸次先輩もマヨ先輩も肩から下が一切動いていない。
「堤、肩動いてる!」
「ハイッ」
戸次先輩に指摘されて、時生はあわてて返事をした。
頭では分かっていても難しい。
「肩が動くときは、胸の前で腕をクロスして肩を掴むといいよ」
と、マヨ先輩が教えてくれた。
確かに安定感が増した気がする。
「次は胸いくぞー」
足を前後に開くようにして、胸を突き出す。
次は波動をくらったマンガのキャラクターのように、胸をへこませる。
マヨ先輩は普段猫背だからか、骨が無いのではと思うくらい胸がへこんでいた。
最後は腰だ。
ぐいっと突き出して戻す。前、右、左、後ろと首と同様の要領でやっていく。
何となくちょっとセクシーな感じがする。
無意味に時生がどきどきしていたら、
「おーい、遼太郎。堤がヒワイなこと考えてるぞー」
とマヨ先輩に言われた。
「ちがいますよっ! 考えてませんってば」
「そんな顔してた」
「どんな顔ですか!」
と、言い合いながら、首、胸、腰とアイソレーションが終わった。
戸次先輩が
「おーし。次はリズムトレいくぞー」
と言った。
それぞれ散らばってスポーツドリンクを飲む。
水分補給をしないとひからびたミミズのようになってしまうのは明白だ。
すでに尋常ではない量の汗をかいていた時生は、持ってきたスポーツタオルをTシャツの中に突っ込んで、ごしごしと汗を拭いた。
元の立ち位置に戻って立つ。
音楽が鳴り始めたけれど、マヨ先輩は猫背のままだ。
時生が見ていると、
「おい、もっと力抜け」
と、マヨ先輩が言った。
「へ? 力って……」
「いいか。腹の真ん中にダチョウの卵抱えてみろ」
「ダ、ダチョウですか?」
「いいから、ほら」
時生は言われた通りに、腹に卵を抱えたふりをした。
「そうそう。もう少し膝曲げて。背中が曲がって少しあごが出るだろ。それがヒップホップの基本姿勢だ」
と、マヨ先輩が言った。
ドアに映った自分を見てみると、確かにそれっぽくなっていた。
戸次先輩やマヨ先輩は自然にそれができるのだ。
時生にはまだ慣れない。ふくらはぎが痛くなりそうだ。
戸次先輩がガラスごしに時生を見る。
「堤。ドン、ドンってビートが響いているだろう。このビートを体で表すんだ。ドン、ドン……このリズムに合わせて、膝を曲げて。」
「こ、こうですか?」
「そうそう。さっきマヨが言っていたように、背中を曲げると胸が丸くなるだろ。胸でもリズムをとるように、へこませて。」
「うーん……こう、かな?」
マヨ先輩が近くに来て、時生の腹にゆっくり平手をめりこませる。
「ぐふっ……」
「あー、そうそう、こんな感じ。でー、戻す。」
「ううっ……」
体が今までの人生でやったことがない動きだった。
「そこに手をつける。軽く胸の前で握って、腕でもリズムを感じるんだ」
と、戸次先輩が胸の前で握り拳を作った。
時生も見よう見まねでやってみる。
「よし、じゃあリズムトレーニングいくぞー」
と、戸次先輩が言った。音楽の切れ目で戸次先輩の声がかかる。
「ワン、ツー、スリー、フォー……」
ドン、ドン、というビートに合わせて、戸次先輩とマヨ先輩が軽快にリズムをとって体を動かす。もうそれだけでダンスらしくて、格好がいい。
しかし、実際にやってみると体を上下させるだけで精一杯で、背を丸めることや腕の動きなどとても意識できない。
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