第26話
それから数分が経ち、セレーナが冷静さを取り戻した頃、「そろそろ行く?」と声をかけてきたのは、至極楽しそうなフィクスだった。
「……ご機嫌ですね。フィクス様があまりに恥ずかしいことを仰るから、周りの方々が気まずそうに席を立ったのをお忘れですか? 本当に悪いことをしました……」
先程まで賑わっていたテーブル席が、今はセレーナとフィクスの周りだけ閑散としている。
これも全て、周りのことを考えずにフィクスがセレーナに甘い言葉を吐いたからなのだが、当の本人のフィクスはあまり気にしていないようだった。
「はは、珍しくセレーナが怒ってる。ごめんね? 今度ああいうことを言う時は、人が居ないところで言うから機嫌直してよ」
「……っ、人が居なくとも言わないでくださると有り難いのですが」
「それは無理な相談」
要求をバッサリ切られ、セレーナは一瞬たじろいだ。
だが、動揺すればするほどフィクスのペースになることは分かっているので、セレーナは話題を戻すことにした。
「……それで、次はどちらに行かれるのですか?」
「そろそろ剣の手直しが終わったと思うから取りに行こうと思うんだけど、いい?」
「はい。それでしたらお供いたします」
「ありがとう、セレーナ」
その会話を最後に、セレーナはフィクスと共に一番後にした。
二人が去った後、席を立った数人はセレーナたちの後ろ姿を見ながら、「聞いてるこっちが小っ恥ずかしかった……」とぼやいていたという。
「じゃあ、剣を受け取ってくるから、ここで待っててね」
「承知しました。お気をつけくださいませ」
武器装具店の目の前に到着して直ぐのこと。
店内はかなりの人混みだったため、フィクスだけが入店することになった。
一方セレーナは、店から数メートル離れた、一本中に入った通りの壁際に凭れ掛かるようにしてフィクスを待っていた。
フィクスが剣を受け取り次第、ここに来てくれることになっている。
「……ハァ。まったく、フィクス様はどういうつもりなのだろう」
人通りが少ないここでは、ポツリと呟いた言葉は誰の耳にも届くことはない。
セレーナは腕組みをして思案を始めた。
(フィクス様がなにを考えていらっしゃるのか、皆目見当がつかない)
フィクスはスカーレットが好きなはずだ。それなのに、何故仮初の婚約者になりたいという提案を受け入れたのか。
何故お忍びのデートに誘うのか、何故甘い言葉を囁いてくるのか。
「……全然分からない」
──眉間に皺を寄せ、セレーナが独り言ちた時だった。
「あの、離してください……っ」
「……!」
怯えた女性の拒絶を示す声は、フィクスが居る武器装具店の通りの方からだ。
セレーナは急いで大通りに出ると、体格が良い男性に囲まれ、怯えている女性を目にした。
「あれか……!」
周りの人々の多くは女性のことを心配した様子で見ているが、男性が怖いのか、助けようとする者は居ない。
囲まれている女性は無理矢理手首を取られていて、走って逃げ出すことも叶わないようだった。
「お姉さん可愛いから誘ってやってんじゃねぇか〜。俺に声をかけられるなんて光栄だろう?」
ニヤリとした顔付きで、勝手なことを口にする男性の声がセレーナにも届く。
(……意味の分からない持論を述べて女性を怖がらせるなんて──。早く助けなければ)
セレーナは女性たちの周りに居る人々を避けながら急いで現場に向かう。
「……こちらのお嬢さんから手を離していただいても?」
そして目的地に到着すると、女性の手首を掴む男性の腕を掴みながら、そう口にした。
セレーナにギロリと睨みつけられたその男性は、一瞬怯んだ表情を見せたものの、セレーナが女であることを理解すると、直ぐ様強気に出た。
「あぁ? なんだよお前! 離せ!」
「た、助けて……!」
セレーナは女性に穏やかな笑顔を見せると、直ぐ様男性を鋭い目で睨み付けた。
「そちらが先に離してください。私はこれでも騎士です。大人しく引いた方が身のためだと思いますが」
「はあ? 騎士? こんなほそっこい女が? 嘘言ってんじゃねぇよ!」
(昔はよく言われたな、これ)
女に騎士は務まらないとか、そんな細い体じゃ誰も守れないとか、仲間の騎士たちの数名に何度か言われたものだ。
(良い気分はしないけれど、今はそんなことどうでいい)
男性が罵ってこようとも、女だと馬鹿にされようとも、今は目の前の女性を救うことが最優先なのだから。
「女性に謝罪して、ここを去るつもりはないということでいいですか?」
確認するようにそう言うと、男は「フハハッ!」と大口を開けて笑う。
「馬鹿かお前! ああ、そうだ! せっかくだからお前も一緒に遊んでやるよ!」
そう言って、空いている方の手でセレーナに手を伸ばしてくる男性に対して、セレーナは小さく溜息を吐く。
(……仕方がない。あまり物騒な真似はしたくなかったけれど、これは口でなにを言ってもだめなタイプだ)
騎士とはいえ、民間人相手にあまり手は出したくない。
可能な限り言葉で片付けたかったけれど、無理そうなのであれば、致し方ないだろう。
「お嬢さん、直ぐに終わらせますから」
「えっ……」
セレーナは女性に穏やかな声でそう言うと、こちらに伸ばしてくる男性の手を思い切り掴み、地面に向かって引き下げた。
「なっ!? いてててっ……!」
痛みと驚きからバランスを崩して前のめりになった男性は、女性の手首から手を離す。
それを確認したセレーナは、こうポツリと呟いた。
「……お嬢さんを怖がらせた報いです」
それから男性の鳩尾に向かって、膝蹴りを食らわせたのだった。
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