第15話

 

 ◇◇◇



 セレーナに言われた通りの部屋の前に経つと、猫撫で声で話す男の声が聞こえてくる。


(クロード……。らびたんだの、にゃんちゃるだの……一人でマスコットに話しかけているのか?)


 フィクスは溜息を漏らしてから、コンコンと二度ほどノックをし、返事が来る前にクロードの部屋に入る。


「フィクスお前……!」


 こちらに気付いたクロードは、マスコットに向けていた愛でるような瞳から一転し、カッと目を見開いた。


「何故セレーナと婚約をしているんだ! あの約束を破ったのか!? 説明しろ!!」


 そして、目にも止まらぬ速さでフィクスの目の前までやって来たクロードは、そう声を荒げた。


「……まったく、それを説明するためにわざわざ来たんだから、ちょっとは落ち着きなよ。ほら、そんなに怖い顔してちゃ、クロードの好きならびたんも怖がってるんじゃない?」


 クロードの手元にあるマスコットを見ながらそう言えば、クロードは吊り上がった目尻を下げた。


「ら、らびたんごめんね……! 怖くない、怖くないでちゅよ……って、そうじゃない! それならさっさと説明しろ!」

「分かったってば。あんまりうるさいとセレーナたちが心配するだろうから、ちょっと声の音量は下げて」


 フィクスはそれだけ言うと、スタスタと部屋の奥に入っていき、ソファへと腰を下ろした。


(なんというか、落ち着かない部屋……)


 スッキリとした目、凛々しさを感じられる眉毛、しっかりとしたラインの顎──男性的で素敵だと令嬢から称されるクロードの部屋は、マスコットに溢れている。

 テーブルの端にもマスコット、ソファの端にもマスコット、諸々の家具の上にもマスコット。


 今から真剣な話をするのに適した部屋とはどうにも思えないが、ようやく向かいのソファにクロードが腰を下ろしたので、フィクスは口火を切った。


「まず、セレーナと婚約はしたけど、あの約束は破ってない」

「……!? どういうことだ……!」


 ガタン! と音を立ててクロードが立ち上がる。

 フィクスは落ち着きの中に少し苛立ちを含んだ声色で「座って」と、クロードに命じた。


 おずおずと腰を下ろしたクロードを確認したフィクスは、スッと目を細めて眼前の男を睨み付ける。


「だから、説明するって何回も言ってる。……俺はクロードを連れて来るって理由でこの部屋に来てるんだから、あんまり時間がないの。ちゃんと説明するから、落ち着いてよ」

「わ、分かった……」


 クロードが弱々しく同意を示したところで、フィクスは頭を悩ませる。


(さて、まずはどこから話すべきか)


 クロードは剣の腕は確かだが、かなりの脳筋だ。順序立てて説明する前に、まずは結論を伝えようとフィクスは考えた。


「クロード。──俺とセレーナの婚約はね、一時的なものなんだよ。セレーナ曰く、『仮初の婚約者』ってやつだね」

「…………。は? ん? は? んんん?」

「……まあ、そうだよね。それじゃあ、仮初の婚約者だってことを念頭に置いて、俺の説明を聞いてて」


 それからフィクスは、仮初の婚約者に至るまでの経緯を簡単に説明した。


「だから──それで──」


 クロードは初めは話が飲み込めないようだったが、フィクスが繰り返し説明することによって、少しずつ理解したらしい。

 額に青筋を浮かべたクロードは、テーブルを乗り越えてフィクスの胸ぐらを掴んだ。


「話は分かった……! セレーナが言い出したことも理解した……! だが、何故お前はその提案を止めなかった!! 王子であるお前ならセレーナがいくら頼み込もうと、それを跳ね除けることはできただ──」

「俺の婚約者になることで、セレーナには二つ利点があると思ったから」


 語気を荒げるクロードの声を遮るように、フィクスが静かにそう言った。


「なんなんだ、利点って……」


 上擦った声を上げたクロードは、ゆっくりとした動きでフィクスの胸ぐらから手を離した。


「とりあえず、もう一回座りなよ」


 フィクスにそう言われたクロードは指示に従う。

 フィクスは、クロードに対してハァ……と何度目かの溜息を吐いてから、口を開いた。


「セレーナは俺と婚約すれば、もう伯爵夫人から縁談を急かされることはない。それに、俺と陛下が許可すれば、彼女は騎士の仕事を辞める必要もない」

「……! 確かに、そのとおりだ……」

「仮初の婚約者にしてくれと言われた時、俺は直ぐにそれらを理解したから、セレーナの望みを受け入れた」

「……そう、だったのか……」


 フィクスの説明はクロードの胸を打ったのか、彼は「見直した……! 見直したぞフィクス……!」と言いながら、顔を綻ばせている。


「念のために言っておくけど、仮初の婚約だってことは、秘密だからね。クロードが知ってることは、セレーナにも言わないように。お前はいちいち声がでかいから、とにかく誰にもこの話はしないように」

「ああ、分かっている」

「……それと、もちろん、この機会にセレーナに好きになってもらえるように、アプローチしようっていう下心もあるけどね」


 フィクスのそんな言葉に、クロードは額にブチブチと青筋を立てた。


「フィクス、貴様! 本当はそれが一番の理由だろうが!! 」

「はは。酷いなぁ。そんなことないって」

「……そのうさんくらい笑い方、信用ならない……! そもそも……本当に俺との約束は守って──」

「それは守ってるよ」


 クロードの言葉をピシャリと遮ったフィクスは、スラリとした足を組んで、それを口にした。



「──俺は、セレーナが俺を好きにならない限り、自分から好きだとは伝えないよ」

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