第28話

 

 フィクスとのお忍びデートから、約一ヶ月が経った日の正午のことだった。

 いつもは自室で昼食を摂るキャロルは、今日は気分転換には王女宮の庭園でテーブルを広げ、食事をしていた。


「ん〜! 美味しいわ! 美しい庭園に囲まれた中、太陽に照らされ、そよ風で髪が靡いているセレーナを見ながらいただく食事は本当に絶品ね!」 


 キャロルがそう話す中、彼女の横側で護衛に当たっていたセレーナは、腰を屈めるとキャロルの口元へと手を伸ばした。


「キャロル様、美しい御髪が口元に入りそうですので、少々失礼いたしますね」

「ふぎゃー! セレーナの指先が私の唇に一瞬触れたわ〜! 好きぃ……!!」


 キャロルの幸せそうな甲高い声と同士に周りに居る侍女たちも「「キャー!!」」と黄色い声を飛ばす。 


 いつもの穏やか──いや、賑やかな日常がそこにはあった。


(さて、今のところ危険はないかな)


 そんな中でも、セレーナは常に周囲を警戒していた。

 もちろんセレーナ以外の騎士も周辺に待機しているし、そろそろ王女宮に不届き者が入ってくるなんて、かなり可能性としては低いのだけれど。


(とはいえ、今この瞬間何が起こるか分からないもの)


 キャロルやその侍女たちには穏やかな笑顔を浮かべながら、セレーナがそんなことを思っていた時だった。


「セレーナ!」

「……! この声は……!」


 庭園の入口から聞こえた、馴染みのある低い声。

 尋常ではない速度でこちらに近付いてくる、漆黒の髪の長身。

 帯剣にマスコットを携えた男性など、この国には一人しか居ないだろう。


「兄様……! 何故ここに……!?」

「セレーナ! 久しぶりだな! 会いに来たぞ!」

「ちょ、離れてください兄様……!」


 クロードに思い切り抱き締められたセレーナは、後方に倒れそうになるのを必死に耐えて、兄の背中をバンバンと叩く。

 周りの騎士たちがクロードを止めに来ないので、クロードはきちんと許可を取ってこの場に居るのだろう。


 だが、この場所で最も高貴であるキャロルに挨拶することなく突然セレーナに抱擁をするなんて、クロードの行動は不敬にほかならない。


「兄様! 王女殿下の前です! 一旦手を解いて、きちんと挨拶をなさってください! 従ってくださらないのであれば、しばらく口を聞きませんよ!」

「……! 分かった」


 だから、セレーナは心を鬼にしてクロードに厳しい言葉をかけたのだが、思いの外効果があったらしい。

 クロードは直ぐ様セレーナから手を離すと、キャロルの近くに行き、片膝を地面につけて頭を下げて、謝罪の言葉を口にした。


「王女殿下、この度は大変申し訳──」


 しかし、クロードの言葉が全て紡がれることはなかった。


 椅子から立ち上がったキャロルが、クロードに対して宝石のようなキラキラとした目を向け、話を遮ったからだった。


「まあ、貴方が噂に聞くセレーナの兄君──クロード卿ですのね! 初めてお会いしますわ……! どうぞお顔をお上げになって!? 愛しのセレーナの兄君ですもの、謝罪もお固い挨拶も不要ですわ……! あっ、なんなら一緒にお茶はいかがですか!? セレーナの幼い頃の話や、兄君から見た妹としての可愛いセレーナの話を是非お聞かせくださいませ……!!」


 キャロルの発言に、クロードは素早く顔を上げて、目に零れ落ちんばかりの涙を浮かべた。


「お、王女殿下……! セレーナからとても良くしていただいていると話には聞いておりましたが、そんなに我が妹のことを愛してくださっているのですか!? 是非お話させてください! 良ければ俺にも、騎士として勤めている際のセレーナの様子を教えていただきたく!」

「ええ! ええ! もちろんですわ!」


 そして、キャロルが手を差し出したことにより、二人は握手を交わしたのだった。


「王女殿下……!!」

「クロード卿……!!」

「キャロル様も兄様も、なにを話していらっしゃるのですか!?」


 セレーナのこれ以上ないほどに動揺した声が庭園に響く。

 もしかしたら、デビットに婚約破棄をされ、フィクスとキャロルが助けに現れた時よりも動揺しているかもしれない。


(キャロル様が兄様を不敬だと罰しないのは救いだけれど、この状況はどういうことだろう……)


 熱い視線を絡ませ合うキャロルとクロードに、セレーナは頭を抱えたくなった。



 ──それから約十分後。


「せっかくだからセレーナも一緒にお茶を飲みましょう!? ね!? ね!? ね!?」というキャロルの押しに負けたセレーナは、キャロルとクロードと共にテーブルを囲んでいた。


 ここには国一番の剣の使い手であるクロードが居るため、危険なんて合ってないようなものなのだ。

 だが、勤務時間に護衛対象とお茶を飲むなどという職務怠慢をしている自分自身に、セレーナは罪悪感を抱いていた。


(けれど、キャロル様のご指示だから席は立てないし、侍女の方々が淹れてくれたお茶に手を付けないのも失礼だし……)


 セレーナはティーカップを手に取ると、乾いた喉をコクリと喉を潤した。


 それからセレーナは、二人の様子をぼんやりと見つめる。


「クロード卿! それで!? それでどうなったんですの!?」

「当時、三歳のセレーナは父が戦場に行くのを寂しがりながら涙を堪えて、『にいしゃまとまってますから、おとうしゃま、はやくかえってきてくだしゃいね』と父を送り出したんです 俺の! 俺の手をギュッと握りながら!!」

「はぁ〜! 尊い! 叶うなら幼い頃のセレーナに会いたかったですわ……!!」


 キャロルとクロードは、最低限の挨拶を終えた後、息をするのも忘れたかのように、ひっきりなしに話している。

 二人が直接会ったのは今日が初めてだというのに、尋常ではないスピードで仲良くなっているようだ。


(お二人共、以前から互いに会ってみたいと話していたから、当然といえば当然なのかもしれない。……あっ)


 はたと、とある疑問が頭に浮かんだセレーナは、「話の腰を折って申し訳ありません」とキャロルに謝罪してから、クロードに話しかけた。


「そういえば、兄様は何故こちらに? 御前試合の件でしょうか?」

「そうだ! 三日後に御前試合が行われ、セレーナも出場するだろう? 御前試合の間はセレーナが王女殿下の護衛に当たれないから、その間だけ代わりに俺が任命されることになったのは知ってるよな? だから今日はその挨拶に来たんだ」

「……理由は分かりました。しかし、マスコットの入手については問題はないのですか?」


 御前試合とは、王や王族の前で騎士たちが剣を交え、最強を決める催し物だ。

 御前試合当日には城下町は祭りのように賑わい、試合会場も一般開放される。


 偶然にも、毎年御前試合の日はクロードが溺愛するチビマスコットシリーズの数量限定商品がが発売されるので、クロードは毎年欠場していたのだ。


「ああ! フィクスが部下に、必ず入手するようにと命じたらしい。万が一にも手に入らないことがないように、夜が明けない内から店の前に並ぶよう注文を付けておいた」

「左様ですか」


 嬉しそうに話すクロードだったが、セレーナは若干頬を引きつらせた。


(大体の店が開くのは、おおよそ午前九時のはず。それなのにそんな時間に並ぶって……)


 ……と、それはさておき。

 セレーナはクロードからキャロルに視線を移し、真剣な瞳で見つめた。


「御前試合ではキャロル様の専属護衛騎士として、必ずキャロル様に勝利を捧げます」

「きゃぁぁ! 嬉しいぃぃ……!! でもあんまり無茶はしちゃだめよ!?」


 瞳をうるうるとさせてキャロルに、セレーナは胸がジーンと温かくなる。

 セレーナは力強く頷いた。


「はい、肝に銘じます」

「絶対よ!? 絶対だからね……!?」

「……ふふ、はい」


 ──そう、セレーナが微笑を浮かべた時だった。


「クロード。お前ね、応接間で待機してろって言ったの聞こえなかったの?」


 まるで氷点下が訪れたような冷たい。

 そんな声が後方から聞こえたセレーナは、バッと背後を振り向いて立ち上がった。


「フィクス様がどうしてこちらに……?」

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