26.失敗?はつきもの

「うぇへへへへ!」


 水浴びを終えて、気味の悪い笑い声を発しながらカナタは戦利品をテーブルに並べた。

 最初は拾い過ぎて個数制限を設けられてしまったが、それでも二十個はある。

 戦場漁りをやっていた時は多く拾えても五個……拾えない時だって珍しくない。

 そう考えれば、自由に、危険も無く、そしてこれだけの数を拾えたのはカナタにとって青天の霹靂へきれきという他無い。


「いつ見ても、綺麗だ」


 屋敷を彩る煌びやかな装飾、部屋に飾られた調度品、ロザリンドの指に嵌められた指輪の輝きなど……ディーラスコ家では平民だった時には見れなかった高価なものが溢れている。

 しかし、カナタにとってやはり興味を引くのは魔術滓ラビッシュのこの輝きだった。

 いずれは大気に溶けて消えてしまう魔術の欠片。

 奥底に術式の模様を宿す魔力の残りカス。

 おかしな話だが、カナタにとっては教本よりも魔術に近しい。


「お、これは……」


 青い魔術滓ラビッシュの中を覗いて、術式の模様を見る。

 すぐさま魔術の教本を開いて共通点を見つけた。


「『水球ポーロ』の魔術かぁ……水出せたら便利だよなぁ」


 水を飲みたければ井戸や川までというのが常識だ。

 水よりも酒を飲む方が簡単などと言っていた傭兵がいた事を思い出す。

 第一域の魔術はほとんどが生活魔法と言われる系統で規模が小さいのは、こういった普遍的な悩みを昔の人々も持っていたからかもしれない。


「ポーロ」


 何も起きない。


「ぽーろ」


 魔力は動いている。

 術式を見ながら唱えているが魔術という名のカタチにはならない。


「……ぽーロ」


 魔力が術式をなぞる。

 水がイメージできなかったので、先程の風呂を思い出した。

 すでに冷たくなっていたので入る気にはならなかったが。


「ポー』」


 頭の中で描いた術式を魔力でなぞり、多少の変化がカナタの中に起こる。

 手元の魔術滓ラビッシュを握り締めて、もう一度。


「――『水球ポーロ』」


 魔力が術式をなぞる。カナタに術式が記録される。

 カナタの手元に血液が集まるように魔力が蠢いて、魔術滓ラビッシュを握っていた手元から水の塊が生み出された。

 カナタは小さいボールくらいをイメージしていたつもりだったが、どれだけ魔力を注ぎ込んでしまったのかカナタの身長くらいの大きさの水球が目の前に現れた。


「っと、おっと……。こ、コントロールが難しい……!」


 ふらふらと重い物を持っているかのようにカナタの体が揺れる。

 第一域の魔術は消費魔力も軽いはずだが、コントロールがうまくいっていない。もっと言えば、そもそも第一域の魔術はこんなに大きくない。

 あまりに魔力を注いでしまったからか、それとも別の理由か。

 なんとか安定させようとカナタが奮闘していると、扉からノックの音が聞こえてきた。


「どうぞー! …………あ」


 ついノックの音に答えると同時に、巨大な水球が手前にバランスを崩す。

 カナタの集中は思ったより限界だったようで、返事をする余裕も無かったようで。

 ばっしゃあ、とカナタは勢いよく自分の魔術を浴びる事となった。


「失礼しますカナタ様。寝間着の……って何でびちょびちょおぉ!?」

「る、ルイ……これは違くて……」


 世話係のルイが部屋に入れば、そこには何故か風呂上りよりも濡れているカナタ。

 ソファどころかカーペットまでびちょびちょのカナタについ大声で驚いてしまっていた。


「どうしてそんな水を頭から被ったような状態に!?」

「ええと……水を頭から被ったからかな……」

「勘弁してくださいよもう……タオルなんて持ってきてないですよ!?」

「ごめん……」


 世話係の態度としてはあんまりだが、カナタは世話係の態度の常識などわからない上に完全に自分が悪いので何も言う事はできない。

 ルイは少し不機嫌そうに舌打ちをしながら寝間着をベッドに置いた。


「まったく、面倒をかけさせないでくださいよね……!」

「うん、とりあえず何とかするから」

「何とかって――」


 ルイが何かを言う前に、カナタは魔力を動かす。

 不慣れで初めて使う魔術ではなく、自分が会得した最初の魔術を。

 ……思えば、これも最初は寝袋を燃やして失敗していた。

 自分が最初に使う魔術は失敗するジンクスでもあるのだろうかと苦笑いしながらカナタは唱えた。


「"選択セレクト"――『炎精への祈りフランメ・ベーテン』」


 カナタの手元には今度は火。

 指先に灯るような小さな火が、カナタのコントロールによって空中に置かれる焚火のように。先程の水球とは違って安定している。

 カナタはその火にあたるようにして自分とソファを乾かし始める。


「あったかー……ごめんねルイ、驚かせて」

「あ……。その……寝間着はいつも通りベッドに置いたので……」

「うん、ありがとう」


 本来なら世話係が着替えさせるのが普通なのだが……当然カナタがそんな貴族の常識など知るはずもない。

 カナタはそもそも着替えくらい自分でやるものだと勝手に思ってしまっているし、寝間着を持ってきてもらう事でさえ申し訳なく思ってくるくらいだ。

 世話係のルイはそんなカナタに付け込んで自分の仕事を楽に済ませているのだが……傭兵団の時は人に何かをやってもらう事自体が少なかったため、自分が他と比べてぞんざいな扱いをされている事など気付けるはずもなかった。


「そ、それと! この事は奥様に報告させてもらいますからね!」

「うん、俺が悪いから……明日謝るよ……」

「……っ! それでは失礼します!」


 吐き捨てるようにしてルイは部屋を出ていく。

 残されたカナタは自分とソファ、そしてカーペットを火で乾かし続ける。


「やばい……どうしよう……」


 その呟きは明日のロザリンドからのお怒りを予想したものではなく、手元にあるびちょびちょの教本を見てのものだった。

 貴族にとっては教本くらい大した痛手ではないが、カナタの感覚では違う。

 自分を魔術の世界に招待してくれる本を駄目にしてしまったからかその表情は青褪めていた。

 流石に本は、乾かしたから元通り! というわけにもいかない。


「ああ……あああ……。来週ブリーナ先生に謝ろう……」


 あまりに情けない声を上げながらカナタはどう謝ろうかを考える。

 ――そうだ、あの正座という姿勢をしながら頭を下げよう。

 カナタは逆にブリーナが胃を痛めそうなアイデアを思い浮かべながら、勢いよくくしゃみをする。


「あー……あれ、魔術滓ラビッシュがない」


 テーブルに散らばった魔術滓ラビッシュをかき集めると減っている。

 二十個近くあったはずが今数えたら十四個しかない。よく見れば、消えた魔術滓ラビッシュの色に偏りがある事に気付いた。


「青の魔術滓ラビッシュだけ消えてる……どっか転がっちゃったかな……」


 辺りを見るが魔術滓ラビッシュはどこにもない。

 『水球ポーロ』を唱える際にカナタが握り締めていたはずの魔術滓ラビッシュも、いつの間にかカナタの手の中から消えていた。

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