第25話
剣の手直しも行ってくれる武器装備店に訪れたセレーナは、フィクスが店主と剣の手入れについて話している間、店に並んでいる剣や盾、その他の装備品を見ていた。
(初めて入ったお店だけれど、フィクス様が通われるだけあってさすがの品揃えと品質……。値が張るのも仕方がない。……あ、これ)
そこでセレーナの目に付いたのは、装備品の中でも一際地味なネックレスだった。
セレーナは少し腰を屈めて、それをじっと見やる。
飾りが付いておらず、細みのチェーンだけのそれは、騎士としての勤務中でも着けられそうだ。
(へぇ。こういうネックレスもあるのね。……えーっと、それで効果は……筋肉増強と疲労回復、それに耐久力も上がる!? このネックレスを着けるだけで、三つも効果が……!?)
セレーナがいつも行く店には、効果が単体の装備品しか売っていなかったので、驚くのも無理はなかった。
(これ欲しい……。今日の手持ちじゃ足りないけれど、今度貯金していた分を持ってくればなんとかなりそう)
自分の蓄えがどれほどあるか把握しているセレーナは、また今度来た時に買おうと決意した。
「店主、夕方までに頼むよ」
「へいっ! かしこまりました!」
「セレーナ、待たせてごめんね。行こうか」
すると、店主と話を終えたらしいフィクスが話しかけてきたので、セレーナは「はい」と行って、二人で店外へと出る。
当たり前のように手が繋がれたことにセレーナは若干動揺したものの、それを面に出すことはなかった。
「セレーナ。どこか行きたい店とか、したいこととかある?」
人通りがかなり多い大通り。
フィクスにそう問いかけられたセレーナは、一瞬頭を悩ませから口を開いた。
「そうですね……。先日街で必要な買い物は済ませてあるので、これと言って用事はありません」
「……へぇ。因みにその時って、誰かと出かけたの?」
先程までとは違い、フィクスの声は地面を這うような低い。
どうかしたのだろうかという疑問を持ちながら、セレーナは答えた。
「いえ、一人でですが。それがなにか……?」
「いや、それなら良いんだ。……じゃあ、セレーナさえ良ければ、今日は俺に付き合ってもらってもいい?」
(あれ? もう声がもとに戻っている)
フィクスの声の変化の理由は分からない。
だが、笑顔を浮かべるフィクスに水を指すのもどうかと思い、セレーナが疑問を口にすることはなかった。
「もちろんです。どこから行かれますか?」
「今日は近くにサーカスの一団が来ているみたいなんだよね。予約しなくても会場に入れるみたいだから、行かない?」
「サーカス! 実は前から興味がありまして……。是非行きましょう」
「はは。それなら良かった」
それからセレーナは、フィクスと共にサーカス団が集まる会場へと足を運んで演目を楽しんだ。
空中ブランコにジャグリング、マジックなど見たことがない様々な演目に、それはもう胸が踊ったものだ。
「セレーナ、小腹がすかない? 次は市場を見て回ろうか」
「はい」
サーカス団の演目を見終わってからは、フィクスに連れられて市場へと向い、串に肉が刺さったものや、冷えたフルーツジュースを購入した。
座る場所を探す最中話したことは、騎士の訓練でなにが一番大変だと思うか、好きな本はあるのか、苦手な食べ物はあるのかといったものだ。
「へぇ、セレーナは人参が苦手なんだ」
「はい。こう、若干甘みがあるところが得意ではなくて……」
「なるほどね。じゃあ今度ディナーに誘う時は、シェフに言って人参は抜いてもらわないとね」
「……! あの、そこまでではありません。苦手ではありますが、食べられますので心配は無用です……!」
騎士たるもの、苦手なものでもきちんと食べるべし。
そう言う考えを持っているセレーナは、焦った表情でフィクスにやや反論した。
「無理しなくていいのに」
「無理ではありません……!」
「ほんとに? 必死なところが怪しいなぁ」
「……っ」
薄っすらと目細めるフィクスの声は弾んでいる。
なにがそんなに楽しいのだろうと怪訝そうな顔を見せるセレーナに対し、フィクスは少し先を指差した。
「あ、ベンチとテーブルがあるから、あそこで食べようか」
「あ……はい! 承知しました」
複数のベンチとテーブルが用意されているそこは、おそらく民たちが市場で購入したものを食べるために用意されているのだろう。
「セレーナ、こっちにおいで」
テーブルとベンチを利用している人がかなり多いため、向かい合って座ることは難しそうだ。
そのため、セレーナはフィクスの指示に従って彼の隣に腰を下ろす。
「さて、いただこうか」
「はい、そうしましょう」
食事をする民たちに溶け込み、二人はまず串に刺さった肉にかぶりつく。
少し冷めてしまっているが、こんがりと焼かれた香ばしさと、ジューシーな肉汁が口の中に広まって、かなり美味しい。
「フィクス様、美味しいですね……!」
「本当だね。このフルーツジュースも中々いけるよ。口の中がさっぱりする」
「あ、本当ですね……。これも中々……」
もぐもぐもぐ。もぐもぐもぐ。ごくり。
あまりの美味しさに、セレーナは会話を忘れて食事に夢中になる。
(本当に美味しい……。それに、サーカスも面白かった)
今までも城下町に来たことはあったが、いつも必要なものを買うだけでこんなふうに市場で食事をすることなんてなかった。
フィクスが外出に誘ってくれなければ、サーカスの面白さも、この美味しさも、知ることはなかっただろう。
「……そう考えると、本当に感謝ですね」
「……ん? どうしたの、セレーナ」
「今日はとても充実した一日を過ごさせていただいているので、フィクス様に感謝しなければと思っていたところです」
「はは。大袈裟だよ。……あ」
フィクスはセレーナの顔を見てなにかに気が付くと、彼女の口元に向かってスッと手を伸ばす。
「……! あの──」
一体何ごとだろうかと目を見開くセレーナの一方、フィクスは彼女の口元を親指で拭うとニヤリと微笑んだ。
「セレーナ、肉に絡んでたソースが口元に付いてたよ」
「……! はしたないところをお見せしてしまい、申し訳ありません……! 手に付いた汚れはこのハンカチをお使いくださ──」
しかし、セレーナがポケットから取り出したハンカチを、フィクスは受け取ることはなかった。
「大丈夫。むしろ役得だから」
そう言ったフィクスが、セレーナの口元を拭った親指を自分の口元に運んで、ちろりと舐めたからであった。
「……!? なっ、なっ!?」
(舐めた……!? こんな人前で、仮初の婚約者相手に、この方はなにしているの!?)
セレーナの顔は真っ赤に染まり、驚きのあまり口がパクパクと開く。
というのに、当事者の一人であるフィクスは、涼しい顔をしてしれっと言ってみせた。
「食べ物は美味しいし、サーカスは面白かったし……なにより、セレーナの可愛い反応が見られたし、今日は最高の一日だよ」
「〜〜っ!? お戯れが過ぎます、フィクス様……!」
フィクスの言葉が恥ずかしいのはもちろんのこと、周りの人々の、いちゃついてんなぁと言わんばかりの生暖かい視線に耐えられない。
(む、無理……!)
食事も終わったので、一刻でも早くこの場から立ち去りたい。
そう、切に願ったセレーナは、勢いよく立ち上がった、のだけれど。
「婚約者の口元にソースが付いてたら、そりゃあ拭うし、その指は舐めるでしょ。直接舐めなかっただけ自制したと褒めてほしいくらいなんだけどな」
「ちょ、くせつ……!? じせい……!?」
こちらの気持ちなどお構いなしに、フィクスはとんでもないことを口にする。
セレーナはあまりの恥ずかしさに全身から力が抜け、ぺたんともう一度ベンチに腰を下ろしたのだった。
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