88.扉の先の老人

「お前、意外に筆記の順位よかったなぁ……最下位じゃなくて驚いた」

「ありがとうございます兄上。母上に死ぬほど詰め込まれました」


 試験の点数を確認して数日、新入生達が寮に入る準備が終わった頃には入学も目前という時期になっていた。

 本来なら校舎内を自由に歩き回れるのが入学してからなのだが、カナタはすでにラクトラル魔術学院に入学していて今年三年生になる兄エイダンに連れられて城のような校舎を一足先に歩いていた。

 二人が歩いた廊下の先の燭台に火が灯り、通り過ぎるとふっと消えていく。

 誰も通らなければ明かりのない暗がりの廊下なのだが、二人の歩く場所だけが照らされていた。


「あの母上に死ぬほど、か。本当に詰め込まれたんだな」

「それでも上位に入れない辺り、自分の出来の悪さを実感します」

「いや、ちょっと前まで文字も読めなかった馬鹿がここの筆記である程度の順位に入れたんだ……結構頑張ったんじゃねえの?」

「あはは、ありがとうございます」


 エイダンが少し照れながら褒めてやると、カナタはにこにこと嬉しそうにするのでさらに照れてしまう。

 カナタの筆記の結果は下から数えたほうが早く、当然誇るような順位でもないのだがエイダンが褒めてくれたからかカナタは満更でもなさそうである。


「今年はどんな問題だったんだよ」

「術式に関する問題は結構解けたのでそこで稼げたのかもしれません。ただ歴史とか魔術師に関する問題が全く……母上に詰め込まれた時も全然覚えられませんでした……」

「あー、お前は魔術師に興味あるわけじゃないもんな。普通は憧れの魔術師の一人や二人いるもんなんだけどよ」

「これでも覚えたほうではあるんですよ……防御魔術の術式を開発した人とか、固定術式を生んだ人とか興味あるのはいくつかあって……」


 カナタは指を折って覚えた魔術師を改めて数える。

 正確に覚えている魔術師が両手だけで終わってしまうのが悲しい所だ。

 カナタは決して要領がいいわけではないのである。


「そういえば兄上……これどこに向かってるんです?」


 カナタは行く先の見えない廊下を見つめながら問う。

 外はまだ昼のはずなのに窓は閉ざされて差し込む光すらない。

 カナタは歩きながら、廊下のそこらに術式が描かれているのをその目で見た。流石にその術式が何なのかを読み取ることはしなかったが。


 最初こそ他の生徒とすれ違うこともあったがもういるのは自分達だけ。

 入学前に制服を着て校舎を歩いているだけでも何だか悪いことをしている気分だったというのに、歩いた先が入っていいかどうかもわからない場所となると好奇心のわくわくを通り越してひやひやに変わっている。


「いや学院に呼び出されてるって最初に言ったろ。学院長のとこだよ」

「学院長? えっと……」


 カナタは手を頭に当てて、この半年勉強していた記憶から名前を探し出す。


「ヘルメスさん? でしたっけ?」

「そう。宮廷魔術師第二位ヘルメス・シュペルーサ……宮廷魔術師ではあるが王族の命令を退けることができる特権持ち。魔術の発展と魔術師の教育に重きを置きながら実力も第五域っていうえげつない爺さんだ。

正真正銘、実力と功績でその名を諸国に轟かせている化け物魔術師だよ」


 その名を諸国に轟かせている、という言葉がカナタには魅力的だった。

 カナタの目的は自分の名が遠くにいる誰かさん達に届くくらい大きな男になること……その具体的な例に今から会えると思うと歩く足も少し弾む。


「そんな凄い人が何で自分を? それとも他にも呼ばれてる人がいるんですかね?」

「あのなぁ……本気で言ってるのかお前?」


 エイダンは呆れるようにため息を吐く。


「学院長は宮廷魔術師だって言ったろ。同じ立場の人間ぶっ殺した奴が入学して来たらそりゃ呼び出すだろ……どんな奴か確認するためによ」

「そういうものなんですか?」

「そういうものなんだよ。お前、自分が思ってるより注目されてるって気付けよ。どうせ試験の順位発表の時も注目されまくってたぞ」

「え?」


 カナタは試験の順位を見に行った日のことを思い出す。

 あの日はルイに起こされて朝食を食べて、コーレナに呼び出されてルミナと町を散策して……そして学院に寄って成績を確認したらすぐに宿に帰った。

 そして実技一位記念だとルミナとルイが結託してちょっとしたパーティーになり、お菓子をたらふく食べて寝た。

 思い返しても誰かに注目されるようなことは何一つなかった気がするのだが、どうやらエイダンが言うには他の人に見られていたらしい。


「でもその日誰にも俺名乗ってないですよ?」

「お前が名乗ってなくてもお前のあの世話係が大声でカナタ様ー! って名前呼んでるに決まってる」

「そんなこと…………はあったかもしれませんけど」

「ははは! 貴族は耳がいいぞー!」


 そんな事を話している間に廊下の先に到着した。

 歩いた廊下の先にあったのは拍子抜けするほどに何の変哲もない扉だったが、カナタには何らかの術式が描かれているのが見える。

 廊下で見た術式よりも複雑で、立体的で、もっと言えば動いている。

 扉に描かれた術式の魔力が常に流動しているのか、それとも術式以外が絶えず変化しているのか。

 だとすればこの術式の使い手はどれほどの使い手なのだろう。

 カナタは好奇心からか少し興奮気味でそわそわしている。


「三年のエイダンです。弟を連れてきました」


 エイダンがノックすると扉が開く。

 扉の先は広々としているが、中心に置かれている半円形のテーブルと椅子だけで他には何もない部屋だった。

 そのテーブルに着席している者は誰もいない。

 カナタは一瞬、エイダンが部屋を間違えたのかとすら思った。


「ほら入るぞ。入った瞬間殺されるなんてことはないから安心しろよ」

「誰もいませんよ?」

「いや、いるから大丈夫だ」

「……?」


 エイダンの言葉に従って、カナタは部屋の中に入る。

 その後ろをエイダンが続いて入ってくれたことにカナタは少しほっとした。

 半円形のテーブルの前までカナタが歩くと、


「え?」


 カナタの視界が半分だけ奪われる。

 突然、まるで瞬きの途中のような視界となった。

 あまりに唐突だったので慌てかけるも、カナタの耳にすぐ声が聞こえてくる。


「安心するといい。見えなくなったわけではなく、認識できなくなっただけだじゃよ」

「えっと……初めまして!」

「ばっはっは! 思ったより礼儀正しいの」


 カナタは半分閉ざされた視界で半円形のテーブルのほうを何とか見ようとする。

 いつの間にか、誰もいなかったはずのテーブルには何人もの人間が着席しているようだった。

 狭い視界で見えるのはどれだけ角度をずらそうとしても胸から下くらいで顔が見えない。聞こえてきた声の主であろう老人が真ん中に座っているのは何とか見えた。


「初めまして公爵家の側近。デナイアルを殺した少年よ。

わしが宮廷魔術師序列二位にしてここの学院長ヘルメス・シュペルーサじゃ」

「初めまして、カナタ・ディーラスコと申します」


 朗らかで落ち着く声に安心しながらカナタは一礼する。

 するとどういう仕組みなのか、真ん中に座るヘルメスの顔だけがカナタにも見えるようになった。

 カナタはその声から長い髭の魔術師を想像していたのだが、予想に反してヘルメスの髭は短く、体は太い。顔に刻まれたしわが想像させる歳の割に鍛え上げているといった印象を抱かせる老人だった。


「二位ではあるがわしが実質一位みたいなものじゃ。なので、わしのことは一位……もしくはトップと呼んでもよいものとする」

「わかりましたトップ」

「わかるなわかるな」


 そんなエイダンのツッコミからカナタにだけ行われる面談は始まった。

 集まった魔術学院の教師達による、カナタという少年を見極めるための面談が。

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