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 こんなところで流ちょうに話を聞いている時間が惜しい。沙良に今、危険が迫っていると思うと頭が変になりそうだ。

「気をつけてくださいね」

 波子さんが寒そうに、浴衣の胸元をかき寄せた。

「大丈夫です」

 波子さんより、自分を励ますために言う。

 当然ネコ用ヘルメットはなく、ネコをバイクに乗せていいのか知らない。そこでヨシムネにはリュックに入ってもらい、頭だけ出した。そのリュックを胸のところで負って、会話しながら原チャリを運転する。腹でヨシムネの体温を感じながら、お巡りさんに見つかったら隠れてもらうように頼んだ。

 大きな通りまで走っただけで、体中から汗が噴き出した。深夜だというのに空気はぬるく澱んでいる。ヨシムネに言われて止まると、街路樹の下でお腹を付けて休んでいるトラネコがいた。二匹は「ニャー」「ニャー」とネコの言葉で話すと、トラネコがひょいと原チャリに飛び乗ってきた。リックの口を広くすると、ヨシムネと並んで入る。窮屈そうにしながらもヨシムネとトラネコが鳴きながら会話しているのを見て、ヨシムネは普通のネコなんだと妙に感心した。

 胸の辺りに二匹分の体温を感じながら出発した。

 トラネコが道案内してくれるのか、要所要所でヨシムネは「次を右」とか「ずっとまっすぐ」とか秋人に指示を飛ばしてきた。

 赤信号で止まったとき、秋人は尋ねた。

「なんで、人間の言葉が喋れるんだ?」

 夜の交差点は静かで本当は無視したいけど、お巡りさんに見つかったら面倒だから自重する。

「練習したに決まってるだろう」

 俺が英語を習うように、このネコが人間の言葉を練習している様を想像すると可愛らしい。

「赤ん坊のころに、精一さんと波子さんに拾われたんだ。そのときオレはかなり衰弱していたそうで、二人はつきっきりで看病してくれた」

 精一というのは波子さんの話によく登場する「おじいさん」のことだろう。

「自然に波子さんたちの言葉がわかるようになって話すこともできたから、自分も人間だって思っていた。波子さんたちはそれを特別扱いしないで自然に接してくれた。自分が人間の言葉が話せるネコだって知ったのは、体が回復して、外に出るようになってからだ」

 ヨシムネはさらりと話すが、秋人はありえないと思った。人間に育てられたネコは多くいるが、それで人間の言葉を話すようになったネコなんて、聞いたことがない。

「そのヨシムネって名前は誰がつけたんだ?」

「精一さんだ。テレビドラマの主人公。悪代官を叩き切る。胸の奥がスカッとするんだ。よく精一さんと見てた。そしたらいつの間にかヨシムネって呼ばれるようになっていた」

 徳川吉宗! 将軍様か。恐れ多い。ネコ将軍じゃないか。

 よっぽどこのクロネコが可愛いかったんだろう。 

 しばらく行くと止まるように指示を受け、トラネコはどこかへ行ってしまった。その代わりに別の白っぽいネコが現れてリックに収まる。

「すごいもんだな、ネコの情報網って」

 こんなネコのリレーで、沙良を連れ去った犯人にたどり着くなんて考えてもいなかった。

「今回は特別だ。その犯人にオレたちネコも恨みがある」

 白っぽいネコはヨシムネの言葉に合わせて「ニャー」と鳴いた。

「そいつはオレたちネコを捕まえて、残酷な方法で殺していた。だからオレたちもそいつを恨んでる」

 はじめは小動物を殺していたのが、エスカレートして人間を殺すようになる。そんな話を聞いたことがある。

「でもどうして、そいつが沙良を誘拐した奴と同じだって断言できるんだ?」

「俺たちを殺した奴は、服装こそ平凡なサラリーマンスタイルだったが、サルのマスクをかぶっていたと、仲間が言っていた」

 同じマスクか。それは同一人物である可能性が高いな。

 次に代わったのは毛足の長い灰色のネコだった。気位が高そうで、人間を警戒しているのか、原チャリの周りをぐるぐる回り、リックに入ろうとしない。

「おい、いい加減にしろよ」

 語気を強めた。一刻を争う事態なんだぞ。わかっているのか。

「待ってくれ、今説得してるんだ」

 なんとかヨシムネがなだめると、灰色のネコは原付のフットスペースにちょこんと収まった。足を開いて、灰色のネコをつぶさないように注意する。

「リックに入るのは、いざというとき逃げられないから嫌なんだそうだ。そのまま行ってくれ」

 なんだよそれ。信用ないな。落としたらどうするんだ。わがままなネコに手こずるものの、他に頼れる相手はいない。のろのろ進む。

 灰色のネコに連れていかれたのは、東京二十三区内とは思えない寂れた地域だった。路上に吐しゃ物が散乱し、町全体に饐えた臭いがする。

 灰色ネコの案内で原付を進ませながら、秋人はまだ夢の中にいるような気がした。

 ありえない。沙良が連れ去られたこともネコが喋ることも、全部あり得ない。

 誰かに「起きなさい」と揺すられて、夢から覚めたい。そんな密かな祈りのような願望を抱いていると、灰色ネコが暴れはじめた。

 原付を止めると、あっさり灰色ネコは逃げて去った。

「なんだよ。今の」

 舌打ちをしてリックを開くと、ヨシムネはひらりと地面に下りた。

「疲れるんだよ。リックの中」

 ヨシムネは前足と背中の両方を伸ばしている。猫背だもんな。

 この辺りは区画整備されていないのか、大きさの違う家がごちゃごちゃと建っていた。秋人が間借りしている場所も下町だが、ここは人が少なく荒れている感じがする。

「仕方ないんだ。あいつ、サルマスクに子どもを殺されて、人間嫌いになったんだ。それでもオレたちを案内してくれたのは、仇を討って欲しかいからだ」

 あの灰色ネコにそんな過去があったのか。自分の子どもが殺されるってどんなけ辛いんだ。

 鼻の頭がかっと熱くなる。

 秋人が心の中で灰色ネコに謝っていると、ヨシムネが言った。

「この公園だ。ここでネコたちは殺された」

 目の前に公園がある。看板はないが入り口に車止めのポールが立っていた。

 一歩中に入ると、あるのは街灯とベンチだけで、四方を背の高い木で覆われていた。草木が活発に活動しているみたいで青臭い。枝が公園側に張り出して街灯を隠しているから、闇にすっぽりはまってしまったような感覚がする。

 深夜にここで何かあっても、人の目に触れることはない。

 鳴いても騒いても誰にも助けてもらえずに殺されていったネコたちのことを思うと、背中がつんと冷たくなった。

「……それで、ここからは?」

「ここまでしかわからない。だが犯人はいつも歩いて来たから、近くに住んでいるはずだ」

 まじか。

 落胆を隠せない。

 自分が警察官なら、威厳と経験と情報と、すべてを駆使して捜し出すことができるかもしれないが、一般人の秋人には捜す範囲が広すぎる。

 味方はネコ一匹というこの状況でどうする。

 さっきから何度目になるかもしれないメールチェックをして、沙良から返信がないことを確認した。電話をしても出ない。萌も何も言ってこない。

 スマホのアプリでこの辺りの航空写真を出してみた。徒歩圏内と考えると、半径500メートル以内の場所に犯人は住んでいると考えていいんじゃないか。動物を殺すのは犯罪。見つかったときに逃げ帰る家は近い方がいい。

 北西から南東にかけて幅200メートルほどの川が流れている。橋を渡るのは一つのハードルになるから、犯人が普段からこの川を越えて公園まで来ていたとは考えにくい。川で区切ると範囲はぐっと狭くなった。

 原付に乗ってゆっくりとこの辺りを走ってみる。ヨシムネは背骨が伸びるから嫌だと言いながらも、もう一度リックに収まった。

 庭のない二階建てがぴっちりとくっついていたり、崩れそうな空き屋が放置されていたり、壁にひびの入ったマンションがあったり。それなりに人は住んでいる。

 マンションは後回しにすることにした。犯人の住んでいる可能性はあるが、隣との距離が近いから、犯罪を行うには適していない。何より軒数が多い。

 それでは一軒家を捜索するべきか。

 夜の二時半という深夜、明かりの点いている家はほどんどなかった。それでもシャッターを閉めれば明かりは外に漏れないわけで、犯行におよぶならむしろ、シャッターは閉めていると考えられる。

 一軒ずつ尋ね回るには時間が遅い。こっちの方が不審者扱いされるかもしれない。ただの変な人と思われるのはいいが、通報されて警察のお世話になると、沙良を捜せなくなる。

「せっかくここまで来たのに」

 朝まで待つこともできるが、一刻を争う事態だ。

「どうしたらいいんだよ」 

 ヨシムネを相手に弱音を吐いた。

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