第7話

 T君親子と水遊びに出かけた日は、帰路で光化学スモッグ注意報のアナウンスが流れた。町は薄い卵色の空気に覆われて、反論の余地の全くない灼熱だった。とにかくみんなが無事に家に着くまで、神経を使いながら自転車を漕いだ。私は頻繁にSとYの顔色を観察しつつ、自分の意識を保つことにも専念した。自分で自転車を漕いでいたSは、頬が赤色を通り越して赤紫色になるくらい茹だっていた。気を揉んだが、子供達は元気に帰宅することができた。

 おそらく、軽い熱中症だったのだろう。私はその後しばらくの間、全身の怠さが抜けず、頭もボンヤリとしたまま過ごしていた。子供達は特に変化はなく元気に過ごしていたので良かった。何日か上手く寝られない日々が続いた。体は疲れているのに、なぜか深く眠れていない感じがあった。夢の中で、水槽の向こう側にもう1人の自分を見たのは、昨日の朝だった。

 今朝は土曜日で仕事はないが、予定があるのでゆっくり寝ていられない。クーラーは深夜に切れる設定にしているため、朝方になると室温が上がり、肌がじっとり汗ばんでいる。私が布団から体を起こすと、Yもすぐに体をモゾモゾと動かし始め、目をうっすら開けてにっこり微笑んだ。Yは寝起きがとても良く、目覚めた瞬間から機嫌は良いし、よく喋る。

「ママ、おはよう」

「おはよう。可愛いね」

 カーテンの繊維越しに真夏の強い朝日が貫通し、Yの顔を明るく映し出してくれている。まだ完全に開ききっていない目は、愛らしい奥二重の線がはっきり露出している。長いまつ毛に縁取られた瞳は、目ヤニなど無く澄んで潤っている。ちょうど良い赤色の唇の間からは、白くて小さな乳歯が綺麗なアーチに並んでいる。耳たぶの下には、産毛が渦を巻くように薄っすら生え茂り、重要な役割を演じる名脇役のような存在感があった。Yの顔に見惚れているばかりもいられないので、私は寝室を出てトイレをすませ、コーヒーを淹れるために電気ポットでお湯を沸かし始めた。Yは隣の部屋に行き、

「Sちゃん、起きて。朝だよ」

と元気な声で姉を起こしに掛かっていた。

妹とは対照的に、Sは寝起きがとても悪く、自分で起きてくる事はまずない。私はドリップコーヒーをマグカップに淹れて、香りを吸い込んだら胸がすっきりして目が冴えた感じがした。一口啜ってコースターの上に置いてから、Sが寝ているベッドへ行った。案の定、Sは微動だにせず寝姿勢のままで、上にYが乗っかっても全く起きる気配がなかった。

「起きて!」

と言いながら、タオルケットをベロッとはがすと、パジャマ姿の全身が出てきた。

「ゔゔ〜」と唸りながら眉間に皺を寄せたものの、やはり目はつむったままで起きる気配はない。待っているだけで起きる事はまずないので、私はSの脇の下に前腕を差し込み、力づくで体を持ち上げた。なおも対抗して布団に逆戻りしようとするSの体は固く重い。しかし、ここでベッドから下さなければ起こす事は出来ないので、そのままズルズルとトイレの前まで運んだ。とりあえずここまでやれば、二度寝はないだろう。私はリビングに戻り、少し冷めたコーヒーを啜りながら、スマートフォンで今日の行き先を確認した。カルチャーセンターの銅版画講座に申し込んで当選したのだ。子供達の事は、前もって夫に頼んでおく手筈をつけている。

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