50.いつもより静かな森で

「そ、そんな事が……」


 翌日、兄と弟がそんな事になっているとは知らないルミナはカナタから話を聞いて青褪める。

 いつもは三人揃って座っている東屋ガゼボにも今日はルミナしかいない。

 その理由をカナタに尋ねてようやく、ルミナは昨日執務室で起きた出来事を知ったようだ。


「ラジェストラ様からお話などは?」

「いえ、全く……私は後継者とは関係無いからだとは思いますが……。だから昨夜の夕食の時、空気が重かったんですね……」

「全員無言でしたからね」


 カナタはちらっと後ろに立つ護衛騎士のコーレナのほうを見る。

 コーレナはカナタの視線の意味を察したのか。驚きを隠せない表情で顔を横に振った。


「それで、ロノスティコが後継者争いだと言った時、お父様は何と……?」

「一日時間を貰うとその場は解散してしまって……明日にはルミナ様にもラジェストラ様の口からお話が来るのではないでしょうか」

「そう、ですか……」


 カナタから見ても、ラジェストラは後継者争いを敬遠しているようだった。

 過去に何かあったのか、それとも王族に近い家系ゆえに王族の血みどろの争いを見てきたからか。

 カナタにはわからないが、いつもならその場ですぱっと結論を出しそうなラジェストラが一日貰うと言うのだから相当悩んでいるに違いない。

 後継者争いは王族に限らず、苛烈になりがち……数日前、丁度ロノスティコにそう教えられたのをカナタは思い出す。ラジェストラはセルドラとロノスティコという可愛い息子二人がそんな風になるのを恐れているのだろう。


「……大丈夫だと思うけどなぁ」

「え?」

「いえ、自分は考えが甘いのかな……と」


 ルミナのカップに用意された紅茶を注いで、カナタも座る。

 今日座っているのは二人だけ。騒がしいセルドラも本を読んでいるロノスティコもいない。


「ルミナ様は領主に興味があったりはしないのですか?」

「いえ、私は人を統べる才能はないといいますか……ほら、異性の方が近寄るだけでも緊張してしまって、まともに話す事ができませんから……」

「治るかもしれないじゃないですか、現に自分とはこうして話せているんですから」

「そ、それに、何かをやりたいとかが……私にはないので……」

「ない? 何もですか?」

「将来こうしたい、と思える事が無いのです……。外に行くのが恐くなって、傭兵団や騎士の方々も恐くなって……そうしているうちに目の前の事をこなして、明日が来る事を待つだけの……つまらない女になってしまいました……」


 誰かに後ろ指を指されたかのように小さくなるルミナ。

 だがルミナのそんな様子に気付く事も無く、カナタはただ自然に答えた。


「何言ってるんですか、自分も同じですよ」

「え……?」


 そんなの当たり前だと言わんばかりに軽く答えるカナタにルミナは呆気にとられる。

 悲観している自分とは違って、カナタは毎日を明るく生きているように見えていたから。


「戦場漁りをしていた頃は生きるのに精一杯で、生き残ったら明日が来るのを待って……また戦場に移動して、魔術滓ラビッシュが拾えたら、それをずっと眺めて明日を待つ。将来なんて遠い未来を考える余裕もありませんでした。

養子として引き取られた後も同じです。目の前の事を頑張る事しかできなくて……将来どうなるだなんて考えられませんでした。ラジェストラ様や父上が用意した側近候補というゴールも自分で目指したものではありません。大変だったので今日の事をやって、明日の事を考えるので精一杯でした」

「カナタ……も?」

「はい、今度招待される貴族達の名前もまだ覚えきれていませんから今日もこれを穴が開くまで見つめて、明日もそうするでしょう」


 そう言って、カナタはロノスティコに貰った招待客のリストを懐から取り出す。

 貴族とは違って人の名前を覚えるという事にそもそも慣れていないカナタにとって一番の課題はむしろこれかもしれない。


「ラジェストラ様からどうしろとは言われてはいないのでしょう? なら魔術学院に入ってからやりたい事、なりたいものを探してみても遅くはないのでは?」

「そう……ですね、そうかもしれません」

「それに、ルミナ様は異性の人が恐いので学生生活を一日送るだけでも重労働になるでしょうし」

「うう……。そうなんですよね……」

「どちらにせよまずは目の前の事を、ですね。将来とやらは考えなければいけない時がどちらにせよ来るでしょうから」

「はい……」


 ルミナはほんの少しだけ、自分の何かが軽くなったような気がした。

 目の前の少年は会ってから今までずっと言葉を飾らない。話し方は丁寧にしても、素直なままでその本意には一切の嘘の匂いがしない。

 それは貴族社会ではあまりに稀有だ。長く付き合いのある教育係ですら、領主の子という肩書きが前提の言葉を使うというのに。


(だから、すっと入ってくるのでしょうか……?)


 紅茶を飲むカナタを横目でちらっと見る。

 自分がカナタを恐がらないのは、カナタのこういう所が安心するからなのかもしれない。

 だからか、ルミナはそんなカナタの素直さについ甘えたくなってしまっていた。


「あの、カナタは……どちらの味方をされるのですか?」

「え?」

「エイダンさんはセルドラお兄様の側近候補ですからお兄様に味方するでしょうけれど……カナタはまだ誰の側近候補になるかも決まっていないでしょう? だから、どちらに味方をするつもりなのかな、と思いまして……」


 ルミナはカップをぎゅっと握りながら、カナタをじっと見つめる。

 こんな質問は本来するべきではないとルミナもわかっている。カナタの立場からすればあまりに答えにくい質問だ。ここでどちらかの味方をすると答えれば、カナタの未来に大きく関わってしまう。軽々に答えられるような質問ではない。


「……」


 それを知ってか知らずか、カナタを見つめるルミナの瞳は涙で濡れていた。

 濡れた銀色の瞳は吸い込まれそうなほど美しく、夜空に浮かぶ運河のよう。

 表情は不安げで、そんなルミナと見つめ合ったが……カナタは驚くほどあっさりと答えた。


「どちらにも味方します。父上にもそう言われていますから」

「え、ど、どちらも……?」


 予想外の答えにルミナは狼狽うろたえる。

 これはルミナを煙に巻くような答え? いや違う。カナタは本気だ。


「はい、セルドラ様に協力しろと言われたらしますし……ロノスティコ様に助力を請われれば手助けします。もちろんお互いの不義理にならない程度に、とはなってしまいますが」


 カナタは冷めないうちに、とルミナが強く握るカップのほうに手を差し出して飲むよう促す。

 ルミナは促されるまま紅茶を一口……華やかな香りが鼻を抜けてルミナを落ち着かせてくれた。


「お二人にとってもお互いが敵であるわけではありません。元々仲睦まじい兄弟であり、今となっても良き競争相手でしょう? 自分と兄のエイダンも最初は仲違いしていましたが、打ち解けてからは身近な競争相手として日々勉強していました」

「カナタとエイダンさんはそうだったのかもしれませんが……」


 ルミナはまだ不安そうな表情をしていたが、カナタは即座に椅子から下りて跪いた。


「もちろん、二人だけでなく自分はルミナ様の味方でもあります。助けて欲しい時はいつでも呼んで下さい。まだまだ未熟者でよろしければ駆け付けますよ」

「……ありがとう、カナタ」


 カナタの答えを聞いていると、後継者争いと聞いて大きくなった心臓の鼓動が元に戻っていくような、そんな安心感を覚える。セルドラとロノスティコの争いが大事にならないと、そんな予感さえ。

 カナタの対応が気に入ったのはルミナだけでなく、二人の後ろで護衛騎士のコーレナがぼそっと、百点、と呟いていた。


「よ、よ、ようやく! ようやく見つけましたよー!」


 そんなやりとりを終えた静かな森の中で、女性の声が響く。

 がさがさと草をかき分けてこちらに誰かが飛び出てくる。

 護衛騎士であるコーレナはすぐさまルミナを庇うように前に出て、腰の剣に手を掛けた。

 しかし警戒する必要はない。なにせカナタはこの声の主を知っている。


「あ、ルイだ」

「カナタさまあ! このルイ! ようやく審査に通りましたぁあ!!」


 涙目になりながら飛び出してきたのはディーラスコ家でカナタの世話係をしているルイだった。

 カナタが小さく手を振ると、涙目だったルイの顔がぱあっと明るくなる。


「お待たせしましたカナタ様! カナタ様がいる所! 火の中……は無理! 水の中はギリ! 行けそうな所はなるべく馳せ参じます! カナタ様専属使用人のルイ! 只今到着いたしました!」

「なんだこの侵入者しようにんは……!?」

「あわわ……」

「自分の世話係です。面白いでしょう? 昔からこうなんです」


 葉っぱを髪につけ、鼻水をすすりながら現れたルイがあまりに衝撃的だったからか……カナタが自分の世話係だと説明してもルミナとコーレナの警戒はしばらく解かれなかった。

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