第9話

ゴールデンウィークは家族で温泉に旅行に行った。

しかし、とりたてて何があったわけでもない。

いつものように姉たちにこきつかわれるのは場所が変われど同じだった。

普段仕事であまり顔をあわせない父や母と一緒に出かけられたのはいい経験だった。


旅行から帰ってきてからは特に予定がなかったので、部屋でごろごろすることにした。

連休中はどこも混むので積極的に外に出かけたくはない。

諸悪の根源……否、三人の姉たちはハイキングだ、映画だ、買い物だと忙しそうにしていたが、時生にしてみればここからが本当の休日だ。


例によって、パソコンを開いてダンスの動画を見ていた。

気になっていたのは、前に少し見たソロの人の動画だった。

あの、美少女好きのオタクの人の動画。


一定の根強い支持層がいるらしく、「きもちわるい」というレスポンスよりも圧倒的に「神」だとか「ファンです」といった好意的なコメントの書き込みが目立っている。


アニメの美魔法少女ピチピチピーチの熱狂的なファンらしく、どの曲も完璧といっていいほど躍り込まれていた。もちろんアニメでそのような振り付けをするシーンはないようだが、「Y」は自分なりに振り付けを考えて曲に合わせて踊っているらしかった。


何度見ても、筋肉が弾けるような動きは独特で真似できる気にはなれない。

コメントを見ているうちに、それが「ポップ」というジャンルのダンスなのだということが分かってきた。体をはねさせるのが、ポップコーンのような動きだからだろうか。

元のアニメは知らないが、Yのダンスは面白く、完成度も高くて何度も繰り返し見てしまった。


「あれ……?」


何度も見ているうちに、時生はあることに気が付いた。

スタジオらしきところで撮影をしているようだが、ある動画で鏡に荷物が映っていた。

おそらくYの私物のようだ。黒いスポーツバッグにキーホルダーがついている。がっちりとした金色のリングに、ピチピチピーチのマスコットのぬいぐるみがずらりとぶらさがっている。異様な風景だが、時生には見覚えがあった。


しかし、あんなおかしな、変な、もとい、個性的な鞄を見かけたら絶対に忘れないはずだ。

ならば、この既視感はいったい何なのか。

雑誌か何かに同じ鞄がのっているのを見たのかもしれない。


「うーん。だけどなあ……」


時生が考え込んでいると、スマートフォンがピロピロと着信を告げた。

メッセージが一件あります。

誰からか、とチェックをしようとして、時生はスマートフォンを取り落としそうになった。マヨ先輩だ。


「万代だ。 堤、もう練習着用意したか?」


万代と書いてある。

マヨ先輩とばかり呼んでいたけれど、名前だったのか。

いや、名字なのか?


少し悩んで、時生はそこには触れず、

「堤です。よろしくお願いします。 練習着、まだです。どんなものを用意すればいいですか?」


と返信した。

返事はすぐに返ってきた。



「今、戸次といるんだが、うちに来ないか? オレの昔のTシャツとかでよければやる」


時生の心臓はどくどくと早鐘のようにせわしく鳴り始めた。

マヨ先輩の家? 見たい!

さらに戸次先輩がいる? 

そう思えば興奮するのも無理はなかった。


そして時生は気が付いた。

そういえば、入部希望のことを戸次先輩に直接話せていない。

マヨ先輩に話したことで、完全に受け入れられた気になっていたけれど、戸次先輩は部長なのだ。戸次先輩にうんと言ってもらえなければ、いくら入部したいと時生が言っても無駄になってしまう。

これは今すぐにでも話をつけにいかなければいけない。


「行きます! すぐ行っていいですか?」


と返信した時生のもとに、マヨ先輩の家の住所が送られてきた。

GPS情報というのは便利なもので、メッセージにして手軽に送ることができる。

意外にも、マヨ先輩の家は時生の家からさほど遠くないところにあった。


自転車に乗るとかっと日差しが照りつけた。

これ以上、暑くなるなら屋上での練習は危険かもしれない。

時々停まってマヨ先輩が送ってくれた住所を確認しながら、十分ほど自転車を走らせた。


ホットセゾンと書かれた銭湯の前に時生は立っていた。

隣にコインランドリーがある。


どうすればいいのかうろうろしていると、

「堤!」

と、声がかけられた。

マヨ先輩だ。

隣には戸次先輩がいる。

学校で見る戸次先輩とは違って、髪がぺたんと下ろしてある。

戸次先輩はかなり驚いているようだった。


「あれ? 堤!? マヨ、これ、どういうことだ」

「遼太郎に言ってなかったっけ? オレたちもう仲良しさんなんだよ。な、堤」

「は、はい!」


呼ばれたのでとりあえず調子よく返事をした。

クレープの恩義があるからか、マヨ先輩には頭があがらない。

戸次先輩は驚きながら、状況を把握しようとしているようだった。


「遼太郎、ここまできても分かんねぇか? なんで堤がここに来たんだと思う」

「い……家が、近所だから?」

「ブーッ。はずれ。ちがいまぁす。正解は……ほれ、堤。言ってやれ」


戸次先輩の前にずいっと押し出されて、時生はつばを飲み込んだ。


「オ、オレ……ダンス部に入りたいんです。その……いろいろ考えて、先輩たちのダンス見たりして、動画も見て、やっぱやりたいって思って。だから、入部しても」

「大歓迎だよ!」


戸次先輩が叫んだ。

マヨ先輩が、

「バカ遼太郎、声がでけぇよ。他にもお客さんがいんだろーが」

と、戸次先輩の頭をはたいた。


戸次先輩はごめんと謝りながらも、やはり大きい声で言った。

「堤、ありがとう!」


マヨ先輩に強制連行されるようにして、三人は場所を変えた。

銭湯の上のフロアはマンションの一室になっていて、そこがマヨ先輩の家だった。

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