47.カナタのお話
「ルミナ様……頑張って下さい」
「は、はい!」
カナタは背筋を伸ばし、左手を前に向けてルミナを迎え入れる体勢をとる。
午後はルミナの要望通り、前夜祭におけるエスコート役……そして本番のパーティーで披露するであろうダンスの練習だ。
ロザリンドによって特に詰め込まれたエスコートとダンスレッスン。その成果を見せる時とカナタは意気込んでいたのだが、問題のルミナがぷるぷると震えるばかりで一向に進まない。
「あ……ああ……!」
カナタはそのままの態勢でドレス姿のルミナを待つ。
パーティーに着ていくほどのものではないがそれでも高価な青色の練習用のドレスだ。
対して、カナタは黒の燕尾服に白いシャツ、黒のパンツとわかりやすくきっちりとした格好でルミナを待っている。側近候補として、領主のお嬢様相手に練習用のというわけにもいかないので用意して貰ったものだった。
「うう……ごめんなさい! やっぱり……!」
「そうですか、無理はしないでいきましょう」
カナタの体勢もむなしく、ルミナはその場に座り込んでしまう。
過去のトラウマはやはりそう簡単に払拭する事はできないのか、カナタと話すのは大丈夫でもカナタと密着するのは難しいようだった。
「ルミナ様、椅子にどうぞ」
「こ、コーレナぁ……」
即座に護衛騎士であるコーレナが椅子を運び、ルミナを座らせる。
カナタが傭兵団出身だという事もあるが、そもそもルミナは異性があまり得意ではないらしい。
幼少の頃は護衛と町に飛び出すおてんばな所もあったが、襲われた日を機に城から出る機会もほとんど無く……ルミナを世話する使用人も男性はいないようだ。
練習用のホールにいる護衛騎士も使用人も女性ばかりでカナタは少し居心地が悪い。全員がルミナに何かあればすぐにでも飛び掛かってきそうな目だ。
「すまないカナタ様……これでもルミナ様にしては頑張られているほうなんだ」
「いえ気にしていないですよコーレナさん。事情はわかっているわけですし」
カナタはルミナに向けていた左手を下げて、体勢を少し楽にする。
この二年、カナタとルミナは雑談するのが普通になっていたのですんなりと進むかと思っていたが、やはりそう簡単に変わるのは難しいらしい。
「普段はどうされているんですか?」
「ルミナ様は領主の子女であらせられる。顔見世は自由なのです。どうしても出席しなければいけない時はラジェストラ様とセルドラ様が周りを固めています」
「なるほど……では今回は……?」
「今回は数年ぶりにフロンティーヌ様がパーティーにご出席なされる。ラジェストラ様は当然そちらのエスコートをしなければならない……なのでルミナ様をエスコートできる異性が一人どうしても必要なのだ」
フロンティーヌ? とカナタは頭の中で聞き覚えのある名前を思い出す。
確かロザリンドに作法教育を詰め込まれた時に教えて貰ったアンドレイス家の公爵夫人の名前……つまりはラジェストラの妻だ。
カナタは公爵家に通っているが一度も面会した事がない。
……と、考えた所でカナタの顔が青褪めさせた。パーティーに出席するという事は何らかの事情で会えなかった状態ではなくなったという事、それなのにカナタは挨拶もしていない。
「あの……フロンティーヌ様に一度も挨拶をしていないのですが……よろしいのでしょうか……?」
「ああ、安心してください。その点に関してはラジェストラ様が不要だと言っています。フロンティーヌ様からのご希望があればその限りではありませんが、今の所は大丈夫かと」
「お母様はお体が弱いのもあって、あまり
ルミナは少し寂しそうに顔を俯かせる。まるで、その
貴族……特にアンドレイス家のような領主一族ともあれば順風満帆な生活ばかりを送っているとばかり思っていたが、どうやらままならない事もあるようだ。
普段のラジェストラを見ているからか、特にそう思い込んでしまったのかもしれない。
「何があったのかお聞きしても?」
カナタは椅子に座るルミナに視線を合わせるようにしゃがむ。
当然、ルミナが恐がらないような距離をとって。
「えと……」
「無理にとは言いません。詮索だと言われれば口を閉ざします。ただ次のチャレンジをする前に少しお話をと思いまして」
「詮索だなんてそんな……」
ルミナはしばらく手をもじもじさせると、恐る恐る顔を上げた。
カナタは変わらぬ様子でルミナを待つ。このままずっと何も話さず日が暮れるまで座っていても、カナタは嫌な顔一つ浮かべずにこの体勢のまま待ってくれるだろう。それこそ使用人が夕食の時間を伝えに来るまで。
ルミナはもう、カナタがそういう人間だとわかっていた。だからこそ、少しでも話したくなってしまう。
「私が昔、町に出て……襲われた事は知っていますよね……?」
「はい、その時のトラウマのお話も聞いています」
「その後……私はお母様にひどく怒られてしまいまして……あんなに怒ったお母様は初めて見ました。そこから、関係もぎくしゃくしてしまったんです。その後お母様が病で外に出なくなって……今では、疎遠に……。おかしいですよね、同じ家の中にいるのに……私が悪かったんです。不用意に外に行きたいだなんて我が儘を言ったから、嫌われて、当然です」
ルミナはぎゅっとこらえるように両手を握って、無理に微笑む。
着飾る青いドレスも今はその痛々しい表情もあいまってまるで泣けないルミナの涙のよう。
「それは叱ってくれたんでしょう」
「え?」
そんなルミナを無難な言葉で慰める事も漠然と共感する事もなく、カナタは自分が思った事を伝えた。
「愛してくれるからこそ心配して、叱るのです。ただ苛立ちで怒りをぶつけるのではなく、愛している子供が危険なことをしたのが心配で二度としないようにと」
「愛しているから……。その……カナタも、叱られた事が?」
「はい、二年前のとある出来事の時は特にこっぴどく叱られました。でも嬉しかったです、二年前の……引き取られて半年も経っていない自分を我が子のように叱ってくれたのですから」
カナタとルミナ、どちらも叱られた事を話しているのに互いの表情は明白に違う。
カナタはまるで叱られた時の事を思い出のように語り、そして嬉しそうに笑っていた。
「ルミナ様もお母様に愛されているからこそ、それだけ怒っていたのだと思いますよ。ルミナ様のように可愛らしい自分の子供が町で襲われただなんて、家族からすれば気が気ではないでしょうから」
「か、わ、……で、ですが……お会いしてくれないのは……」
「病気をうつしたくなかったとか、親として子供に弱ってる姿を見られたくないとか……理由はいくらでもあります。少なくとも嫌われていると決めつけるよりは遥かに納得できるような理由がね」
カナタは懐かしい事を思い出していた。
ラジェストラに養子にすると言われて、拒絶した時の事。
あの日、風の防壁の中でウヴァルに過去を交えて説得された涙の事を。
「大人が子供に弱い所を見せるのは、それなりの覚悟がいると自分は知っているんです」
だからこそ、ルミナに伝えるカナタの言葉には実感と思いが乗っている。
二人の父から教えて貰った事がカナタの中にはしっかりと残り続けている。
痛々しい笑顔を見せていたルミナはいつの間にか、そんな不器用ながらも体験を交えて慰めてくるカナタに自然と笑い掛けていた。
「偉そうに申し訳ありません」
「いえそんな! カナタは、お話上手ですね。男の方を恐がっているはずなのに……不思議とあなたの言葉は耳に入ってきます」
「初めて言われました。では、その話上手なカナタともう一度……踊って下さいますか?」
カナタは立ち上がり、背筋を伸ばした体勢になると再び左手を前に差し出した。
「はい、喜んで」
ルミナも立ち上がって、恐る恐る一歩、また一歩と歩み寄る。
結局その日は踊るために密着……とまではいかなかった。
しかしルミナがカナタの手を握る所までは進み、ルミナがカナタの手を取った瞬間、周囲で見守っていた使用人達からはちょっとした歓声が上がっていた。
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