20.苦痛は普通を折る

「お嬢ちゃん、どこの派閥だ?」

「……」


 プレイヤーネームがぼやけている男は電脳神秘師ニューゲートである事に興味を示しているのか私に問いかけてくる。

 恐くないと言ったら嘘だ。次の瞬間戦闘になるかもしれない。


「……派閥なんて、知らないわ」

「ああ、無所属か……それとも知らないだけか……」


 理性のあった男の目付きが変わる。

 わかる。男の目がこちらを疑っている。


「それとも、この俺に嘘をついているかだ」

「ほ、本当よ……私はエタブルを始めてから調べたから……。私の親なら詳しく知っているかもしれないけれど、私は大して知らないわ」

「ふーん……? 親? ああ、親……?」


 疑ってるかと思えば、男はまたこちらに興味を示してくる。

 私の顔を見て眉間に皺を寄せながら、まるで何かを思い出そうとしているかのようにじっと見てくる……正直いい気分じゃない。

 けれど、今の内に考える事は出来る。


 背中に大鎌を背負ってるって事は職業ジョブは重騎士……なら動きは早くないはず。

 武器以外の装備は黒いコートに頭装備も鎧ではなくイヤリングと重騎士らしくないのが少し気になる。

 魔法耐性を上げるためにINTを上げる装備にしているのかも……?

 魔法使いはHPを無視できる首や心臓への致命の一撃クリティカルより火力でHPを削っていく職業ジョブ……わかってはいたけれど、レベルが上かつ魔法耐性の高い装備まで装備されているのなら私には正直勝ち目はない。

 でも私が電脳神秘師ニューゲートなおかげで最低限の対話をかわせるこの状況なら……やれる事はある。スクリーンショットで姿を撮ってPKKに情報提供すれば――!


「え……?」


 視界の中央に表示される赤いERRORの文字。

 このゲームにはエリアアリシアのようにスクリーンショット禁止区域がある。

 けれどここは普通のフィールドエリア、それにスクリーンショットのために停止しなきゃいけない秒数もクリアしてる。

 こ、こんな場所の撮影が禁止されているわけないのに。


「あー! あーあー! 思い出した思い出した!」


 私が困惑しているのとは裏腹に、男は晴れやかな顔へと変わる。


「お嬢ちゃん、テスターの中にいたあの電脳神秘師ニューゲートの子供か! 似てる似てる!」

「………………え?」

「どっかで見た事あるなとは思ってたんだよ。一度PKしたやつかと思ったが今まで電脳神秘師ニューゲートをPKした事は無かったからおかしいなと思ってたんだが……なるほど、子供か! 納得納得!」


 男は手をパンパンと叩きながら一人で納得している。

 対して私は少しの間呆けてしまった。

 この男が何を言っているのが理解できなくて……いや、理解したくなくて拒んだのか。


「なにを……言ってるの……?」

「とぼけるなとぼけるな。あのチハヤって電脳神秘師ニューゲートの娘かなんかだろ?」


 困惑する私の前で男は当たり前のようのお母さんの名前を口にした。

 当てずっぽうなわけがない……もうこの男が何をしたのかは都合よく察しの悪くなった頭でも理解できてしまっていた。


「そうかそうか……怖気ついて娘にバトンタッチしたか。あれだけわかりやすく忠告してやったとはいえ普通、娘にやらせるかね。そんなにこの世界が欲しかった・・・・・のか? その割にはすぐ泣き喚いて助けて助けて言ってたが……女ってこええなあ、あんな泣き顔してもがめつさは別腹ってか?」

「お母さんに……何をしたの……?」


 きっと電脳神秘師ニューゲートとして問いかけるべきはそっちじゃない。

 でも、男の口ぶりがあまりに下劣で聞き捨てらなかったから私はついただの娘としての疑問を優先してしまっていた。


「いやいや、大した事はしてねえよ」


 男は大鎌に手をかけて――


「『魔女の断頭ウィッチサイズ』」


 ――私の真横を斬撃が過ぎ去った。

 樹木や地面ごと切り裂いた斬撃の中に、私の指が二本……鮮血と共に放り出される。


「こんな風に、あちこち切り刻んでやっただけさ」


 男の冷たい声を聞いた瞬間、痛覚再現をオフしているはずの私に激痛が走る。

 電脳神秘師ニューゲート同士だからこそ逃れられない現実の精神へのダメージが――。


「あ……う、ああああああああ!!」

「悲鳴も似てる似てる。そんな感じで喚いていたよ。けど派閥の違う電脳神秘師ニューゲート相手なら対立して当然……PvPくらいは想定しておくもんだけどな」


 男の声は全く入ってこなかった。

 痛い。痛い痛い痛いいたい――!

 普通に生きていたら絶対に経験しないであろう痛み。

 左手の先からじくじくと刺すような痛みが私を挫こうとする。

 血を示す赤いデータが斬られた指先から零れていって、これが本当に血と同じような見た目だったらとっくに気絶していたかもしれない。


「はっ……! はっ……!」

「おいおい、指二本でアウトって事はねえだろ」


 男はいつの間にか私の目の前に。

 あまりに痛みに気を取られていて、私は何も反応できなかった。


「おら」

「か、はっ――!」


 武器すら使われず、私の鳩尾みぞおちに男の蹴りが思い切り入る。

 ステータス差かそれとも体格差か。私の体は蹴りの威力でふわっと浮いて、そのまま後方に蹴り飛ばされた。


「うぶっ……! う、ぎ……! げほっ! ごほっ! うおえ!」


 現実で喧嘩なんてした事ない。誰かに殴る蹴るをされるなんて漫画の中。

 そんな私を襲う暴力は私の挫きかけた心を折るには十分すぎた。

 胸が痛い。苦しくて、息が出来ない。ご丁寧に酸素ゲージが一瞬出たくらいだ。

 胃の中のものがせり上がってくるような感覚はあったけど、この世界に吐瀉物はないので撒き散らす事は無かった。


 呼吸すら苦しく、まだ指先を斬られた痛みも治まっていない。

 蹴られて、そのまま立ち上がる事すら出来ていない私に影が落ちる。

 痛みにもがく私をそのまま刈り取ろうとする死神の影――男は私を見下ろしながら言う。


「ここで通行止めだニーナちゃん。母親と同じように……その首、俺に置いてきな」

「ひっ――!」


 お母さんの姿が脳裏をよぎる。

 私が帰ってきていつも通りがあると思って入ったリビングで、ヘッドギアを滅茶苦茶に叩きつけていた姿。

 私も恐怖でおかしくなったらあんな風になってしまうのかと、どうしようもなく恐くなった。


「ちゃ、"チャイム"!!」

「あん!?」


 私が叫ぶと同時に、一瞬で辺りを煙が立ち込める。

 森林火災を思わせるような光景だが、火事とは無縁のただの煙幕。

 私は煙幕の中を必死にもがくようにその場から逃げ出す。

 アルチーノちゃんから貰ったレアアテイム、ブラインドチャイムの効果で私は逃れる事が出来た。


「ブラインドチャイム!? 初心者が持てるアイテムじゃねえはずだぞ!!」


 男の怒号が大森林の響き渡る。

 私は痛みで叫びたくなるのを我慢して声を殺す。

 未だに胸と指の痛みは止まず、私はボロボロと情けない涙を流していた。

 大森林に入る前の脆い覚悟はもうどこかへ行っていて、死神と対峙していた時のハリボテの決心は砕かれていた。

 現実の痛みというのはそれほど恐く、逃れたいものだと思い知っただけだった。


 私はどうしてこんなに弱い人間なんだろう。

 いや、当たり前か。このゲームから始まって一か月も逃げていた女が……ここ二週間くらいゲームをやったからって変わるわけがない。

 どれだけレベルを上げても、私はレベル1で逃げ回っていた頃のままの臆病者のまま。

 偶然出会ったリットくんがいなければ、そのレベルだってこんな風に上がる事は無かったんだから。


「お母さん……」


 あの死神は間違いなくお母さんをPKした電脳神秘師ニューゲート

 それを知ってなお、立ち向かおうとすら思えない。

 お母さんはあいつにどんな風にPKされたのか。どれだけ痛かったのか。どれだけ辛かったのか。

 次は私に降りかかるであろう痛みを想像してしまって怖気ついてしまう。

 恐い……恐い――!

 胸を蹴られ、指先を落とされてこの痛みなら……それ以上の傷はどれだけ私を蝕むのか。

 そんな最悪な想像しかできない自分があまりに情けなかった。私は電脳神秘師ニューゲート……そんなもの私自身を強くしてくれるような肩書きではないのだと痛感して。



"私達だってほとんど普通の人と変わらないのが困る所よね?"



 震えながら思い出したのはお母さんの言葉だった。



"心配するな。危なくなったら俺が絶対に助けるからさ"



 次に思い出したのは初めて会った時にリットくんが言ってくれた言葉だった。

 ああ、私は情けなくて、弱くて、なんて都合のいい女なんだろう。

 彼には偉そうな事を言ったのに、駄々をこねるような我が儘で……私はいつの間にか四文字のメッセージを送っていたのだから。

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