22.響き渡る雄叫び

「はぁ……! はぁ……!」


 ポーションを飲んで静かに。ただ静かに。脅えながら逃げる。

 どれだけ時間が経っただろうか、一旦は逃げられたみたいだ。

 けど、痛みは引いたけど恐怖は引かない。

 今にも首筋に冷たい刃が振り下ろされるんじゃないかと何度も背後を振り返った。


 一度リセットされた戦闘。(隠密)スキルを使ってただ隠れるだけ。

 町のほうを目指してはいるけれど、最初の速度とは比べられない牛の歩み。

 ブラインドチャイムは使い捨てのアイテム……次にあのプレイヤーキラーと出会ったら逃げ切れない。

 私にはあのプレイヤーキラーのように電脳神秘師ニューゲートとしての力も特にない。PNを見えないようになんてする事も出来ないので(隠密)スキルが解除されたらその時点で終わりだろう。


「……」


 何を期待しているのか、メッセージアプリをちらっと見てしまう。

 ついリットくんに送ってしまったメッセージは結局すぐに削除してしまった。

 あまりに恐くて衝動的に送ってしまったけれど、考えてみれば今から助けを呼んだからといって間に合うわけがない。彼は私がどこに行ったかも知らないのだ。

 もし助けを求めた私が、ログインした頃にはPKされていたなんて知ったら彼はきっと責任を感じてしまう。

 そう、だから……私の送った四文字なんて彼が読まないほうがいい。


 …………なのに。

 私は何でメッセージが来ないかどうかを気にしているんだろう?

 今すぐ行く、と言ってもらって安心したかったのか。

 どこにいる、と聞かれて助けに来てくれる彼の優しさに浸りたかったのか。

 本当に、自分がこんなに情けない女だとは思わなかった。

 確かに平凡な人生しか送ってこなかったけれど……それでも自分の事は自分で責任をとる、そんな当たり前の事くらいはできる人間だと思っていたのに。


「馬鹿みたい……私……」


 きっと私は考えが甘かったんだと思う。一人なら見つけにくいだろう、とか。お昼ならプレイヤーキラーもいないんじゃないか、とか。そんな希望的観測がどこかにあって……それを決断できたと勘違いしちゃったんだ。

 だから、指を斬られたくらいの痛みで根を上げて助けを求めてしまった。

 死にたくない、ってゲームの中で怯えるだけの薄っぺらい自分が嫌になる。


「そうだ……それなら……」


 もしリットくんがメッセージを見ても見てなくても笑い合えるように頑張って逃げ切ろう。

 そうすれば、彼がメッセージを見ても謝ればいい。ごめん、自分一人でどうにかできちゃったって。

 メッセージを見てなくてもそうしよう。ごめん、夢中になって一人で先に行っちゃったって。

 今は痛くて、恐いだけだけど……そうなればきっと、笑い話に出来る。彼の前で強がりながら笑う事が出来る気がする。

 なんてことない……電脳神秘師ニューゲートだからどうかなんて関係無くて、ゲームのやり過ぎで終わる話に――

 

「散歩は終わりかい?」

「ひっ――!!!」


 一度拾い上げた心がもう一度ばらばらに散らばるような感覚だった。

 耳に届いたその声は正面から現れる。死神と呼ばれるプレイヤーキラーはこちらに歩いてきた。

 キャラの姿が見つかった状態では(隠密)スキルは機能しない。(忍び足)もただ静かになるだけだ。

 いやそもそも……最初の時もそうだった。まるで私がいるのがわかったかのようにこの男は私に狙いを定めていた気がする。


「やっと見つけたぜお嬢ちゃん……ブラインドチャイムなんて使いやがって……追い付くのに時間かかっちまったぜ」

「どう……して……」

「そっちにブラインドチャイムがあるみたいに、こっちにも索敵用のレア装備があるわけよ……ま、その代わりに耐久や魔法耐性は全く上がらんがな」


 男は自分の頭装備――耳に着けている棘のようなイヤリングを指でピンピンと弾く。

 恐らくはあの装備がプレイヤーを索敵できる装備という事なんだろう。

 ああ、そうだ……この男はトライグラニアにプレイヤーを留まらせるほどPKを繰り返し、死神というあだ名をつけられるまでになったプレイヤーキラー。

 ただここら一帯を通りかかるプレイヤーを片っ端から襲ってるだけなら詳細不明の噂として恐がられるわけがないし、普通に通れるプレイヤーだって大勢いたはずだ。

 ここまで大事おおごとにできたという事は、効率よくPKするための何かがある事くらい予想できてたはず。プレイヤーを索敵できるアイテムか装備なんて真っ先に思い付きそうなのに、私はそんな事も考えなかった。


「自分よりレベル下のプレイヤーしか索敵できねえし、ブラインドチャイムの効果中は流石に無理だがな……流石に二個はねえだろ? ありゃ結構作るのめんどい上に馬鹿みたいに高いからな、その分効果時間も長いから厄介だけどよ」


 アルチーノちゃん、そんなアイテムをプレゼントだって贈ってくれたんだ。

 それならやっぱり逃げ切らないといけなかったなぁ。今度会う事があったら無駄にしちゃってごめんって謝ろう。

 ……なんか、謝ろうって思ってばかりだな私。

 まるで死ぬ前の心残りみたい。PKされたって本当に死ぬわけじゃ、なにのに。

 そう、お母さんだって死んだわけじゃない、んだから……。


「そんなに恐がるなよ。そんなに顔は悪くねえだろ」

「あ……あ……」


 なのに、なんでこんなに恐いの?

 死ぬわけじゃない。そう、死ぬわけじゃない。ただ死ぬほど痛い・・・・・・だけ。

 優しかったお母さんが辛くて暴れるようになっちゃった、程度の……ただそれだけ、なのに。


「よっと」

「ひ……い! い、いや……!?」


 震えて動けない私の目の前を男は大鎌をわざと空振る。

 まるで恐怖を煽るように、私をもてあそぶように。

 それが強者の特権だと言いたげに大鎌をぶんぶんと振るって私の反応を見ていた。

 耳に届く風切り音は聞いているだけで生きた心地がしない。


「あっはっはっは! 反応いいなお嬢ちゃん! 指斬った時もすげえ悲鳴だったもんな! 安心しろ、念のため別のアイテム使ってないか確認しただけだからよ。これでも女をいたぶる趣味はないんでな。一撃で逝かせてやるよ」

「――!!」


 腰は抜けてもう逃げられる気もしない。つい恐怖で目を閉じる。

 真っ暗な視界。聞こえてくる死神の笑い声。

 せめて痛みを感じないくらい一瞬でと願った瞬間――



「あーああー!」



 私の耳に、緊張感の無い雄叫びが届いた。

 いや、森中に響き渡っていた。


「あーああーー!!」

「ああ!?」


 体の横に何かがぶつかったような衝撃が走る。

 一瞬聞こえてきたのは死神の苛立った声。

 私は恐る恐る目を開けると、そこには……


「あーーああーー!!!」

「り、リット……くん……!?」


 樹上から垂れ下がる太いつるにしがみつき、私を抱きかかえながら奇妙な雄叫びを上げるリットくんがいた。

 リットくんがしがみつく蔓はその勢いのまま揺れて、私達と死神の距離を離していく。

 何でわざわざ変な声出してるんだろう……? 何で蔓を使って移動してるんだろう?

 そんなツッコミたい所ばかりのリットくんに抱きかかえられて、私の体の震えはいつの間にか止まっていた。


「何だこのアホは!?」

「あんたが死神ってプレイヤーキラーか! 知らないのか!? 蔓を使って移動するときはこの雄叫びを上げるのが男のたしなみなんだぜ?」

「そ、そうなの?」


 死神を見下ろしながら楽しそうに笑うリットくんに私はいつの間にか問いかける。

 さっきまでの恐怖を忘れさせてくれるその笑顔はゲームを楽しんでいるいつものリットくんだった。

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