90.トラウリヒの聖女

 ラクトラル魔術学院の特級クラスは表向きには才能が特に秀でている者が選ばれる。

 しかしもう一つの側面として、ルミナのような"失伝刻印者ファトゥムホルダー"や"領域外の事象オーバーファイブ"と判定された者、そしてカナタのような特殊な事情を抱えた者が配属させるクラスでもあった。

 これを知るのはラクトラル魔術学院の教師だけであり、外部にこの事実を漏らす行為は学院長ヘルメスとの魔術契約によって禁止されている。


 一級クラスや二級クラスと明確に違う点は、表向きが才能が特に秀でた者が選ばれるクラスがゆえに、他よりも授業が高度かつ実践的な内容になること。

 そして他よりも授業数が少ない代わりに、教師からただ教えを乞うだけでなく自主的な活動が求められる点である。

 好きな魔術の論文を書くもよし、オリジナルの魔術を開発するもよし、術式の有用な改造は勿論、魔道具の作成なども活動に数えられる。

 他の生徒と同じようにただ学ぶだけで特別扱いされるほど甘くはないというわけだ。


「引き取られた時に父上に出された課題と似てる……なるほど、最初から魔術学院の入学を見越した課題だったんだあれ……」

「はわわぁ……制服姿のかにゃたしゃまやっぱりかわいい……!」

「うわ……学生証の紛失は罰金……そりゃそうか。高そうだもんなこれ……ねえルイ、もし失くしたらディーラスコ家から出してもらえるかな?」

「歩く姿はとても凛々しい……ここから大きくなっていってこの制服もいずれは小さくなるんですね……!」


 特級クラス用の男子寮から出発し、校舎の特級クラスの教室を目指すカナタ。

 道中で改めて、事前に配られてた特級クラスにおける重要事項を確認していた。

 羊皮紙に書かれたそれは魔道具らしく、署名しないと読めない仕組みになっていてルイには文字が見えていない。

 そのせいか、いやそうでなくてもルイはカナタの制服姿に夢中だった。


「ルイ、聞いてる?」

「はい! 私がカナタ様の声を聞き逃すわけないじゃないですか!」

「……じゃあ俺が何言ってたかわかる?」

「今日もルイは可愛いね……でしょう?」


 言いながら、ルイはカナタに向かってウィンク。

 カナタは複雑な表情でお返しする。


「違うとも言いにくいことを……」

「ふふふ、策士でしょう? カナタ様を見るのに夢中になっていても躱せる完璧な……」

「やっぱ聞いてなかったんだ」

「あ……」

「あはは、詰めが甘い策士だね」


 ラクトラル魔術学院は王侯貴族が通う学院なのもあり、護衛騎士や世話係などの側仕えを一人だけ帯同させることが認められている。

 カナタが選んだのは当然、二年以上もカナタの世話係をしてくれたルイだ。

 ルイに決まった時のことは、


「ルイ……一緒に来てくれる……?」

「手足が折れててもご一緒するに決まっているでしょう……!」


 このように二つ返事の数秒で決まったので経緯という経緯は特にない。

 同行するにあたってシャトランと面談し、魔術学院というのは魔術師見習いの巣窟であり、魔術による危険が多いのでよく考えるようにと言われたようだが……ルイの気持ちは変わらなかったようだ。


「そんなに制服いいかな……? こういうの着るの初めてだから少し緊張しちゃってるよ」

「世界で一番カナタ様が似合ってます」

「そ、そう?」

「ええ、それはもう」


 ラクトラル魔術学院の制服は白いシャツに金の刺繍で校章が右胸に入った紺の上着。校章の入ってない左胸のほうには、名前が書かれている透明なネームプレートが付いている。

 この魔道具が学院における身分証になっており、各生徒の側仕えにも同じ魔道具が配られていて学院内では着用を義務付けられていた。

 ルイの着るメイド服の胸元にはカナタの名前が入ったネームプレートがきらりと光っており、朝から誇らしげである。


 特級クラスに向かう廊下を和気あいあいとしながら歩くカナタ達。

 すれ違う一級や二級に所属する生徒の視線や話し声など気にすることなく、特級クラスの教室へと辿り着いた。

 一級や二級のクラスのある校舎から渡り廊下を通った先と少し離れている場所が指定されている。


「カナタ、おはようございます」

「おはようございますルミナ様、コーレナさんも」


 教室には三人掛けほどの白く長いテーブルが四つ並んでおり、すでにルミナが座っており、コーレナがその後ろで頭を下げた。

 テーブルの少なさは特級クラスに所属する生徒の少なさを示している。

 ルミナ以外にも何人か生徒がいて、こちらを警戒するような視線をカナタに向けられた。


「ルミナ様も制服お似合いですね!」

「ふふ、ありがとうルイ」


 ルミナはカナタに隣に座るよう促し、カナタは隣に座る。

 果たしてルミナの表情が嬉しそうなのはルイに制服を褒められたからか、カナタが隣に座ったからか。


「これで全員ですか……? 少ないですね……」


 教室には十人……制服を着ている者は五人しかいない。

 ここに来るまでにすれ違っていた生徒の数より遥かに少なかった。


「他の学年の特級クラスを合わせても少ないですね、一学年だけですと六人しかいませんよ」

「そんなに少ないんですね……」


 カナタは戦場漁り時代に一緒だった子供達の騒がしさを想像していたのだが、教室はあまりに静かでルミナも声のトーンを落としている。

 そんな静寂を破るように、最後の一人が教室へと入ってきた。


「え……?」


 カナタだけでなく教室の男子陣がざわつく。

 入ってきたのは自分達とは違う真っ白な制服を着た生徒だった。

 カナタは教室に入ってきた生徒を見て自分の目を少し疑う。


「あ、あれは……?」

「ああ、あの方の制服は特別なんですよ。トラウリヒ神国の聖女と呼ばれる"失伝刻印者ファトゥムホルダー"……エイミー・デルフィ・アインホルン様です」

「いやそうじゃなくて……」


 カナタが驚いたのは制服が自分達とは違う点では無かった。

 ――浮いている・・・・・

 人の輪に入れていないとか、馴染んでいないとかそういう意味ではなく。

 聖女と呼ばれる少女は、その体がふわふわと浮いて移動しているのだ。

 "失伝刻印者ファトゥムホルダー"という情報よりも、目に飛び込んできた人間が浮いている情報の驚きのほうが勝っている。


「う、浮いてる……!?」


 その声が聞こえてきたからか、教室に入ってきたエイミーはカナタのほうをちらりと見て……そのままゆっくりとカナタの座る席の前まで歩いて(?)きた。

 カナタの前に立ったエイミーは深みのある緑の瞳で見下すようにじっと見つめた。


「あなたが噂の……公爵家の側近さん?」

「はい、そうです」

「ふーん……」


 エイミーはカナタをじろじろと見たかと思うとくるりと振り返って、


「ぶっさ……」


 小さく言い残しながら、カナタから離れた席までふわふわと移動して何事も無かったかのように座った。どうやら椅子には座れるらしい。

 エイミーの護衛騎士らしき女性も特に何か言うわけでもなくエイミーの後ろに立つ。

 カナタは特に何とも思わなかったが、隣に座るルミナはわなわなと体を震わせながら立ち上がる。


「な、な、な! お待ちください! 聞き捨てなりません!」

「落ち着いてくださいルミナ様……本当のことですし、気にしてないです」

「カナタのどこがぶさいくですか! こんなに可愛らしくも凛々しいお顔をしているのに!」

「そうだそうだ! 聖女だからって何言っても許されると思うなー!」

「ルイ、ややこしくなるから黙って!」


 ルミナ(ついでにルイ)の怒りなどなんのその。

 エイミーはちらっとカナタ達を見ても、ふん、と目を逸らすばかりで態度が変わることななかった。

 あの子に何かしたっけ、とカナタは記憶を掘り返す。

 当然、カナタと聖女は初対面。嫌われた心当たりなどあるはずもなく……教師が来るまでカナタは無駄に悩み続けていた。

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