3
「空き家を調べたらどうだ」
犯人の住居でなくても、手掛かりがつかめるかもしれないと、ヨシムネは続ける。空き家が犯行現場かもしれないと言っているのだ。ネコに不法侵入という意識はないらしい。秋人だって、それで沙良を助けられるならと覚悟を決めた。
まずは一軒目。
秋人が原チャリを通行の邪魔にならない場所に止めると、ヨシムネはすばやくリックから飛び出した。
明るい満月に照らされた空き家は、白黒写真のようにコントラクトが強く、魑魅魍魎の住処に見える。ここに誘拐犯もいるって、鬼に金棒? いやいや、ことわざの使い方を間違っているか。
とにかく、俺に攻略できるとは思えない。
「情けないな。先に行くぞ」
さっきの覚悟は無残に崩れ去る。
恐い。
それでも自分を奮い立たせる。
インターホンはなく、鉄製の門が傾いている。押してみると、ガチャリと蝶番が壊れた。
思わず出た大きな音にびくりと体を震わした。暑いはずなのに冷や汗が吹き出す。
しばらく待ったが、誰も出て来なかった。
「おい。抱き上げてくれ」
茂る雑草の背が高くて、埋もれてしまったヨシムネがもがいている。バッタの鳴き声が一瞬だけ止み、すぐに何事もなかったかのようにまた鳴き始めた。
腕の中のヨシムネは「裏へ回れ」と指示する。
「うん……わ、わかった」
ヨシムネに気取られないように、深く、細く、息を吐き出す。
帰りたい。このまま引き返して、布団入り、朝まで穏やかに眠りたい。
「情けないな、先に行くぞ」
秋人の腕から抜けると、ヨシムネはひょいと、屋根から出ている庇に飛び乗った。
「オレがもし女を見つけても、助けられるのはお前だけなんだぞ」
ヨシムネの言葉が小さなスイッチを押した。
沙良にどこか好きなのか聞かれて、酷いこと言ってしまったことがある。でも今思い出すのは、カラオケが大好きなくせに音痴だったとか、やたら俺の耳を触るのが好きで、浮気はしてもいいけど耳だけは誰にも触らせないで欲しいと頼まれたこととか、全然別のことで、沙良の全部が大好きなんだと再確認する。
両手で頬をバシバシ叩いて気合を入れた。しっかりしろ。
沙良は俺しか頼れないんだぞ。
薄い板塀で隣家と隔たれていた。月とスマホの明かりを頼りに、ひっくり返ったプランターに躓いたり、絡みついてきた蜘蛛の巣に悲鳴を上げたりしながら裏に回る。
桟が腐っているのか、木の雨戸が二枚、ずり落ちて、行く手を阻んでいた。吐き出しの窓が割れている。
ガチャリと、家の中で音がした。
「……だ、だれ?」
廃屋と殺人犯って、ホラーとサスペンスを同時に体験してないか。
「明かりはないようだな」
ヨシムネが庇から顔を出した。
こんな夜空に光る金色の目を見て安心するなんて、俺の恐怖感覚は鈍ってしまったようだ。
「開けてみろよ」
「えええっ!」
ヨシムネが秋人の肩に下りて来た。後ろ足を肩に、前足を頭に乗せてバランスを取っている。
ネコはいいよな。いざとなったら素早く逃げられるんだから。
「ここまで来て、何言ってるんだ」
せめてなにか武器になるものを持ってくればよかった。後悔しながら辺りを見回すと、樋が落ちかけていた。
それを引き抜いて目の前にかざし、割れた窓に手をかけたとき、「キー」と獣の声がして、黒い物が割れた窓から飛び出した。
「わー」
驚いて尻餅をつく。それは玄関側へ走っていった。
「……なんだ?」
あぶねー。もうちょっとで失禁するところだった。
「ハクビシンだな。目の間に一本白い線があっただろう。このごろ増えてるんだ」
「そ、そうか」
そんなの知らないって。
とにかく動物で、殺人犯ではなかったらしい。当然お化けでもない。
がたがたいわせて割れた窓を開けると、月の光が部屋の中を照らした。さらにスマホの光を追加する。
獣の臭いはするものの、泥で汚れた板の間があるだけで人影はなかった。
ふらつきながら家の周りを一周して玄関に戻る。
「手掛かりなしか」
ヨシムネの言葉に、蚊に刺された首をガシガシ掻きながらに頷く。
それから空き家と思われる家を四軒回ったが、犯人に繋がるものや、沙良の行方を知る手掛かりは得られなかった。
あっさり見つかるとは思わなかったが体力をごっそり持っていかれた。昨日はいつもの中華料理店と建設現場の掛け持ちで、秋人の体力は限界を超えている。
座り込んで、蚊に刺された顔を掻いていた。完全に自分の方が怪しい人物だけど、誰も通りかからない。むしろ通りかかったら、その人から話を聞けるのに。
萌からメールがきて飛びつくと、行方は依然わかず、何人かで手分けをして捜しているとのことだった。
自分だけが沙良を捜しているのではないことに勇気づけられる。
もう一度スマホで調べてみると、少し先に、バス道に面したコンビニがあって、急に喉の渇きを覚えた。一歩も動けないと思ったのに、すくりと立ち上がる。
嫌がるヨシムネを拝み倒してまたリックに入ってもらう。
原付でしばらく走るとなじみの看板が見えた。
コンビニの入店音を聞き、自分が今安全な場所にいることを実感する。客はいないが男性店員が退屈そうにレジにもたれてスマホをいじっていた。
さっきまでの空き家捜索を思うと、コンビニは天国だ。ミネラルウォーターと消毒液を買って、レジにいる男性店員に話しかけた。
「すみません。この辺りで……この女性見てませんか」
スマホで沙良の画像見せながら、頭の中で話を組み立てる。
「怪しい男とか……」
店員は秋人の質問を無視して「動物」と、こちらの胸元を指さした。ペット入店お断りらしい。
しおしおとコンビニを出た。
ミネラルウォーターを飲んでいるとヨシムネがこちらを見ている。手のひらを丸くしてミネラルウォーターをたらすと、ヨシムネは、舐めるように飲んだ。
一息ついてから、蚊に刺された部分に消毒液を塗った。
傾き始めた満月が時間の経過を教えてくれる。朝になると捜索はしやすくなるけど、沙良の身はさらに危険にさらされる。
バス道をぽつぽつと車が走っている。遅い退社か早い出勤か。
目の前をバイクが通った。
ああ、新聞配達かと思ったら、突然強風が吹いた。バイクはもろにあおられ、よろめきながら止まった。形を崩した前かごの新聞を直している。
秋人とヨシムネは走ってバイクに追いついた。
「すみません。俺は怪しい者じゃありません。昨日いなくなった彼女を捜しているんです」
手に新聞を持ったおじさんは、秋人より一緒のヨシムネを見た。その目がだんだん三日月型に細くなっていく。
「この辺りでいなくなったのは確かなんです。怪しい男を見たとか、この頃変なことが起こっているとか、何かご存じありませんか」
頭を下げ、丁寧な言葉遣いを心掛けた。
「なにそれ?」
おじさんが耳を傾けてくれたので、昨日彼女と別れた後、誰かに連れ去られ、スマホのGPSでここまでたどったと、少し脚色して話した。
「警察は?」
聞いたくせにおじさんは「ああ、あいつ等はだめだわ」と顔をしかめた。
それから頭を掻くと、ウエストポーチに手を入れてガサガサ漁った。
「実は、これ拾ったんだ」
一枚の名刺を差し出す。
そこには工務店の名前とその営業職である女性の名前が印刷されている。
なんでそんなものをと思ったのが顔に出たみたいだ。
「ああ、この女性知らない? 今騒がれている連続殺人事件の被害者」
秋人の疑問を察したようでおじさんは言う。
どくんと心臓が跳ねた。沙良の誘拐と恐ろしい殺人事件が繋がるのか。
「この名刺、あそこのマンションで見つけたんだ。ポスト前の植え込み。女の名前だったから役に立つかもって、鞄に入れた。それが昨日取り出したらどこかで見たことある名前だなあって思って調べたら、事件の被害者だった」
女の名刺なら役に立つって発想がやばい人だけど、追及しない。
「警察に届けなかったんですか?」
これこそ警察だろう。
「いや俺、警察嫌いなんだ。でも兄ちゃんならネコ連れているし、好感持てる。ほれ、これやるよ」
名刺を秋人に渡すと、おじさんは背中を向けた。
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