第29話
「やあセレーナ。今日も相変わらず可愛いね。……この一週間、ずっと会いたかったよ」
「……っ」
フィクスの登場と甘い言葉に、セレーナの顔がぶわりと赤くなる中、彼女は自分自身にこう言い聞かせた。
(……激しい鼓動よ、おさまれ)
こうやってフィクスと顔を合わせるのは、一週間ぶりだった。
フィクスが御前試合の準備で多忙だったこと、参加しなければならない社交の場がなかったことから、お忍びデートが終わってからというもの、以前と比べて会う頻度が格段に落ちていたのだ。
それに、会うと言っても、少し顔を合わせて会話をする程度だった。
けれど、それはセレーナにとって願ってもないことだった。
(やはり私は病気なのか? フィクス様を見ると、何故か胸が高鳴る)
というのも、セレーナは対フィクス限定の原因不明の胸の高鳴りに悩まされていたのだ。
お忍びデートの日以降、フィクスの顔を見ると、声を聞くと、触れられると、決まってそれは発動する。
痛いわけでもなく、苦しいわけでもない。
けれど、この高鳴りがなんなのかが分からないため、セレーナは困っていた。
(……ただ、今はそれどころじゃない。私のことよりも、兄様がフィクス様との約束を反故にしたかもしれないことの方が重要)
「フィクスめ、もう来たのか……」、「せっかくの楽しい時間でしたのに……」と、残念そうに呟くクロードとキャロルの発言は些か気がかりだったが、先程のフィクスの発言のほうが問題だ。
そのため、クロードたちの発言は無視して、セレーナはフィクスに問いかけた。
「おそれながら、フィクス様は兄に応接間で待機しろという命を?」
「そうだよ。キャロルへの挨拶のために登城させたんだけど、クロードならセレーナに一目散に会いに行って迷惑をかけることもあるかもと考えてね」
(フィクス様……さすがです)
迷惑……とまでは言わないが、クロードには困惑させられた。
現に、さっきまで何故かお茶会に付き合うことになって(お茶会を提案したのはキャロルだが)、罪悪感を抱いていたところだ。
「俺に急用ができたから、クロードには少し待つよう行っておいたんだけどね。待てができずに一人でここに来たってわけ。……まったく、周辺の騎士たちにクロードだけの場合は通すなと伝えるべきだっかな」
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません……」
頭を下げたセレーナだったが、フィクスに優しく頭を撫でられたことでピクリと肩が跳ねた。
「セレーナが謝る必要はないよ。まあ、結果的にお茶を飲むだけに留まったならいい。それに、どうせこの状況を作り出したのはキャロルだろう?」
「あら、フィクスお兄様、よく分かりましたわね?」
「お前がセレーナの兄であるクロードに興味を持っていたことは知っていたからね。簡単だよ」
フィクスはそこまで言うと、「さて」と呟き、未だに座ったままのクロードを見下ろした。
ゾッとするほど冷めた目なのに、口角だけでニッコリと微笑んでいるフィクスの表情は末恐ろしい。
周りの騎士たちは、全員体をガクガクと震わせていた。
「……クロード。今度こういう勝手なことをしたら、御前試合の日の発売する数量限定商品──『熊のベアたん、新緑のベレー帽マスコット』が手違いで手に入らないかもしれないね?」
「な!?」
クロードはテーブルに両手をつき、勢いよく立ち上がる。
そして、フィクスを睨み付けた。
「そ、それはだめだ……! というか前に限定商品は必ず手に入れると約束したじゃないか!」
「……そうだっけ」
しれっと忘れたふりをするフィクスもあれだが、王族二人の前で声を荒げるクロードもクロードである。
さすがに止めなければとセレーナが声をかけようとすると、先に口を開いたのは目尻をキット吊り上げたキャロルだった。
「フィクスお兄様! クロード卿にあまり意地悪をしないでくださる!?」
「……その発言の意図は?」
確信を持った声色のフィクスの問いかけに、キャロルは零れんばかりの大きな瞳でセレーナを映した。
「そんなの! 愛しのセレーナの兄君に好かれたいからに決まっていますわ!!」
「身も蓋もないな」
「素直と言ってくださるかしら?」
「はいはい」
それから約五分ほど、フィクスとキャロル、クロードの三人はあーだこーだと会話(半分口喧嘩)を繰り広げた。
これは変に止めないほうが早く終息するかもしれないと考えたセレーナは、周囲の警戒をしながら時が過ぎるのを待ったのだった。
「──それで、フィクスお兄様はどうしてこちらにいらっしゃったのですか? お忙しいのですから、単にクロード卿に意地悪を言うためではないのでしょう?」
三人が落ち着きを取り戻した頃、フィクスにそう問いかけたのはキャロルだった。
侍女たちが今だ! と言わんばかりに紅茶のおかわりを注ぐ中で、フィクスはセレーナにニコリと微笑んだ。
「ああ、セレーナに少し用事……というか頼みがあってね」
「頼み……? なんでしょうか?」
近々参加しなければならない社交の場があるのだろうか。
そんなことが頭に過ったセレーナだったが、どうやらそうではなかったらしい。
「俺も御前試合に参加することは知ってるよね?」
「はい。もちろんです」
「最近王子としての仕事が忙しくかったんだけど、ようやく落ち着きそうでさ。久々に軽く剣で打ち合いたいから、訓練場で手合わせしない?」
「……! えっ、私とフィクス様がですか?」
「そう。御前試合が日にちが近いから、お互い木刀を使って、怪我をしない範囲でね」
フィクスはかなり腕が立つ。騎士として人望も厚い。加えてマクファーレン王国、第三王子。
そんな彼が手合わせをしたいというならば、おそらく多くの騎士たちがその相手に名乗りを上げるだろうに。
(何故私を? いや、それ以前にそもそも……)
セレーナは頭の中に疑問符を浮かべた後、フィクスに軽く頭を下げて、断りを入れた。
「お誘いは大変ありがたいのですが、今はキャロル様の勤務中です。傍を離れるわけにはまいりませんので、今回は──」
「良いわよ! セレーナ! 私が許可するわっ!」
「はい?」
……というのに、セレーナの発言を遮って、手合わせの許可を出したのはキャロルだった。
「あ、あのキャロル様……?」とセレーナが伺うように声を出せば、キャロルはニヤリと口角を上げてから、口を大きく開いた。
「だって、私がその手合わせに同行すれば、セレーナが私の傍を離れることにはならないでしょう? フィクスお兄様は当然として、クロード卿にも着いてきてもらえば、もし侵入者が来ても安心だわ! それにほら、御前試合みたいに本気で剣を交えるわけじゃないんでしょ!? それなら安心だし……。他にも、御前試合の時の王族の席って、確か安全のためになり離れていて、セレーナの勇姿が近くで見られないのよ! だから代わりに、セレーナが手合わせしているところを近くで見たいわ! しっかりとこの目に焼き付けたいわ! お願いセレーナ!!」
「キャ、キャロル様……」
ハァハァ……と、息を乱して必死に話してくれたキャロルに、セレーナは感動を覚えた。
(なんたる熱量でしょう……。私は本当に幸せ者だ)
ここまでキャロルに言われたら、セレーナがフィクスの頼みを断る所以はない。
「セレーナの手合せなら俺も見たい!」クロードも着いてくる気が満々のようなので、セレーナはフィクスに向き直った。
「フィクス様、若輩者ではありますが、手合わせの相手を務めさせていただきます」
「良かった。なら行こうか」
しれっとセレーナと手を繋ごうとするフィクスをキャロルとクロードがガードしながら、一行は騎士団棟の近くにある訓練場に向かった。
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