21.立ち上がる理由なんて四文字あれば十分
「うーん、やっぱり今日も異常無しだね
「まるで異常があったほうがいいみたいな言い方やめてくださいよ……」
俺のカルテを見てそんなはずはと言いたげな口ぶりの
午前中の検査を終えて、結果を待っている間にはもう昼になっていた。
外は朝から雨でじめじめする。バスから降りる時に見掛けた人達は雨を嘆いていたが、俺が外に出るのはこうして病院に来る時くらいなので雨であっても外に出るきっかけがあるというのは中々に嬉しい。
というより、ここまで検査回数が多いと俺を出掛けさせるために検査に来させているんじゃないかと勘繰ってしまうくらいだ。実際は珍しい症例だった俺が健康体になった事について色々調べたいだけなのだろうけど。
「いやいや人聞きの悪い……けど君の場合は異常が無い事が異常だからね……。嫌な物言いになってしまって申し訳ないとは思ってる」
「冗談ですよ」
「ああ、それもわかっている。勘違いしないでく欲しいけど君の快復自体は本当に嬉しく思っているよ。この様子なら大丈夫だとは思うけれど、何か実生活で不便はないかい?」
「特には……母は相変わらず俺のために忙しくて申し訳ないですがずっとサポートしてくれていますし……ああ、まだちょっと動きにくくはありますかね。杖を使わないといけないので」
俺は傍らに置いてある杖のほうに視線をやる。
エタブル内では最低限の身体能力が確保されているので必要無いのだが、まだ現実ではそうもいかない。やはりもっと外を歩いて慣れなければいけないのかもしれない。
でもなぁ……エタブルやる時間減るからなぁ……それはちょっとなぁ……。
「まぁ、動けるだけ感謝なんですけどね」
「よくわかっているようで何よりだよ。奇跡……うーん、あまり言いたくないけれど今の君がいるのが奇跡だからね」
「あまり言いたくないですか?」
賀茂先生はカルテを書く手を止める。
「そりゃそうさ。医学で奇跡にあるのなら病で亡くなる方なんていてたまるかって話さ。そんなものがあるなら全員救ってくれって話さ」
「でもそうなったら賀茂先生、失業しちゃいますよ?」
俺がそう言うと賀茂先生は何故か嬉しそうな笑い声をあげて、カルテを書くのを再開する。
「奇跡があっても医者が必要なのはかのアスクレピオス様が証明してくださっているから問題ないのさ」
「……誰です?」
「医者の神様さ」
「あ、そうなんですね。すいません、神様なんていないと思って生きてきたんで……」
「ああ、奇遇だね。僕も神様は信じてないさ。都合のいい時にお願いするくらいかな」
そこで会話は途切れて、万年筆の音が部屋の中に心地よく響く。
無言でも特に気まずく思わないのは賀茂先生とお長い付き合いだからだろうか、ついこの前まで病院が家代わりだったからかもしれない。
なんとなく、窓を叩く雨音と万年筆で書く音は妙に相性がいいように思えた。
耳を澄ましている間に、つい目を閉じてしまう。
いつの間にか訪れた眠気と一緒に微睡んでいると、胸元のスマホが震えた。
「ん? お母さんかな? 何回も何回も検査ばかりで申し訳ありませんって言っておいてくれるかい?」
「ははは、わかりました」
俺がスマホを開くとメッセージアプリが表示される。
そこには交換した時以来のニーナからのメッセージが届いていて、
ニーナ<たすけて
そこには震えが伝わってくるような四文字が記されていた。
「――っ!!」
「うお!? ど、どうしたのかな!?」
あまりに驚いて立ち上がる。その勢いを体が支えられなくてふらっとした。
俺の馬鹿みたいな動きを見て賀茂先生が慌てて万年筆を置いて俺を支えようと身構える。
迷惑をかけて申し訳ないけど、それよりも――!!
「どう、すれば……」
ニーナがどれだけの窮地に陥っているのかはわからないが、変換もされてないメッセージを見ると相当なのは間違いない。
ここから今すぐタクシーに乗って家まで三十分。
到底間に合うとは思えない、駆け付けた時には全てが終わっていて……そんな所に慰めに現れた所で意味はないだろう。
けど悩んでいる時間すら勿体ない。役立たずであっても今すぐ家に帰って――
「……あ」
「ど、どうした律人君!? 心臓に悪いぞ! ほら杖!」
「賀茂先生……」
「驚かせないでくれ……お母さんからじゃなかったのかい?」
今すぐに駆け付けられる方法を思いついて、俺は賀茂先生のほうを見る。
賀茂先生はスマホを凝視していた俺に杖を持たせようとしてくれていた。
寝たきりの反動なのか元々こんな性格なのか。こんな風に心配してくれる賀茂先生に向けて、俺は気付いたら図々しいお願いをしていた。
「先生、俺がテスターだった時のヘッドギアとパソコン……まだここにあるよな?」
「え? まぁ、そりゃあるよ……?」
「うええええええええええ! うぶっ……吐けないから苦しいまんま……このゲームほんとなんなのよ……〇ゲーじゃない……!」
一方、エタブル内では昼から
開始ニ十分でアルチーノの満腹度は限界に達し、満腹感を超えた吐き気がアルチーノに汚い言葉を出させていた。
>草
>こんな迫真だけど普通に小食なのが笑える
>この人アホなの?
>はい今日の配信は終わりです
>この前のカブトムシといいもう可愛い路線は諦めたん? バズってまだ一月やぞ?
アルチーノが配信しているのはトライグラニアの次に位置する町パレットラモード。
トライグラニアよりは小さいが、ここからは王都も近い上に他の町よりもサブクエストが多い事で有名な町だ。攻略に詰まったプレイヤーが息抜きに訪れる事も多い。
コメントはアルチーノの様子を見て呆れながらも盛り上がっていて、配信としては悪くない成果と言えるだろう。
「何言ってんの……か、可愛いでしょうが……うぷ……」
吐きそうになりながらコメントに反論するその姿は説得力が無い。
いつもなら現れる可愛いよコメントを打つリスナー達が擁護する声はあまりにも少なく、他のコメントの波に飲み込まれて消えていた。
「あー……残り時間どうしよ……これ以上食べられない……動けば消化されるのかな? 仕様に詳しいニキいな……およ?」
大食いをするために纏めていた髪を普段のツインテールに戻しながらアルチーノはコメントに意見を求め……ようとした瞬間、メッセージの通知が届いた。
>男か?
>配信中にメッセって事はリアフレ?
>昨日までだったら男だと思ってたかも
>むしろ好きになったけど付き合うのは無理だわ
アルチーノがメッセを確認している間、コメントには勘繰るようなものも流れる。
だが直前の吐こうとした姿が効いているのか、リスナー達も普段よりは大人しくアルチーノがメッセージを読んでいる様子を見守っていた。
アルチーノはメッセージを読み、難しい表情を浮かべる。
「あのガキ……配信中はやめろって言ったのに……ちょっと初めましての時こっちが怪しかったからって舐め過ぎじゃない?
あー……えっと……うーん…………ねぇ、みんな? ちょっと森までカブトムシ飛ばしに行かない?」
こいつ遂におかしくなったのか?
リスナーは今までに無い一体感を感じながら、アルチーノの意味が分からなすぎる提案にコメントはさらに加速していく。
もうメッセージの相手が男かどうかなどもうどうでもよくなっていた。性別だけで言えば男ではあったのだが。
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