20.歓迎の抱擁

 カナタが馬車を下りるとまず巨大な屋敷が目に飛び込んできた。

 貴族の屋敷みたい、とつい口に出そうになるのを手で押さえて止める。

 みたいではなく、貴族の屋敷だ。

 窓枠や柱が曲線で、繊細さと優雅さを兼ね備えた白い屋敷でカナタは少し緊張して足が止まる。


 圧倒されながらもカナタは歩を進める。

 扉の前では使用人らしき人達が出迎えに出てきているが、真ん中には明らかに周りとは違う雰囲気を持つ女性と子供がいた。


「正妻のロザリンドと息子のエイダンだ。これからはカナタの母と兄になる二人だ」


 女性も子供のほうも綺麗な空色の髪をしていて、多くの刺繍を施された衣装を纏っていた。周囲にいる白黒の使用人の服とは大違いで、特に女性のほうは雰囲気からして違う。

 その佇まいが一枚の絵のようで、一つ一つの動きがあまりに優雅だった。

 世界が違うとはこういう事を言うのだろう。


「特にロザリンドはカナタの作法に関する基礎教育に関してを任せる事になっている。……怒らせると恐いぞ」


 シャトランからの忠告が小声なのがこの夫婦の力関係を示しているようだった。

 その忠告でカナタはさらに緊張してしまい、歩き方すらぎこちなくなる。


「おかえりなさいませシャトラン様。そちらの子が例の?」

「ああ、ここで世話をする事になったカナタだ」


 声はまるで清流のよう。こんな女性を母と呼ぶにはあまりに恐れ多い。

 グリアーレも美人ではあったが、親近感があった。

 しかし目の前の母となる女性はあまりに違い過ぎて同じ人間と認識するのも時間がかかる。

 それでも、カナタは暇な時間に練習した通り挨拶のために跪いた。


「お初にお目にかかりますロザリンド様、カナタと申します。この出会いと幸運への感謝をここに」

「歓迎しますカナタ。長旅をご苦労様でした。こちらはあなたの兄となるエイダンです」

「お初にお目にかかりますエイダン様」


 ロザリンドに紹介されて、カナタはエイダンのほうに向き直って再び跪く。

 しかしエイダンはカナタの事があまり気に食わないのか、挨拶をせずそっぽを向いた。

 顔が整っているからか、その仕草も生意気というよりは可愛げがあるように映る。


「あぐっ!?」


 そんなエイダンの頭にロザリンドの拳が容赦なく落ちる。

 にこやかだったロザリンドの表情は一瞬で厳しいものへと変わった。

 エイダンの表情は一気に青褪め、シャトランは目をつむって我関せずの状態だ。


「それがこの家に相応しい者の態度かどうか……もう一度考えてご覧なさいエイダン」

「ひっ……。か、歓迎するカナタ……! 我が弟になる者よ……」

「あ、ありがとうございます」


 あまりにも冷たい視線にエイダンの態度は一瞬で変わり、挨拶は終わった。

 ロザリンドの表情が元のにこやかなものへと変わり、一歩前へ出る。


「カナタ、私からの言葉を聞けば後戻りはできません……覚悟はできておりますか?」

「はい、勿論でございます」

「よろしい。それでは、これからはわたくしが母ですカナタ……ディーラスコ家の新たな子よ」


 ロザリンドの手が跪いているカナタの肩に触れる。

 こうして、カナタはディーラスコ家に無事迎え入れられた。


「それではまず、わたくしと二人でお茶会でもしましょうか」

「……こ、光栄です」


 ………………無事に迎え入れられた。

 シャトランもエイダンもその提案に口を挟む様子はなかった。






 カナタは荷物を置いて少し休憩した後、コンサバトリーへと通された。

 屋敷の中でも特に煌びやかで、中庭が一望できるガラス張り。半分屋内半分外のような空間に見た事の無い綺麗な花々がカナタを歓迎する。

 自分にとってあまりにも場違いな空間に物怖じしてしまい、カナタは同じ側の手と足が同時に出るぎこちない歩き方になってしまった。


「安心して頂戴、今あなたのマナーについてを指摘しようなんて事はしないわ。今の内に設定・・の確認をしないと。次の集まりでは噂の真偽をわたくしに聞きに来る子達が多くいるでしょうから」

「は、はい……」


 実のところカナタにはロザリンドが何を言っているのかはよくわかっていなかった。

 ディーラスコ家が養子を引き取ったという噂はすでに社交界に広まっており、次にある集まりではロザリンドは噂の真偽についてを根掘り葉掘りと問われる事になるのは間違いない。

 ラジェストラが用意したカナタの設定について社交界でも顔が利くロザリンドが曖昧な事を答えるわけにはいかなので、顔合わせを兼ねてその設定についての最終確認をしようという事である。


「マナーについては勉強が始まってから。今日は好きに頂きなさいな」

「ありがとう、ございます」


 ロザリンドに言われてカナタはおずおずと椅子に座る。

 当然だが、座るとロザリンドの視線が正面から飛んでくる。カナタはつい視線を泳がせた。

 目の前に置かれた高級そうなティーカップと用意された焼き菓子。普段なら食欲がそそられるだろうが、それどころではなかった。

 とはいえ、いつまでも見るだけとはいかないのでティーカップを持ち、口に運ぶ。緊張で味はわからなかった。


「あら安心したわ。綺麗な持ち方ができていますね」

「あ、その……傭兵団の人に教わって……」

「まぁ……貴族教育を知っている方がいたのね、素晴らしいわ」


 そうなのだろうか、とカナタはティーカップの持ち方を教えてくれたグリアーレの事を思い出す。

 今思えば荒くれ者の集まりなはずの傭兵団で妙に上品だったような気がする。

 聞く術はないが、もしかしたら昔はどこか貴族の屋敷で働いていたとかなのかもしれない。


「さて、あなたはダンレス子爵……ああ、元子爵の血を引く子供という設定で合っていますか?」

「はい、ラジェストラ様がそのようにと」

「ラジェストラ様達が視察の際、元子爵の屋敷にいた所を保護されて……魔術の才能があった事からこの家の養子になった、と文に書かれていた設定から変更はないのですね?」

「はい」


 平民から貴族の養子になるのと貴族の血を引いた養子では全く違う。

 養子として引き取られるほど魔術の才を持っている事に対する説得力にもなり、将来魔術学院に通った際の他生徒からの反感も多少は落ち着いたものとなる。

 そのため、全くもって不愉快な事ではあるが……カナタはダンレスの血を引く子供という設定となった。

 ダンレスは使用人どころか領地を持っていない下級貴族の娘にも手を出していた悪行三昧な男だったので、子がいきなり現れても全く不審に思われる事もない。


「それではそのように。ラジェストラ様の慈悲深さを美談にしながらお話を流す事にしましょう。あなたが魔術学院に通う頃までに浸透すれば、あなたを追及しようとする者も減るはずです」

「お世話になります」

「他人事ではありませんよ。この設定を広めるにあたって、あなたが世話になっていた傭兵団の事を公に話すのを禁じます」

「……!!」


 言われてみれば当たり前の事だ。

 カナタが傭兵団で世話になっていた話を持ち出そうものならば設定と食い違ってしまう。生みの親については言及されなかったが、そちらもリスクが高い。

 貴族の養子になるとは、こういう事だ。


「あなたがいた傭兵団の方々にも同じ話がいっている事でしょう。魔術契約をされているかもしれません……わかりましたね?」

「はい、ロザリンド様」

「……このような事を改まって言われるのは辛いでしょう。ですが必要な事です」


 カナタの心に一気に寂しさが訪れる。

 理屈では理解できても、心は納得できない。


「カナタ、こちらへいらっしゃい」

「は、はい!」


 カナタが少し俯いていると、ロザリンドの有無を言わせぬ声が名を呼ぶ。

 ティーカップを音を立てずにそっと置いて椅子から下りると、カナタはロザリンドの横に立った。

 すると、ロザリンドはカナタに向かって大きくて両手を広げた。


「ろ、ロザリンド様……!?」

「いいから、いらっしゃい」


 またもや有無を言わせぬ声にカナタは導かれるままロザリンドの胸にゆっくりと体を預けた。

 ロザリンドはカナタを抱き締めて、頭を撫でる。


「我が子を理由もなく抱擁せずに母を名乗る者がどこにいましょうか。出会ったばかりのわたくしではあなたの心細さを和らげる事などできないでしょうが……それでも、わたくしは今日よりあなたの母なのです」

「ロザリンド様……」

「あなたが親と思う方々を忘れろとは言いません。口に出せぬ事に寂しさを感じる事もありましょう。ですが、これからはわたくしを母と呼ばなければなりません。

あなたの望む母ではないかもしれませんが、受け入れなさい。いいですね?」

「はい……は、母上」

「よろしい」


 会話が途切れてもロザリンドの胸の中で撫でられ続けるカナタ。

 同じ貴族でもダンレスとは似ても似つかない慈悲深さ。見知らぬ子供に対しても愛を注げる器。

 どこか傭兵団の人達の優しさに似ていると思いながらもロザリンドの貴族としての器の大きさを直に感じて、カナタの緊張は徐々に解けていった。

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