2
ぐしゃり、という音が耳に残った。
移動した先には、「何故か」わたしがいた。まるでわたしを幽霊を見る目で見て、目を見開いている。まるで自分が被害者とでもいうような顔をするのに──吐き気がする。
なにもなかった頃のわたしは、こんな顔が本当にできたんだろうか。今はそんな「普通」の顔ができるかどうかなんて、自信がない。
あなたは幸せなんでしょう? あなたは誰も失っていないんだから。これから失って嘆き悲しむのに。身勝手ね。
わたしはたまらなくなって、レンガを振り上げる。お母さんのガーデニングの趣味で、庭に行けばいくらでもレンガはあるんだ。
「ちょっと……なに……あなた……やめて……!」
「わたし」が後ずさる姿、わたしは苛立った。
悲劇のヒロインみたいな顔をして……虫唾が走る。
「うるさい!」
身勝手なわたし。大嫌いなわたし。なにも知らないわたし。悲劇の主人公ぶったわたし。大嫌い。わたしは「わたし」なんて大嫌い。
全力で振り下ろしたそれは「わたし」の肩にぶつかった。
「いやぁぁぁぁいだい……!」
「うるさい!」
肩が割れた感触を聞きながら、わたしは再びレンガを振り下ろす。今度は頭。次は顔。その次は……その次は……。
「わたし」はそのまま地面に転がった。足を必死にばたつかせて逃げようとするけれど、わたしはその髪を引っ掴んで馬乗りになり、必死でレンガを振りかぶった。
何度も何度もレンガを振り下ろしていたら、最初はバタバタともがいてどうにか逃げ出そうとしていた「わたし」も、だんだん動きが鈍くなり、とうとうピクリとも動かなくなってしまった。わたしはレンガを放り投げて、息を切らす。
早く埋めてこないと。大丈夫。またわたしは、「わたし」のことを忘れられるから。お母さんはきっと、お盆に帰省するためのお土産を買っているから、まだ帰ってこない。その間に、埋められる。
誰も見ていない。誰も知らない。そのことに安心しながら、わたしは一生懸命に庭に穴を掘った。普段から肥料を定期的に与えている土はふかふかしていて、わたしでも簡単に穴を掘れる。その中に。わたしは「わたし」を転がした。
玉のような汗が噴き出し、わたしの喉を伝っていった。
大丈夫、大丈夫。今度こそ、今度こそ「あの人」を助けるんだ。……どうしてだろう、もうその人の顔も名前も思い出せない。ただ、「あの人」に会いたいって、その気持ちだけでわたしは突き動かされている。
……もし、何度やっても「あの人」に会えないんだったら、きっとわたしは膝を突いて、このまま動けなくなってしまうだろう。
「わたし」が完全に土で埋まって見えなくなってしまったのに、わたしは「ふう……」と息を吐いてから、レンガを水で洗った。
消臭スプレーを振りかけても、血の生臭さはなかなか取れず、痺れを切らしたわたしはハッカ油の瓶を叩き割ってしまった。これでしばらくはハッカ臭いけれど、生臭い匂いは上から被されてしまってわからないだろう。
わたしがほっと息を吐いたところで、「ただいまあ」という声が響いた。
「お帰りなさい」
「ただいまー、あら、なぎさ庭の雑草抜いてくれたの? ゲリラ豪雨のせいですっかり伸びてどうしようと思ってたんだけど」
「うん、あまりにウザいから、抜いておいたよ。大丈夫」
「ちょっとハッカの匂いすごくない?」
「ごめーん、ハッカ油の瓶を落としちゃって……」
大丈夫。わたしは再び自分にこう暗示をかける。
わたしは「わたし」なんだもの。絶対にバレっこない。あの庭だって、どうせしばらくは雑草と格闘するから、それ以上掘り起こすことだってできっこない。
今度こそ、「あの人」に会うんだ。
……思い出せないけれど、名前もわからないけれど、「あの人」がいたから、わたしはここまで来られたんだから。
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