30.垣間見える器

 シャトランの命令を受けて騎士が剣を抜く。

 使用人の中から小さな悲鳴が上がった。

 カナタは何が起きているのかわからず困惑していると、凛とした声が響く。


「おやめなさい副団長」


 ロザリンドの声で騒然としかけたダイニングルームが静まる。

 ルイを連れてきたのはどうやら騎士団の副団長らしい。言われてみれば訓練を見学しに行った時に見た覚えがある。

 止めてくれた、とカナタが思うのも束の間、


「ここではせっかくの食事の場が汚れるでしょう。外でやりなさい」

「ひっ――」


 一瞬救いに見えたロザリンドの宣告にルイは恐怖で涙を流す。

 ルイの命よりも、カーペットの価値を言外に優先しているその言葉に冷徹さを見る。


「使用人の分際で、などと我が家に仕えてくれている他の優秀の使用人達を軽んじるような事は言いたくない。私もロザリンドも貴族にしては寛容だ。町に出て平民達が多少言葉を荒くして接したとしても、服を汚したとしても罰する事はない。

だが、立場を軽んじる者相手にはその温厚な仮面も剥ごう。寛容にあぐらをかくな。解雇で済むとでも思っていたのか?」


 普段温厚で厳しさをほとんど見せないシャトランの静かな怒りが籠った声。

 さっきまでカナタを笑い飛ばしていたエイダンすら背筋を伸ばし、緊張していた。生唾を飲み込む音がここまで聞こえてくる。

 ロザリンドですら、さっきの一言以降は口を閉ざしている。


「私達ディーラスコ家がどのような生活を送っているのか、経験の浅いカナタにそれを教えるのも世話係の役目だ……どうなっている侍女長。この無能を選んだのは貴様のはずだな?」

「はい、その通りでございます」

「長年我が家に仕えておいてこのような無能を選ぶ体たらく。そして教育不足。貴様にも責がある。追って処分を伝える」

「私の不徳の致すところでございます。深くお詫び申し上げます」


 侍女長がシャトランに頭を下げると、その謝罪を一瞥だけしてシャトランは髭を撫でた。

 その癖すら今、叱責されている者達にとっては恐ろしく映るに違いない。


 カナタはその一連の光景を見て息を呑む。

 シャトランが普段全く外に出さない貴族らしさ。上級貴族としての権威。

 ここぞという時にその顔を出せるのは領主であるラジェストラのためか。

 自分達が軽んじられるという事は、ディーラスコ家を信頼している領主ラジェストラの器や求心力までもが疑われる事になってしまう。

 恐怖で縛りたいわけではない。弁えろ、と改めて自分達に仕える者達に引き締めさせるために必要な怒りだった。


「キーライ。お前の剣を汚す事すら惜しい。下級騎士にやらせろ」

「はっ」

「いっ……!」


 シャトランの命を受けて副団長……キーライは崩れ落ちているルイを立たせる。

 腕だけで持ち上げられたような状態になってルイは顔を歪めた。


「……」


 連れて行かれるのを、無意識に抵抗しているルイの姿がカナタの目に入る。

 体をよじって、敵うわけの無い騎士のキーライの力を何とかと。

 涙と鼻水に塗れた顔には淑女らしさは無い。死にたくない、と願っているだけ。


「父上」


 そんなルイの姿に、カナタは口を開いた。

 ぎろりと睨むシャトランの目をカナタは真っ向から見つめる。


「ルイを許してやってください……とまでは言いませんが、罰を軽くしてあげてもらえないでしょうか」


 シャトランの決定に異を唱えるカナタに誰かが息を呑んだ。

 ディーラスコ家の家長であるシャトランの決定に、だ。そんなカナタにエイダンですらやめとけと言いたげな視線をこちらに送っている。

 罰を覆せるかどうかはわからないが、このまま処刑されるとわかっているルイを見過ごすのがカナタは嫌だった。


「ならん。その女はディーラスコ家を軽んじた。お前の甘さで罰を軽くする事などできん」

「いえ、それは違います。ルイが軽んじたのはきっと俺だけです。だって、俺の世話係に任命してくれるくらい他の仕事はしっかりやってたんですよね侍女長?」

「……はい、普段の仕事を疎かにしているものを世話係に任命するなど致しません」

「ほら、やっぱり」


 突然カナタに話を振られて、侍女長は動揺を表情に出しながらも答える。

 当然の話だ。いくらカナタの素性を知っていたとして、いや知っているからこそ仕事が半端な人間を侍女長が選ぶはずがない。


「ルイが軽んじていたのはディーラスコ家ではなく、俺だけです。であれば、罰はここまで厳しくしなくてもいいと思います」

「カナタ、お前はディーラスコ家の子だ、まだ自覚がないか?」

「いいえ父上。けど、俺はまだこの家に来たばかりでその名に見合うほどの何かがありません。この一か月、ここでの生活にひーひーと追われているただの子供です。肩書きだけの子供に忠誠心を、なんて無茶だと思いませんか」


 シャトランの視線は冷たいまま、それでもカナタは目を逸らさない。

 ……シャトランの怒りには納得した。けれど罰には納得できない。  

 ルイは確かに仕事をサボっていたかもしれないけど、普段からそうじゃなかったはずだ。

 それにルイが犯した間違いはただそれだけで、その間違いも外から自分が来たからつい芽生えてしまっただけの人間らしい理由だ。仕事で手を抜きたい時なんて誰にだってある。

 決して、死ぬような事じゃない。駄目な人間の証明でもない。

 誰にだってある、普通の事だ。


「俺が無知だったから起きた事故みたいなものですし、侍女長にも罰があるのはちょっと嫌ですから」

「カナタ、あまりに甘い。そんな事では――」

「父上も言ったじゃないですか。侮られるな・・・・・、と。なら、罰を受けるのは父上の課題をこなせていない自分だと思います」

「む……」


 痛い所を突いてきたな、とシャトランの表情が少し和らぐ。

 自分の言葉を持ち出されては無視するわけにもいかない。それに、カナタの意見も責の分散という意味では多少理屈が通っている。


「弱いと思った人を見下して優越感に浸るなんて、珍しい事ではないですよ。平民も貴族も、そうでしょう?

俺はルイに何かを奪われたわけでもされたわけでもないので怒る理由もありません」

「……わかった、その使用人の裁量をお前に任せよう」


 シャトランが決定を変えたのを見てロザリンドは驚いたように横を見る。


「キーライ、離してやれ」

「……承知致しました」

「あ、うっ……」


 キーライはルイから手を離し、ルイはカーペットに落ちる。

 肩を抑えながら倒れるルイにカナタは駆け寄った。


「その女に次が無い事はわかるな? 流石に庇う事も許さんぞ」

「はい、じゃあ……そうなったら自分で燃やします・・・・・


 カナタははっきりとそう言い切った。

 ルイを庇っていた時と同じ目で恐ろしい事を自然と口走った様子に、何人かの背筋に寒気が走る。


「よく言い聞かせろ。侍女長も改めて指導するように。カナタの希望を考慮し、先程の処分は覆す。改めて処分を言い渡すのでそのつもりでいろ」

「ありがとうございます……ルイの治療のために退出してもいいですか?」

「許可する」


 カナタはシャトランに頭を下げて、震えて立ち上がれないルイに肩を貸す。


「さ、行こうルイ」

「か、カナ、タ、様……!」

「歩ける?」

「は、はい……ありがとうございます……。ありがとうございます……!」


 退出の間際、二人の様子を見下すように見るキーライとカナタの目が合う。

 カナタは愛想笑いを浮かべて、キーライは視線を外した。

 ダイニングルームから二人が出ていくと、静まり返った空気の中シャトランが大きく息を吐きながら背もたれにもたれかかる。


「よく決定を覆しましたわねシャトラン様」

「ああして口が回るようになったのも君の教育の成果だろう」

「ほほほ、どうですかしら?」


 緊張した空気が二人の会話で多少緩んでいく。

 そんな空気を締めるようにシャトランはここにいる使用人全員に伝える。


「勘違いしている者もいるかもしれんが、カナタは本当にやる・・ぞ。死体の一つや二ついくらでも見慣れた環境にいたからな。

ラジェストラ様が見込んだ子だ、ただ甘い子供だと思うのは今日だけにしろ」


 改めてのシャトランの忠告に使用人達は気を引き締める。

 さっきカナタが言った自分で燃やすという言葉がジョークでもなんでもない事を知って。


「ふふ……中々のを見せてくれるじゃないか」


 使用人達が戦々恐々とする中、シャトランは今の会話の中にカナタの器の広さを垣間見て嬉しそうにお気に入りのワインを一本開ける事にした。

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