第四章

 僕がぐったりとしながら男子部屋に辿り着いたとき、小泉がカチャカチャとねじを回しているのが目に入る。机の上にはトイレットペーパー。本当にどこかのトイレから探してきたらしい。

 僕を見つけると、小泉は「トイレは大丈夫だったんだな」と声をかけてきた。これが小泉なりの冗談なのか、本気なのかは僕にはわからない。


「一応は」

「そうか」


 僕は口が下手だし、小泉は頭がよ過ぎて短い言葉でなんでもかんでも省略してしまう。僕たちは女子を混ぜたときみたいに、長い間会話が続かない。

 会話が途切れたあとも、カチャカチャとねじ回しが動く音が響いている。ときどき鉄を引っ掻く音を立てながら。

 疲れたからこのまま眠ってしまいたいけれど、今はタイムマシンのことが気になった。これが出来上がったら、海鳴は僕を殺しにやってくる。これができなかったら、海鳴は何回も何回もわからないことのために、繰り返す必要はなくなるというのに。

 僕はぼんやりとしたまま、小泉の組み立てているそれを眺めていたら、ふいに小泉が手を止めた。


「珍しいな、入江くんは僕のやっている研究には興味がないと思っていたが」

「いや……これって、タイムマシンだよな。すごいなあと思って」


 口から出任せで褒めてみるが、この変人の小泉はメガネの弦をくいっと持ち上げてから軽く首を振る。


「タイムマシンではないな」

「え……じゃあ、それはなに?」

「観測機だ。平行世界の観測を行う。理論の上では平行世界の観測はできるんだが、まだそれを物質世界でできた人間はひとりもいない。だから僕はそれの初のひとりになるんだ」


 ……相変わらず言っていることがさっぱりわからないが、でも今はじめて聞いた気がする。タイムマシンじゃないって。


「なあ……仮にだけれど」


 僕の言葉に、小泉は手を動かしながらこちらのほうにふいっと視線を寄こす。


「本当に珍しいな。君は僕の話に興味は持っていなかったと思うけど」

「茶化すなよ……仮に、誰かひとりが誰かに殺されたとする。その誰かが殺された時間をやり直して、その殺される事件を変えようとする。でも何度やっても変わらないっていうのはありえるのか?」

「ふむ……」


 小泉はタイムマシン(正確には平行世界の観測機らしいが、僕にはそれに区別がつかないし、正直あまり意味もわかっていない)から一旦手を止めると、自分の鞄を引き寄せて、中からスケッチブックと筆記用具を取り出した。


「それは、同じ日を繰り返しているのか、平行世界を渡り歩いているのかによるが」

「だからそれがわかんないんだってば。そもそもどうちがうんだよ。同じ日を繰り返しているのか、それとも平行世界を渡り歩いているのかって」

「同じ日を繰り返しているのは、タイムループ。平行世界はパラレルワールド。SFを齧ってみると案外面白いものだぞ。あそこは想像力の塊だからな。目に見えている事象だけが、同じ日を繰り返すロジックにはならないからな。例えば」


 キュポン、とペンの蓋を開けると、スケッチブックを広げて、何本も線を書き出す。あみだくじの横線抜きみたいな図が完成すると、一番端の線に、小泉は指を差した。


「例えば、ここで僕が死んだとする」

「うん」


 それに僕は内心ギクリとした。海鳴の言動からして、あいつが「僕が死なないと好きな人が死んでしまう」と言っているのは小泉だからだ。

 喉が引きつらないよう気を付けながら返事をしたら、すぐに小泉は二番目の線に指を移動させる。


「隣の世界で同じことが起こっているとは限らない」

「……どうして?」

「平行世界だからだよ。同じ人間、同じ家族関係、同じ世界観であったとしても、限りなく似ているだけで、そこはちがう世界だ。そこではもしかしたら僕は今住んでいる町にはいないかもしれない。僕くらいの頭脳であったら、いつだって海外から留学の誘いが来てもおかしくないからな。日本よりも海外のほうが学術研究についてよっぽどお金を出してくれるし」


 どうしてここで嫌味なことを言うんだよ。

 そのツッコミはさておき。そう考えるとますますわからないのは、海鳴の言動だ。やっぱり同じ世界を繰り返しているのか? でも僕の死因はいつだってちがうんだ。


「……例えばの話だけれど」

「ああ」


 僕はスケッチブックを借りて、一番端の線を指差す。


「僕がこの世界である人物から刺殺された」

「ほう」


 少しだけ興味ありげに小泉が眉を持ち上げるのに、僕は言葉を続けてみる。


「そして次の世界では撲殺された。そしてその次の世界では開いたマンホールに突き落とされた……過程がちがうとはいえど、結果的に死んでいるんだ。この場合って、同じ世界が繰り返されているって言えるのか? それとも、平行世界を渡り歩いているって言えるのか?」

「ふむ……」


 小泉は僕の説明を聞きながら、考え込むように顎をしゃくると、もう一度スケッチブックを手に取った。


「君が死ぬっていうことが決まっているからといって、同じ世界とは限らないな」

「過程が違っても結果が同じなら同じじゃないのか?」

「黒はいろんな色が混ざって黒になるが、赤と緑と青を混ぜようが、茶色と黄色と紫を混ぜようが、結果として黒になったとしても、過程が全然ちがうだろうが」


 ああ、たしかに。


「君が死んだらなにかクリアできる場合は、君が死ぬというのが手段なんだろうな。ただ、手段と目的を違えている場合がある」


 僕はそこでだんだんと喉が渇いてくるのを感じていた。海鳴が何度も何度も繰り返していたのは、僕を殺すということだった。

 でも、何度僕を殺しても、あいつの言う「好きな人」が死ぬ事象は回避できていない。

 でも、それだったら。


「……目的は、僕が死ぬことで誰かの死を回避することだとしたら、それができないんだとしたら?」


 喉から絞り出した声は、ひどくカスカスしていた。


「そんなのは決まっている。君が死ぬことは、その誰かが死ぬことを回避する手段にはなりえないってことだ」


 その言葉が、僕の胸にサクッと突き刺さった。

 ……じゃあ、海鳴のやっていることは、完全に無駄ってことになってしまうじゃないか。僕はどうにか乾いた声帯に仕事をさせながら、どうにか声を絞り出した。


「なあ、だとしたら、これをずっと繰り返している相手に、『それは無駄だ』って、止めないとまずくないか?」


 小泉はしばらく黙って僕を見たあと、頬杖をついてこちらに言葉を投げかけた。


「君の言葉には具体性が欠けるね。最初から最後まで、全部説明してくれないと、さすがに僕だってどんな意見を求めているのかが判断しかねる。そもそも君は具体案が欲しいのかい? それともただ僕に愚痴を言いたいだけなのかい? 女子の場合は後者がほとんどなんだが、君はそういうタイプではないだろう?」


 ……どうしたもんか。いくら小泉が変人が過ぎるとは言っても、時間を何度も繰り返したり平行世界の移動したりしている話があるなんて、仮設としてしか成立しないだろう。それを本当と思ってくれるのかどうか。

 それでも。残念ながらこれらを本気で聞いてくれる人物はここにしかいないんだ。僕は勇気を振り絞って、もう一度口を開いた。


「……嘘と思うかもしれないけど」

「嘘か本当かを決めるのは君じゃない。聞いてから僕が自分で考える」

「ああ、そう……」


 相変わらず変人ではあるけれど。小泉がそういう奴でよかった。僕は心底ほっとしながら、ぽつんぽつんとつぶやいた。

 子供の頃から、何度も何度もポニーテールの女子に殺される夢を見続けていたこと。そして今年の夏になって、ずっと夢に出てきた女子……海鳴が現れたこと。

 海鳴に襲われたこと。海鳴の口から、僕のせいで、自分の好きな人間が死んでしまうということを聞かされたこと。海鳴はその人物のことを覚えていないということ。

 そこまでを淡々と吐き出した。

 小泉は難しい顔をして、人差し指で唇に触れている。これは……誇大妄想だと思われたか? それとも、いくら好きじゃない女子だからといって、それを殺人狂みたいに煽ったのにイラッとしたのか?

 僕は口をバクバクとさせて間を持たせようとなにか言葉を探すけれど、上手く出てこない。しばらくしたら、小泉は再びスケッチブックを手に取って、一番端の棒を指さした。


「こればかりは、一度海鳴くんのほうにも話を聞いたほうがいいとは思うが、彼女が覚えていないんだったら聞き出すことも困難だな。おそらくだが、ここで海鳴くんの言っている事件が起こった。それから、彼女はずっと平行世界を移動し続けている。どうして彼女がそれを平行世界へ移動していると思わず、ループし続けていると思っているのかはわからないが」


 そうひと区切り置いてから、小泉は指を滑らせて、次の棒へと指を動かす。


「この時間枠。ここで、海鳴くんは最初の殺人を犯した。でもここでひとつ考えて欲しい」

「……考えることって、海鳴が僕を殺した理由とか?」

「ちがう。いくら海鳴くんが時間を移動したからといっても、これだけだと矛盾が生じるんだ。いくら時間を移動したからといっても、人間はロボットじゃないし、ましてやAIじゃない。君を殺し損ねても機会をうかがうために何度も何度もトライしないといけないんだ」

「……話が全然わからないんだけど」

「だから、海鳴くんは君を殺すまでの間、衣食住をどうしているんだい?」


 てっきり僕と海鳴の問題を指摘されるのかと思ったのに、全然ちがう方向からボールを投げつけられたような感覚を得た。


「どうって……自分の家じゃ」

「じゃあ聞くが。この平行世界の海鳴くんは、いったいどこに行ったんだい?」

「……あ」


 海鳴は神経を張り詰めていた。それで訳のわからないことを言って泣き出し、殺すはずの僕にまで泣きついてきた。

 普通に考えれば、何度も何度も僕を殺し続けていたから、もう疲れたのかと思っていたけれど……それだけじゃないんだったら?

 海鳴は、何度も何度も海鳴自身を殺しているんだとしたら?

 そこまで考えて、ぞっとした。自分の守りたいもののために、ずっと自分を言葉通りの意味で殺し続けているんだとしたら……。海鳴はそのせいで情緒不安になっているんじゃないのか。

 僕が答えに行きついたのを見計らったのか、小泉は「おそらくだが」と口を開く。


「海鳴くんはずっと自分を殺し続けていることに耐え切れなくなって、若年性健忘症がはじまっている。情緒不安定に加えて、既に目的と手段を混同してしまっている。その上に人の顔や名前を忘れてしまっているのがいい証拠だ」

「ちょっと待てよ……だとしたら、海鳴はここに来たときには、この世界の海鳴本人を殺して……」

「おそらく、既に手をかけているだろう。既に君を殺すっていう目的にすがらなかったら、自分を保てなくなっていると考えていい」


 そんな無茶苦茶な。僕は愕然とする。

 僕を殺すっていう手段のために、誰かを守りたいっていう目的を忘れている。それだけでも衝撃的だっていうのに、健忘症が迫るほどに殺すって、想像しただけで息苦しくなってくる。


「……僕に、いったいどうしろっていうんだよ」


 海鳴はやたらとハイスペックだ。柔らかな女子らしい顔で笑ったり、歌が無茶苦茶上手かったり、料理も意外と手際がよかったり……僕を殺すとき、躊躇なく馬鹿みたいな運動神経を披露してきたり。

 泣いている姿が、あんまりにも弱々しすぎて、本気で見たくなかったり。

 ……最悪だ。僕は本当に暴力女もポニーテールも大嫌いだっていうのに、その大嫌いになった張本人がこんな風になって。

 僕が歯を食いしばっていると、小泉は「ふむ……」と唸りながら、手元にあった観測機に再び手を伸ばし、それを組み立てはじめた。


「君、だいたい夢で死んだっていう結果は同じだって言っていたけれど、それは死ぬ日も同じか?」

「……唐突だよな、そうだよ。合宿が終わったら、僕はいつも殺されていた」

「そのときに合宿に出るのをやめたことはなかったんだな?」

「合宿に出たくなかったけれど、何故か合宿に出ないといけないことになってしまうんだよ。今回は母さんが怪我したばあちゃんの介助で留守することになったんだよ。他にも親戚の口うるさいおばちゃんがうちに押しかけてきて家にいたくなかったり、真夏だっていうのに冷房が壊れたり……」

「ふむ、歴史には強制力ってものがあるらしいが、君が合宿に行くというところまでは変えられないらしいな」


 またSF用語が出てきたが、さすがに文脈の前後で意味はなんとなくわかった。海鳴に無茶なこという神って奴がこの世にいるんだったら、どこまでも僕を殺したいらしい。

 小泉は手を動かしながら続ける。


「君は、合宿が終わったら時間移動したほうがいい。タイムパラドックスを終わらせるために」

「……はあ?」


 突飛すぎる言葉に、僕は口を開ける。開いた口が塞がらないって、こういうことを言うのか。僕の間抜け面を見ながら、小泉はスケッチブックのほうに視線を落とす。


「そもそものはじまりは、一番はじめの世界で、海鳴の言う『好きな人』が殺されたことが原因だ。それをどうにかしてくるといい」

「……ちょっと、待てよ……それ、どういう意味で……僕にどうしろと? それに……タイムパラドックスってなんなんだよ」

「タイムパラドックスというのは、歴史を変えようとした結果、因果律に矛盾が生じることを言う。この場合、海鳴が一番はじめの事件が原因で、海鳴は平行世界を移動し続けていることを指す。そこだけは真実と見ていいだろうが、君と海鳴の証言だけだったら、それが全て正しいとは限らない。人間の脳っていうのは簡単に思い込みで騙されるんだ。罪悪感に耐え切れなくなって健忘症になったり、全然ちがう記憶をねつ造したり。僕は思うね、海鳴の言う『好きな人が殺された』という事象もまた、正しいとは限らないと」


 それは星座占いの話のときにも言っていた刷り込み……インプリティングと同じかと納得する。

 確かなことは、一番はじめの事件が起きた。海鳴の「好きな人」が殺された事件。

 僕はずっと僕が殺される夢を見続けていること。海鳴は世界を渡って海鳴本人を殺し続けていること。それだけだ。

 残りは全部僕や小泉の想像で、海鳴本人だって忘れてきてしまっているから、肝心なことはんてちっともわかりはしない。……なにが真実なのかなんてわからないけれど。これ以上海鳴が泣くのを見るのは嫌だった。

 ……おかしいだろ、自分でもそう思う。ずっと僕を殺し続けていたのはあいつだし、海鳴だって僕をずっと殺し続けていると言っているのに。

 どうしてそんな相手を心配してしまうんだ。泣いてほしくないって思うんだ。

 僕は小泉のつくっていたそれの近くに座る。しゃべっていたら、眠気が吹き飛んでしまったんだ。


「それ、僕が手伝えることはあるか?」


 その観測機……タイムマシンでいいのかは知らない……を指差すと、小泉はにやりと笑った。


「ああ、一応君でもできることはある」


 小泉の物言いは気に食わないけれど、見て見ぬふりをするよりは、いくらかはマシだ。

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