第27話
その後、セレーナに鳩尾を膝蹴りされた男性は、その場に気絶して倒れた。
街の治安が保たれたこと、女性が連れて行かれずに済んだことから、一連の出来事を見ていた人々はセレーナを拍手で讃えた。
「あの、騎士様! 本当にありがとうございました……!!」
セレーナが助けた女性も安堵の表情を浮かべていて、感謝の言葉を述べられる。
「いえ、お嬢さんがご無事でなによりです。怖かったでしょう?」
そう言ってセレーナが女性の手をギュッと握ると、「最初から思ってましたけど、かっ、格好良い方……!!」となにやら興奮気味に手を握り返された。
おそらく恐怖の反動で動揺しているのだろうと、セレーナはそう考えていた、のだけれど。
「あーあ。またセレーナを好きな人が増えたね」
「……! フィクス様……!」
人混みの奥からスッと現れ、腰に剣を携えたフィクスに話しかけられた瞬間、セレーナの顔はさあっと青ざめた。
フィクスはお忍びで城下町に来ているのに、その連れであるセレーナが騒ぎの中心に居るためである。
「あの、申し訳ありません、フィクス様。これには色々と事情が……」
セレーナが眉尻を下げてそう伝えると、フィクスは一瞬キョトンとした顔をする。
しかし、直ぐにセレーナがなにを考えているのかを理解したのか、フィクスはふっと口元を緩めて、セレーナの頭にぽんと手をやった。
「大丈夫だよ。この状況を見れば大方のことは分かるから。むしろ、セレーナは騎士として立派に市民を守って偉いよ」
「フィクス様……」
「……とはいえ、さっさとこの騒ぎは落ち着かせないとね」
フィクスはそこまで言うと、親指と人差指で指をパチンと鳴らす。
すると、通りに並ぶ家の屋根の上から、数名の騎士が飛び降りて来て、フィクスの近くへと駆け寄った。
王族であるフィクスの外出には、必ず護衛がつく。
セレーナはそのことが分かっていたので、彼らの登場に驚くことはなかった。
「お前たち、この気絶している男の処理を頼むよ。それと、この辺りの見回りを強化するよう、担当の者に直ちに連絡しろ」
「「ハッ……!」」
それからは早かった。
フィクスの指示に従って騎士たちが対応に追われる中、フィクスとセレーナはしれっとその場を後にしたのだった。
──そして、現在。
「いやー、それにしても……。セレーナの膝蹴りは大したものだね。あの男、完全に気絶してたし」
──空が薄っすらと赤く染まる頃。
第三王子宮に到着したセレーナとフィクスはエントランスからセレーナの部屋に向かって歩いていた。
話題は専ら、先程のセレーナの活躍についてだ。
「女性をいち早く開放し、他の方々に迷惑をかけず、また建物に被害を与えずにあの男を大人しくさせるとなると、鳩尾を蹴るのが一番と判断しました」
「はは、セレーナらしい理由だね」
静かな宮殿内に、フィクスの楽しそうな笑い声が響く。
騒ぎを起こしてしまったことについては、フィクスは本当になんとも思っていないようだ。
(フィクス様がお優しい方で良かった)
セレーナがホッと胸を撫で下ろすと、ちょうど自室の前に到着する。
フィクスと向かい合うと、深く頭を下げた。
「フィクス様、部屋まで送ってくださり、ありがとうございました」
「ううん、こちらこそありがとう。可愛いセレーナが見られて嬉しかったよ」
「……っ、相変わらずお戯れがお好きですね……」
「はは。まだ信じてもらえないなんて心外だな」
わざとらしく眉尻を下げ、傷付いたような振りをするフィクス。
セレーナはぐっと言葉を詰まらせる。
けれど、言わなければならないことがあるのを思い出し、勢い良く頭を下げた。
「……フィクス様。改めまして、騒ぎを起こしてしまい申し訳ありませんでした」
「ほんと、セレーナは真面目だね。さっきも言ったけど、セレーナは騎士としてなにも間違ったことはしてないよ。むしろ、ああやって当たり前のように人を救う姿は、とても立派だった。格好良かったよ。だから、謝るのはもうこれでおしまい」
「…………」
今になって思えば、四年前──セレーナがキャロルの専属護衛騎士になってからもそうだ。
フィクスは、女性騎士という立場を下に見てくることはなかった。
どころか、真面目に仕事に取り組めばいつも労りの言葉をかけてくれて、成果を上げれば正当に評価してくれていた。
(甘い言葉をかけてきたり、よく誂ってきたりするから、あまりそこを意識したことがなかった……)
セレーナは顔を上げて、フィクスをジッと見つめる。
「……ん? どうしたの?」
そう言って、フィクスは愛おしい者を見るような目で見つめ返してくる。
「……っ」
セレーナの全身が熱くなり、胸は何故かドキドキと激しく脈打った。
(緊張した時とも違う、運動した時とも違う……。この鼓動の速さは、どうしてなんだろう)
「……か、寛大なお心に、感謝、いたします」
少し考えてみても分からなくて、セレーナはフィクスの目から逃れるように再び頭を下げる。
すると、「顔を上げて目を瞑ってくれる?」とフィクスに尋ねられたセレーナは、その指示に従った。
「あの、なにをなさるんですか……?」
「変なことはしないよ。俺が良いって言うまで、目を瞑ってて」
「は、はい」
視界は黒一色で、なにをされるのか全く分からない中、セレーナは直立不動でその時を待つ。
(あ、この香りは……)
鼻腔をくすぐったのは、フィクスが好んで付けている香水──シトラスの香りだ。
人が接近している気配を感じることからも、おそらくフィクスが至近距離に居るのだろう。
「……ん、良いよ。首元見てみて」
そして、香りと気配が離れた瞬間、その時は訪れた。
「あ……このネックレスって──」
セレーナはフィクスに言われたように自分の首元を見る。
そこにあったのは、武器装具店で見ていた、細身のチェーンのネックレスだった。
「……うん、セレーナはシンプルなのも似合うね」
「え? え? な、何故これを私に……?」
確かに武器装具店では、このネックレスに目を奪われた。
今度買いに来ようとさえ思ったけれど、それだけだったはずだというのに。
「セレーナがこのネックレスのこと物凄く見てたことに気付いてたんだ。剣を受け取りに行った時に確認したら、セレーナ好みの効果だったから……プレゼントしたら喜んでくれるかなと思って」
「そんな、受け取れません……! パーティー用のドレスやジュエリーも沢山用意していただきました。それなのに、これまで……」
ネックレスを外そうと、セレーナは首の後ろに手を回そうとする。
しかし、その手はフィクスによって捉えられていた。
「あんまり寂しいこと言わないでよ。嫌じゃなければ、今日のデートの記念に贈らせて」
「しかし……」
フィクスはセレーナの腕から優しく手を離し、言葉を続けた。
「それに、ドレスやジュエリーは俺の婚約者として社交場に参加するためのものであって、セレーナが欲しかったものじゃないでしょ? 俺は一つくらいセレーナの欲しいものをあげたかったんだ。……少しでも、喜んでほしくて」
「……っ」
不安が見え隠れする、僅かに照れたフィクスの表情。それは、いつもの意地悪な表情や笑顔からを見せる彼からは想像ができない。
初めて見たそんな彼に、セレーナの胸は再び再び激しく高鳴った。
まるで本物の婚約者に言うような台詞を囁かれて、セレーナはどうしたら良いのか分からなくなる。
(仮初の婚約者の立場で、ここまでしていただくわけには……)
けれど、セレーナは感覚的に分かってしまったのだ。
もし断れば、フィクスの表情は、悲しげに曇ってしまうかもしれないと。
(……それは嫌だ。それに)
喜んでほしいからと贈り物をしてくれたフィクスの気持ちが、どうしようもなく嬉しい。
だから──。
「フィクス様、ありがとうございます……っ! とても欲しいと思っていた品だったので、贈ってくださって嬉しいです……!」
ネックレスに優しく触れながら、セレーナは満面の笑みを浮かべて喜びを伝えると、フィクスの頬がポッと赤らむ。
フィクスはすかさず口元を手で覆い隠して、パッとセレーナから視線を逸らして、ぽつりと呟いた。
「…………それなら、良かった」
絞り出したようなフィクスの言葉に、セレーナは何故かまた胸が高鳴った。
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