22.養子の魔術

 今まで使った事の無い頭の部分にまで午前の授業を詰め込んで、午後の時間。

 朝食とは違って昼食は必ずしも家族そろってではなく、各々で済ませるらしく……頭から午前に習った内容が零れそうになりながらカナタは昼食を終えた。

 この時間はシャトランは仕事や騎士団への指導、ロザリンドは招待された茶会に出掛けたりと忙しく、家族全員が揃って食事するには難しい時間なのだ。


 ばたばたと昼食を終えると、カナタの魔術の授業が始まる。

 家庭教師をしてくれる先生はカナタの事情を知っているらしく、まだ文字が読めないカナタのために用意した教本を読んで聞かせる事でカナタに初歩の初歩を伝えていく。


 グリアーレに指導して貰った魔力の操作については魔術師を目指す貴族にとっては初歩以前の話なので出てこない。

 この授業でやるのは魔力操作が出来る事を前提とした、本当に魔術の授業だった。


「魔術は現在、第一域だいいちいきから第五域だいごいきの五段階に分けられています。平均以上とされる魔術師は第三域だいさんいき……国に選ばれる程の才を持つ魔術師が第四域だいよんいき、そしてその上を行く一握りの魔術師のみが第五域の魔術に手が届くというのが大まかな認識となっています」


 カナタを教えるのはブリーナ・パレント子爵夫人。

 四十を越えながらも衰えぬ美貌と知的な女性らしい穏やかさを兼ね備えたアンドレイス家の派閥であるパレント家の女性だ。

 パレント家は魔術師が多い家系であり、ブリーナもまた優秀な魔術師である。

 通常、カナタの歳で文字が読めないなど貴族であれば恥とされるが……ブリーナはカナタへの嫌悪や侮蔑を一切抱く事無く、自分の仕事を全うするように丁寧に教本を読んでくれている。

 むしろ母が子に本を読み聞かせてくれているかのようだ。


「魔術を学ぶのであれば第一域からが基本で、この教本に書かれているのも第一域の魔術のみとなっています」

「それ以降はどうやって覚えるんですか?」

「第二域からは専門性が高くなりますから、教本ではなく魔術書を用いて学ばなければいけません。魔術巻物スクロールから術式を抽出するなんて手もありますが……効率が悪い上に余計にお金がかかるのであまりやる人はいませんね」


 カナタは魔術巻物スクロールという知らない単語にぴくっと反応する。

 そんなカナタの様子を、うふふ、とブリーナは微笑ましそうにしていた。

 しかし教本の内容から話が逸れてしまうので、今は授業が先だ。


「第一域の魔術は初歩の初歩ですが、それは決して弱く使い道がないという意味とではありません。そこには魔術の基本が詰まっており、ただ術式をなぞるだけでは魔術師としては三流以下です。こんなの簡単だと訓練をサボる子もいますが……魔力を節約したい時、魔力の少ない時、はたまた小規模な効果でなければいけない時など必要とされる魔術は状況に応じて変わるのです。

なので、簡単に習得できたとしても日々の訓練を怠ってはいけませんよ?」

「はいブリーナ先生」

「うふふ、いい返事だこと」


 ブリーナは教本のページをぺらぺらとめくる。


「さて、どの魔術から練習しましょうか。この教本には第一域の中でも特に初歩の魔術が載っているので、どれかオススメしたいのですが……ああ、そういえばカナタ様はラジェストラ様に魔術の才を見出されたとか」

「その、才能かどうかはわかりませんが……」

「魔術の才を見たという事はすでに使える魔術があるのですよね? 練習がてらカナタ様が使える魔術のどれかと似たものから習得していくというのはいかがでしょう?」


 魔術の効果が似ていれば、当然術式にも共通点がある。

 魔術師はそうやって最初の内は似ている魔術を練習し、魔術ごとの差異を実感しながらまた別の魔術の習得に挑戦するの繰り返しだ。

 ブリーナは基本にのっとり、カナタに問うとカナタが少し言いにくそうにしている。


「その……自分は魔術を一つしか使えなくて……」

「まあまあ何をそんな事。最初はみなそうです。恥ずかしがる事はありませんよ。それに一つの魔術の熟練度が高ければ、それはそれで魔術師の腕の一つにもなりますからね」

「よ、よかった」


 ほっとするカナタを見てブリーナは少し違和感を覚える。

 魔術の才を見出されて引き取られたはずなのに習得している魔術が一つ。

 その程度なら平民の魔術師と変わらない。それどころか平民の魔術師の中には第二域に到達している者も多少いる為、引き取るほどの才能とは思えなかった。


「それで、どの魔術を?」

「はい、『炎精への祈りフランメ・ベーテン』という魔術を使えます」

「…………ふむ」


 ここで、ブリーナはカナタへの評価を一気に下げた。

 魔術の才を見出された子供の中にはたまにこういうのがいる。親の伝手で聞きかじったりたまたま見ただけの高位の魔術……それを出来もしないのに名を出して使えると吹聴し、自分が特別なのだとアピールする連中だ。

 そしていざやってみせてと言うと、調子が悪いだの見られていると緊張してうまく魔力を練れないだのてきとうに誤魔化すのだ。


 ――ああ、この子もそういう手合いか。


 『炎精への祈りフランメ・ベーテン』は第三域の魔術。第三域にも関わらず、使い手の感情やコントロールで燃やすものを選べたり、火力を蝋燭の火程度から家屋を燃やし尽くす業火にまで調節できる難易度の高い魔術だ。

 第二域どころか第一域も使えない魔術師が使う魔術ではないのはいわずもがなだ。


 カナタの親という設定になっているダンレスが火属性が得意な魔術師である事はブリーナも知っている。あれは人柄こそ関わりたくないが、魔術学院での成績は優秀だった。恐らくはダンレスの魔術を見て名前を憶えていたに違いない。

 おおかた、引き取られたばかりで自分の価値を示さなければと焦ってこんな事を言い始めたのだろう。

 素直で純朴な子、というカナタへの最初の印象から外れた行動にブリーナは少し残念に思った。


「それでは、見せて貰えますか?」


 ブリーナは今まで出会った子達と同じようにカナタに実践を要求する。

 意地悪がしたいわけではない。大体の子は調子が悪いと言って、本当にできる魔法を見せてくる。

 どちらにせよカナタが使える魔術を見せて貰わなければ続きの授業ができないのだ。


「はい……"選択セレクト"」


 ブリーナはぺらぺらと火属性の魔術のページを開く。

 ここら辺がいいかしら、と考えていると、


「『炎精の祈りフランメ・ベーテン』」

「…………え?」


 隣でカナタは魔術の名を唱えて、指先に火を灯す。

 第三域の魔術とは思えない、カナタの人差し指に灯る蝋燭のように小さな火。

 かと思えば、次の瞬間二人の頭上の空気全てを焦がすように一気に燃え上がる。

 何も燃えてはいない。しかし今の魔術が行使された事を証明するように部屋の温度は上がっていた。


「最初は焦って寝袋……あ、寝る所を燃やしちゃったりした時もあるんですけど、今はもう大丈夫になりました……先生?」

「…………」


 ブリーナはぽかんと火が燃え上がった頭上を見る。

 どれだけ瞬きをしても夢ではない事に気付いて、カナタに視線を戻した。


「……ちょっと……もう一度見せて貰っても、よろしいですか?」


 ブリーナの視線から呆れや失望が消えて、興味一色に変わる。

 そして魔術師の血が騒いだのか、穏やかだった雰囲気は消えて魔術師の顔付きへと変わった。

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