79.悪意の矛先
「確か、精神干渉の……?」
デナイアルはカナタの術を見て、思い当たる魔術を思い浮かべる。
確か闇属性の精神干渉魔術に似た形状のものがあった。
だが、なんだ、これは。
カナタの魔力がさっきまでとは違って、荒々しいものへと変わったような。
――まさか、ここからが本番だという言葉ははったりではない?
デナイアルは瞳を細める。
腕をずたずたにしたにもかかわらず、こちらを恐れもしないカナタの姿の不快さから。
カナタは一歩前に出る。
その草原を踏みしめる音にデナイアルは身構えて、
「くはっ――!」
次の瞬間には自然な足取りなまま疾走する。
先程までのような様子見ではなく魔力の起こりによる警戒だけ。
カナタが駆けた場所に赤い血が雫となって舞う。
戦場漁りの時に戦場を駆けた日々のように、カナタは自分の命の価値を下に置いた。
見開いた目に宿るのはデナイアルへの殺気。
空間に吹く冷たい風は感情に焦がされて熱へと変わる。
デナイアルとて魔術師。カナタの変化にその表情からすぐさま余裕と自惚れをひっこめた。
「"
カナタが距離を詰めるタイミングで、デナイアルは周囲に浮遊させていた球体をカナタと自分の間に集める。
最初に唱えてずっと維持しているこの球体は無属性魔術の起点にしてデナイアルを守る盾でもある。ただはったりで浮いているわけではない。
だがカナタの背中から生える黒い腕はそんなもの構わずデナイアルに向けて襲い掛かる。
「精神干渉など私には――」
直前、デナイアルはカナタの表情に焦りがないのを見る。
まるで最初からわかっていたように躊躇いなく、黒い腕はデナイアルを守る十の球体に叩きつけられて……その瞬間にデナイアルは勢いよく後ろへ跳んだ。
連続してガラスが割れるような音がけたたましく空間に響く。
「精神干渉ではない……!?」
「残念! はずれぇ!!」
宮廷魔術師であるデナイアルはステーレイ王国にある魔術のほとんどを記憶している。
カナタが使った魔術も確かに見覚えがあった。あの黒い腕は実体がなく、人間に触れる事で発動する精神干渉魔術の一つ。
しかし、今の衝撃は間違いなく攻撃魔術。
その証拠に、デナイアルを守っていた球体は四つも砕け散っていた。
カナタはその四つで満足することなくデナイアルのほうへと。
「次はあんたごとだぁあ!」
「まさか、術式を改造しているのか!?」
こんな子供が、とデナイアルは叫びそうになるのを抑えて杖を振る。
「"
追加で唱えたその文言で減った球体が再生する。
六個に減らされた球体は再び十個へ。
今まさに振り下ろさんとしている悪魔の腕に対する壁として再びカナタを阻んだ。
がりがりがり、とカナタの黒い腕はデナイアルの球体片っ端から削っていく。
デナイアルの魔術もまた黒い腕から徐々に魔力を消滅させていった。
魔力と魔力が衝突し、火花のように散る。
そんな魔力の合間からカナタの足がデナイアル目掛けて飛んできた。
デナイアルは杖を振り、一つの球体を使ってカナタの蹴りを防ぐ。
しかしその一つの球体が黒い腕から離れたことで衝突しあっていた魔術同士の均衡が崩れた。
黒い腕の重圧が魔術を通してデナイアルに伝わり、デナイアルはついに一筋の汗を流す。
カナタの背中から生える黒い腕に杖を向けて、
「『
新たな魔術を繰り出すことでしか黒い腕を止める事はできなかった。
半透明の布のようなものが黒い腕を包み、魔術を通じてカナタの体が重くなる。
デナイアルは術式の改造によって異様な攻撃力を誇るこの魔術こそが恐らくカナタの切り札だと予測した。
魔力の密度からして第三域以上、第四域未満の魔術といったところか。
術式の改造、そしてそれを手足のように扱える技量。
年齢を考えれば驚嘆に値するが……対処ができないわけではない。
黒い腕の動きが止まり、消滅していくのを見てデナイアルは笑みを浮かべる。
「"
しかしカナタは迷うことなく脳内に浮かぶ言葉を切り替えた。
笑みを浮かべるデナイアルに、カナタは目一杯の魔力と殺意を向ける。
「『
ごうっ、と炎が噴き出す。
黒い腕を消滅させた布の魔術を燃やし尽くし、デナイアルの場所に生えていた草原を燃やし尽くす。
デナイアルは咄嗟に杖を振り、球体を盾にしたが……その炎もまた黒い腕と同じようにデナイアルを守る球体を燃やしていく。
本来この球体の効力である魔力の相殺という能力も、一つ一つに込められた濃密な魔力すらも。
(私の第三域を燃やし尽くして――まさか、この子供……本物か……?)
デナイアルは球体全てを燃やし尽くされて、ようやく目の前の少年の力を認めた。
第三域までの自分と、ほぼ同格に魔術を撃ち合える稀有な存在として。
自分とそれ以外という価値観を持つデナイアルにとってそれはあまりに珍しい。
「すごい……」
カナタとデナイアルの魔術の撃ち合いを見たルミナは感嘆の声を上げる。
カナタが魔術を得意としているのは知っていたが、ここまでとは思っていなかった。
そんなルミナをデナイアルはちらりと見る。
突如現れたカナタという煩わしい敵。それはデナイアルにとって予想以上に厄介な存在となった。
宮廷魔術師という肩書きを恐れず、第三域の魔術同士では自分と互角に撃ち合ってくるカナタの存在でルミナに希望が芽生えているのがわかる。
デナイアルからすればこれほど厄介な障害はない。
「いやはや、まさか公爵家の捨て駒がこれほどとは……私としても予想外でした」
なので、デナイアルは手法を少し切り替える。
デナイアルの狙いはカナタではなく、あくまでルミナなのだから。
互いの魔術が消滅したこの瞬間……デナイアルのわざとらしい拍手をカナタは睨む。
「捨て駒?」
「おや、自覚していたのではないのですか? あなたは"
「ルミナ様が、"
カナタはロノスティコに教えて貰った事を思い出しながら、ちらっと肩越しに背後のルミナを見る。
だから狙われていたのか、とカナタはようやくルミナが攫われた理由を知った。
「そんなはずはありません! お父様がカナタを捨て駒などと!」
「ふふ、娘のあなたがそう思いたいのは無理もないですが……ダンレス、たかが子爵家の貴族が起こした小競り合いに、公爵家の当主がわざわざ視察に向かうと思いますか?」
「そ、れは……」
「普通なら、騎士団を派遣して終わりでしょう? 側近を送ればよいでしょう? カナタくんが見つかった後……ラジェストラ様は自分の領地から離れましたか?」
「……」
ルミナは何も言い返すことはできなかった。
カナタはディーラスコ家に引き取られてからこの二年間、側近候補としてルミナを含めた公爵家の三兄弟と交流のためにと公爵家を月に一度は訪れている。
その際、ラジェストラが不在だった事は一度もない。
カナタを引き取る前は視察のためだと一月以上、家を空けるのは珍しくなかったというのに。
「もう、外に探しに行く必要がなくなったんですよ。カナタくんという極上の捨て駒、囮を見つけたから……あなたの代わりに死んでくれる子供が見つかったから」
「ちが、う……」
「違いませんよ。カナタくんが
とにかく、見えぬ敵にカナタくんを注目させたかったんですよ。公爵家の"
「おーばー……?」
聞きなれない単語だったからか、カナタはつい口にする。
「第一域から第五域に属さない奇妙な魔力現象……もしくはその現象を扱える人間をそう指すのです……。先天的にしろ後天的にしろ才能というよりは異能に近い。既存の魔術の定義にあてはまらないので研究重視の魔術師にとっては喉から手が出るほど欲しい人材です。あなたはその可能性が高い。
事実、ブリーナのような魔術師でさえあなたを狙ったでしょう?」
ブリーナの名前を出されてカナタはぴくっと眉を動かす。
何故知っているのかという疑問よりも、怒りのほうが先に湧いた。
こちらに笑い掛けてくるデナイアルの表情が、余計にカナタの神経を逆なでする。
その神経を逆撫でするような笑顔よりも邪悪に、デナイアルはさらに口角を上げた。
「よかったですねルミナ様、ラジェストラ様が用意したあなたの捨て駒……いえ、あなたの
いやはや数奇な運命ですね……まさか母親に命を救われるだけでなく、その息子もこうして身を挺して守ってくれているというのだから、これこそ一つの物語として書き綴りない美談でしょう」
「母親……? 息子……?」
デナイアルの口角は上がったまま。紫の瞳の奥には悪意が
ルミナの疑問に、親切に答えるようにデナイアルは刃を突き立てるがために口を開いた。
「おや、ご存じでない? 数年前、スラムであなたを守ってくれた女性……あれはカナタ君の母親ですよ」
「………………え?」
時が止まったようにルミナは固まった。
そしてゆっくりと、背中を向けているカナタのほうを見る。
……カナタは否定しなかった。
違うのなら、お前は何を言っているんだ、と言いそうなものなのに。
「カ……ナタ……」
「本当ですよ、ルミナ公女……いやはやお美しい関係性ですね! カナタくんの母親はあなたを守って死に! 今まさに息子であるカナタくんもあなたを守って死のうとしている! 素晴らしい! これはカナタくんが命を落とした時には、私からも拍手をしなければいけませんね!」
「カ、ナタ……ほんと、なの……?」
「本当ですよ、偶然ではありますが……私はカナタくんの口から聞いたのですから」
デナイアルは一人、カナタに向けて拍手をする。
ルミナは縋るように、カナタにもう一度……問う。
「カナタ……ほんと……なの……?」
「……はい、本当です」
「――――」
カナタの声で、ルミナの視界が真っ暗になった。
そんなルミナの様子をデナイアルは満足そうに見つめる。
……ルミナは善良ゆえにその事実に耐えられない。
罪悪感で心という器を満たし、後はカナタをこれ以上傷つけたくなければ、とでも言って魔術契約書に名前を書かせればいい。そうすれば今のルミナは何の躊躇いもなく書くだろう。
罪悪感を持った人間を操るのは簡単だ、贖罪らしい自分を罰する事が出来るような選択肢を用意すればいい。
それがたとえ間違った選択肢であったとしても……そんな思考をする余裕は罪の意識に呑まれてしまっているのだから。
「わ……たし……」
当時の記憶がルミナの中で再生される。
今よりもっと幼かった頃、自分がおてんばだった頃の最期の記憶。
「わたし、のせいで……」
振り下ろされる折れた剣。覆い被さる見知らぬ女性。
「わ、たしの……」
流れ出る真っ赤な血。女性の精一杯の笑顔と言葉。
「わたし……が……」
瞳から消えていく生気。小さくなっていく声の中聞いた息子への謝罪。
「私が、カナタのお母様を……殺した、の……?」
ルミナは今にも消え入りそうになりながら自分の罪を声にする。
心を支える幸福な記憶ごと押し潰されそうになりながら頬にゆっくりと涙が伝う。
デナイアルは放っておけば今にも自害しそうなほど痛々しいルミナの様子を、満足そうに見つめている。
「違う」
空間を満たすほどルミナの悲しみが溢れる中、それを切り裂く一振りの声。
気休めでもなく、慰めでもなく――確かにカナタはそう言い切った。
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