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涼子の好意で親族の控室を借りることができた。八畳ほどの和室で、部屋の隅に鞄が固めて置かれている。
涼子が座布団を並べてくれたので、部屋の真ん中にポツンとある座卓の周りに、彼女と涼子、原口と秋人が隣り合う形で座った。種田教授や久保准教授にも立ち会って欲しいところだが、二人は昨日の通夜に参列していて今日は来ていない。
原口と対峙した彼女は、ずっと険しい視線を送ってくる。それに対して原口は腕を組み考え込むように座卓を見ていた。どこかにスピーカーがあるようで、読経が聞こえる。木魚やおりんの音にのって、梅原がおくられていく。
涼子に促されて、彼女は宇崎と名乗った。現在は都内のブランド店で販売員をしているらしい。そう言われると、宇崎の羽織っている鶯色のジャケットは高価そうで、ここが葬儀場でなければ素敵ですねと、褒めていたかもしれない。
宇崎は堰を切ったように話し出した。
「いつも翔太、言ってたんですよ。原口さんに妬まれていてやりにくいって。ろくに指導しないくせに、こちらが立てた実験計画には細かい指摘をしてきて嫌になる。長年のポスドクで性格がねじ曲がっていて、自分はブスなパン屋と結婚したから、可愛い彼女ができた自分に嫉妬しているって」
お茶を淹れるために立ち上がった秋人は、梅原らしいと思った。梅原は物事を意地悪にとらえ、それを素直に口にした。受けると思っていたみたいだ。それで誰かを傷つけても、本当のことを言って何が悪いと開き直り、場の雰囲気が悪くなると、自分の冗談が伝わらないと周りを責めた。根っからのいじめっ子体質だった。
秋人は淹れたお茶を三人に配り、最後に自分の分を前に置いて座った。
「彼は院生でしたから、基本的な実験の指導は必要ありませんでした。私は、彼が立てた実験計画や論文の不備を指摘することが指導だと思っていたのですが、彼は不満だったんですね」
初めて気がついたというように、原口は口元を押さえている。
「僕は原口さんに指導してもらっていますけど、不満はないですよ」
原口を擁護するつもりはないが、言わずにはいられない。
「それは君が他を知らないからじゃない?」
犬を追い払うように、宇崎が手を振る。
細かい研究内容について指図する研究室もあるが、うちは自主性を重んじる。研究室を選ぶ際、それぞれの特性はオープンにされるから、秋人は事前に吟味してうちの研究室を選んだ。梅原もそうだったと思う。
「翔太、言ってました。自分が就職決まったら、急に原口さんは冷たくなった。原口さんは三十歳過ぎててやっと助手になったから、自分が羨ましいんだ。だから意地悪するんだって」
原口は困惑しているのか、眉間に縦じわを作っている。
「私生活で変化があって、仕事がおろそかになったことは認めます。申し訳ないと思っています」
原口は結婚と同時に心美の家族と同居することになった。籍を入れるだけとはいっても、引っ越しや何やらとしばらく忙しかった。梅原は冷たくなったと言ったようだが、それは誰に対してもそうで、特別梅原にだけ冷たかった訳ではない。
「原口さんは自分が担当する学生実験を、翔太にやらしているんでしょう」
あまりの言葉に呆れてしまう。修士二年の梅原さんが、学生実験の指導を出来るとは思えない。
「そんな、梅原さんが原口さんの代わりをすることはありませんでしたよ。手伝うといっても講義の始まる前の五分ぐらいで、学生の出席を取ったりプリントを配るぐらいだったと思います」
宇崎は何が何でも原口を、悪者にしようとしている。
「それがおかしいんです。彼は学生ですよ」
ぴしゃりと言い放つ。
「講義の前数分間、そういう手伝いを研究室の学生がすることはうちの学部の慣例でした。彼はうちの唯一の院生でしたから、お願いする割合が高かったです。本当は自分でするべきことですが、講義を円滑に進めるために任せていました。私が学生の時はすでにそうでしたから……疑問に思うことがありませんでした。でも彼は負担に感じていたんですね……申し訳ないと思っています」
原口が自分を責めるように声を絞り出した。
「待ってください。梅原さんは無理矢理やらされていたんじゃない。いつも自主的にやっていました」
梅原が修論で忙しいと思って、秋人が代理を申し出ても、学部生には任せられないと断られていた。
「いや、これはこちらのミスだ。彼がまだ学生であることを失念していた」
原口は宇崎に、そして涼子にも頭を下げて謝った。
でも秋人は納得できない。この人は、小学生が先生に頼まれてプリントを運ぶことさえ、いけないと言っているのか。お手伝いの範疇ではないのか。そもそも非正規だったのにずっと正規以上の仕事をさせられてきた原口が、謝るのは違うと思う。
「翔太はいつも疲れていたんです。あなたにこき使われたせいで、翔太はあんな事故を起こしたんです」
「それで殺されたって、あんな場所で言ったんですね」
秋人は体の力が抜けた。
宇崎が叫んだから、もっと直接的なことを想像したけど、忙し過ぎて事故を起こしたのだと言っている。
「なに安心してるのよ。これは重大問題よ。夜行バスの運転手が、過重労働で事故を起こしたのと同じなんだから。私が訴えたら、絶対あなたは罪になるわ」
断言されて怖ろしくなった。今まで大学の教員が、学生に報酬無しで頼んでいるお手伝いに違法性があると訴えた人がいただろうか。どの辺りまでがお手伝いと認められないんだろう。
「それに後輩も使えないって嘆いていました。四年生の向井君は卒論があるのにあんまり大学に出て来ない。三年生の藤君はバイトばかりしている」
「す、すみません」
自分のことを言われて慌ててしまう。
「いや、藤はまだ三年ですから仕方がないだろう」
原口が庇ってくれる。
「だけど翔太が三年生のころは、もっと研究室に出ていたって」
不満そうに宇崎は唇を尖らせた。いじけた子供のように見える。
「私は、梅原君が三年生の頃から知っています。確かに彼はよく研究室に出て来ていましたが、研究をしている様子はありませんでした。ゲームをしたりマンガを読んでいることが多かった。当時助手だった能勢さんは、家で遊べって叱ってました」
原口の率直な言い方にひやりとする。こんな風に肉親が言われたら嫌なんじゃないかと涼子を見るも、彼女は姿勢を正していて動かない。
「それに藤は苦学生です。バイトをして生活費を稼いでいるんです。梅原は自宅生ですから、そこは許してやって欲しかった」
もういない梅原に言っているみたいだ。
「いいですよ。その話は」
学費は親が出してくれているから、苦学生ではない。
「まあ、皆さん事情があるんでしょうけど……」
「それにしても、翔太の周り人のこと、よくご存じなんですね」
これまで黙っていた涼子が初めて口を開いた。今気がついたというように湯呑を手元に引き寄せる。
「はい。私たち、つき合っていましたから」
宇崎は、涼子に対して当然というように胸を張った。
「いったいどこで知り合ったんですか? 恥ずかしながら私は、弟に彼女がいるなんて知らなかったんです」
涼子は弟のことを知りたいようだ。
「三か月前の合コンです。翔太が私のことを気に入って、連絡をくれました」
「そうなの」
涼子は優しい目で宇崎を見た。
「彼が忙しいことは知ってました。でもおつき合いをしているだから、お互い一分でも一秒でも一緒にいられるように努力するべきでしょう。でもでも、彼は、今は修論を書いてるから時間がないって言って」
それでさっきのような、自分がどれほど研究室で働かされているか話したそうだ。
「せめて私、一日一度でいいから電話が欲しいって訴えたんです。それで毎日いろいろお互いのことを話しました」
お互いというより、周辺の人についてだろう。それもほとんど悪口。
「だから研究室のことを、宇崎さんもよくご存じなんですね」
「ご家族のことも知ってます。ご両親は外では仲がいい振りをしているけど、家ではほとんど会話がないとか、お姉さんは一度結婚したけど、ご主人に不倫されて帰って来たとか」
そこまで話して宇崎は気がついたようだ。「ごめんなさい」と小さく舌を出した。
「いいのよ。べつに……」
涼子は寂しそうに笑っている。
「本当のことだから。でも翔太が外で家族の悪口を言っていたなんて、知らなかったわ」
「お姉さん。違うんです。私だから翔太は話してくれたんです。隠し事はしないでおこうって約束してたんです。私たち、毎日その日あったことを電話で二時間は、話したんですよ」
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