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これってものすごい手掛かりだ。
教えられたマンションは、犯行現場には不向きだし戸数が多いという理由で、初めに捜索範囲から削除していた。でも犯人は住んでいる可能性はある。犯行現場は別にあるのだ。そもそも自宅で人を殺してバラバラにする方が大変じゃないか。
マンションは横に三棟あった。名前は昭和感満載の〝グリーンコーポ〟、古びた都営団地のたたずまいがある。
囲んでいる低い塀をぐるりと回ると、塀の切れ目に入り口があった。ヨシムネが制するので止まってリックを開けると(再度入れていた)、どこかへ消えた。独自に調べてくれるのだろう。こちらもできることをしなくては。
まず公園があった。当然こんな早朝、誰も遊んでいない。しばらく行くと、右側が駐車場で左側が住所部分になっていた。新聞配達のおじさんが言っていた通り、それぞれの棟の前にポストとつつじの植え込みがある。
どの棟の植え込みで名刺を拾ったんだろう。聞き逃したここと悔やむが、今更聞きに戻れない。ポストを見るとそれぞれA棟B棟C棟と入り口に近い順になっている。すべて六階建てでワンフロアに七軒あった。
7×6×3=126軒
犯人に近づけたと喜んだのもつかの間、数の多さに眩暈がする。ポスト口がふさがれていたり部屋番号に×がつけられている入居者のいない部屋を除いても、100部屋以上ある。
「車を見つけたぞ」
いなくなっていたヨシムネが戻って来た。
「わかるのか?」
同じ形の車というだけでは心もとない。ナンバーは読めないはずだ。
「黒い大きな車だ。後ろの角がへこんでいた」
特徴を覚えているみたいだ。駐車場まで連れていかれると、黒いワンボックスカーがあった。残念ながら駐車スペースに部屋番号は書かれていない。それでも車の近くに住居があるなら、犯人はA棟かB棟に住んでいるのではないか。
ここまで証拠が揃ったなら、警察も動いてくれるだろう。
B棟入り口の階段にまで移動して座った。110番に通報する。
〝事件ですか、事故ですか?〟
よくドラマとかで聞いたことがある質問をされる。
事件だと告げると、担当に代わった。
秋人は自分の彼女がさらわれたこと。車を追ってこの〝グリーンコーポ〟まで来て、車を見つけたこと。植え込みで連続殺人事件の被害者である女性の名刺を拾ったことを話した。
電話を切ると、金色の目がこちらを見上げていた。
「ネコの言葉をそこまで信じていいのかよ」
「今更、言う?」
当たり前に自分が騙されていたらという不安はある。でも本当に沙良が誘拐されていたらという不安と比べたら比べものにならない。
ヨシムネの額をペシペシ叩く。
「警察が来てくれるって。それまでここを動かないように言われた」
辺りは薄い紫色に包まれていた。東京の日の出時間は5時ぐらいだろうか。始発電車はまだ動いていない。
警察はこちらにすぐに向かうと言っていた。真剣に沙良を捜してくれるだろう。
どこからかいい香りがして秋人はすくりと首を伸ばした。ケーキに使われるバニラみたいだけどもっとふんわりしている。見回すと、A棟の入り口に白い花が咲いていた。ユウガオか。夜の明け始めた紫色の空気に白がにじんでいる。
ふとトキさんを失った時の悲しみが蘇った。あんな思いは絶対にもうしたくない。絶対に沙良を見つけるんだとユウガオに誓う。
「秋人、あっち!」
いつの間にかヨシムネの呼び方が、「ぼんくら」から「お前」そして今は「秋人」に昇格している。
A棟から人が出て来た。小柄でキャップを目深く被っている。上下ジャージだ。
「すみません」
走って行って声を掛けると、不意を突かれた相手は数歩下がった。
「この辺りで動物をいじめてる人とか怪しい人、見ませんでしたか?」
「あんた誰?」
若い女性の声だった。
「すみません。大学生で……」
慌てて名乗る。
「知らないから」
女性はそのまま逃げるように走り出して、マンションの敷地から出て行った。
早朝のジョギングか。相手が男性だったらもう少し突っ込んで話を聞けたのに残念だ。こっちの方が怪しいと思われたかもしれない。
視線と肩を落とす。
「あれ、なんだろう」
コンクリートの床に茶色い染みがあった。
血痕か? 点々と落ちている。先をたどると、エレベーターにまで続いていた。
「怪我をした誰かが、エレベーターを利用したのかな」
エレベーター内を調べても血痕はなかった。ふき取ったのか。
2階まで乗って廊下を歩いてみるも、何も落ちていなかった。それから、3階、4階、5階、6階と降りて調べたけど不審な点はない。
ポストの前に戻り、一階の住人はエレベーターを使わないと考えた。誰も住んでいない部屋を除いて数えると、29部屋ある。
時間は5時25分。普通の人なら眠っている時間だ。
秋人自身、バイトと寝不足で頭も体もふらふらする。
でも待ち望む警察はまだ来ない。パトカーのサイレンも聞こえない。
「どうするんだ?」
自分の推理に疑問を持って、怖気づいてしまう。ここまでたどり着いたことは偶然の積み重ねだし、血痕=犯人って短絡的過ぎる。
「一軒ずつ尋ねる」
それでも、今まさに沙良が危険な目に遭っているかもしれないと思うと、じっとしてはいられない。間違っていたら謝ればいいと自分を励ます。
ヨシムネが俺の肩に乗った。頭に前足を置く。空き家捜索の際は心強く感じたけど、この絵面、客観的に見て変じゃないか。
「オレもそうするべきだと思う」
でもヨシムネは励ましてくれているらしい。
廊下は薄暗かった。腰より高い位置に目隠し用の壁がある。ひょいと下を見ると茶色い地面があってまだらに雑草が生えている。上を見ると月は消え、空は薄い雲で覆われていた。
201号室の前に立ち、シャツの腕の部分で汗を拭きながら、インターホンを押した。
思った通り返事はなく、根気良く押していると不機嫌そうな女の声がインターン越しに返ってきた。
「……はい」
「あのう、俺、行方不明になった彼女を昨夜から捜してるんですけど、何か心当たりはありませんか?」
早口で喋って、名前を付け加える。
「だれだ?」
インターホン越しに中年の男と女が話しているのが聞こえてきた。
「ですから彼女が誘拐されて……」
「何時だと思ってるんだ。警察呼ぶぞ!」
怒鳴り声と共にインターホンは切られた。今の雰囲気では本当に何も知らないのだろう。
隣の202号室の前には、子供用の三輪車が置かれていた。アニメのシールが貼られている。連続殺人犯に、小さな子供がいるなんて考えられるだろうか。
先入観はいけない。
半ばやけになって、インターホンを押した。
「はあ?」
こちらも声に険がある。小さな子供の泣き声まで聞こえてきて早々に質問を終わらせた。
その隣は空き室だったので飛ばして204号室の前に立った。ここまで来ると肝が据わった。でもいくらインターホンを押して待っても、誰も出て来なかった。留守か眠っているのか。それとも居留守を使っているのか。耳を澄ませても人の動く気配は感じられない。部屋の番号をチェックして次へ行く。
こんな調子で6階まで上がったときには、心も体も疲れ切っていた。
どの家もドアを開けてくれない。このご時世当然だが、それでは情報が得られない。
車があったのだから、絶対犯人はこのマンションに住んでいる。確証があるのに、見つからない。沙良に危害が加えられていたらどうしようと、最悪の事態まで想像して涙が出そうになる。
残るはあと5軒になっていた。この5軒で見つからなければ、秋人にはなすすべがない。
「あのう、すみません」
言い終わらないうちに、怒声を浴びせられた。
「本当にこの棟に犯人はいるのかな」
がっくり肩を落とすと、秋人の頭をヨシムネはポンポンと叩いた。励ましているつもりらしい。
なけなしの気力を振り絞り、602号室へ移動したとき、エレベーターの音がした。6階で止まったようだ。二人連れの制服警官が近づいて来る。
やっと来た。すぐ行くからそこを動くなといったくせに、いつまで待たせるんだ。
「君かな。早朝からマンションの住人を起こして回ってる男って」
一人の制服警官は秋人を睨みつけ、もう一人は退路を塞ぐように後ろに立っている。
俺の110番通報で駆け付けたのではないのか。
「住民に朝からおかしな奴がいると通報を受けたんだ。ちょっと事情を聴かせてもらえるかな」
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