4.第一歩は誰でも鈍い

 二日後、思ったよりも早くカナタはグリアーレに呼び出された。

 連日の呼び出しに同じ戦場漁りの子供達からは憐みの視線を向けられていたが、当のカナタ本人はにやけが止まらない。

 自分は今から魔力についてを教えてもらうのだと思えば、休憩時間が削れるくらいはなんてことはない。


 グリアーレの部屋に向かう階段の途中、自分が魔術師となる妄想に夢中になってつい足を踏み外しそうになる。それだけカナタは浮かれていた。



「よし、指を出せ。少し斬る」

「ひいいいいいいいい!? なんでえええ!?」



 部屋に入るなりすらっ、と静かな抜剣ばっけんの音がカナタの血の気を引かせた。

 魔力のコントロールのために部屋を訪れたはずなのに目の前には剣を抜く熟練の剣士が何故か指を落とそうとしている。もし直前にトイレを済ませていなければズボンに不本意な染みを作っていたに違いない。


「何故って……魔力のコントロールを教えてやると言っただろう?」

「説明になっていませんグリアーレ副団長! 何で俺の指を切り落とす必要が!?」

「は? 切り落とすわけないだろう、血が必要なんだ血が」


 まるでカナタのほうがおかしいかのようなグリアーレの口調にカナタは震える。

 しかし魔力について教えて欲しい一心でカナタはぷるぷると人差し指を前に出した。


「よし、いい子だ」


 グリアーレはその指を包み込むように触れて、剣の切っ先は人差し指に向ける。

 カナタはつい目をぎゅっと閉じた。開けていても閉じていても恐いのは変わらない。

 ちくり、と指に剣が触れて……それでカナタの指は解放される。


「目を開けろカナタ。稽古をつけると言っただろ」

「え……?」


 カナタが目を開けると、人差し指には小さな傷が出来ていてそこから血がゆっくりと流れている。

 思ったよりも小さな傷で、戦場漁りをした後に出来る怪我よりも小さかった。


「これは私がやっていた方法だ。貴族達ならもっと効率のいい方法があるんだろうが……そんなものは知らんのでな」

「えっと、これでどうすれば?」

「イメージしろ。その流れ出る血が魔力だと」

「え?」


 急にそんな事を言われても指から流れる血は血だ。

 戦場に近いカナタだからこそ身近で、とても魔力とは思えない。


「私は自分の中に流れる魔力を感じるためにこうして血で代用して身に着けた。自分の体の中で流れるものとして血が最適なんだ。そのくらいの血は本人がどうイメージしようがいずれ固まったりして止まるが、魔力はイメージできれば止まらない。

魔力を感じ取れれば晴れて第一歩、というわけだな」

「イメージって……もっとないの……?」


 カナタは思っていた稽古とは少し違ってつい愚痴っぽく呟いてしまう。

 魔術書に書いている事を実践したり、魔道具を使ったりとそれらしい事を期待していなかったといえば嘘になる。

 グリアーレはそんなカナタの姿を見て、少し意外そうな表情を浮かべた。


「珍しいな、お前は聞き分けのいい子供だと思っていたが……ふふ、魔力を学べると知って少し我が出てきたか?」

「あ……ご、ごめんなさい……」


 自分は何を勘違いしているんだ、とカナタは我に返ったように頭を下げる。

 グリアーレは副団長……カレジャス傭兵団の中でも偉い人間というのはカナタも理解している。

 そんな立場の人間がたかが戦場漁りの子供のために教えてくれるというのに、生意気に思われるような口を利いてしまった後悔が謝罪をさせた。

 戦場漁りは傭兵団の雑用係で傭兵達の下の立場だ。子供だからと甘えていいわけではない。


「いいさ。そういう一面もちゃんとあったんだと安心した。お前は普段の振る舞いこそ子供ではあったが……ノルマをしっかりこなす上に聞き分けもよく、魔術滓ラビッシュの事以外では大人しすぎるくらいだったからな。そういう欲が出るのはいい事だ。夢を失った子供ほど悲しいものはない」

「……? ありがとう、ございます?」


 思ったより何も言われずカナタはほっとする。

 同時に、大人しすぎるというのはどういう意味だろうか、とついつい考えてしまった。


(死にたくない・・・・・・なら・・大人しく・・・・しているのは当たり前じゃないのかな……?)


 今の自分は傭兵団に拾われて、生かして貰っているだけ。

 そんなカナタの価値観はグリアーレの言葉に首を傾げていた。


「ともあれ、これが出来なければどうしようもない。魔術師どころか私達のような魔剣士になるのすら難しいな」

「魔術師のほうが難しいの?」

「魔力だけな分、魔剣士のが幾分楽ではあると聞く。魔力操作の難易度はほぼ一緒だとは思うが……詳しい事は今話す必要もあるまい」


 確かに、魔力を感じ取れていないカナタにそんな説明は今必要無い。

 スタートラインにすら立っていないのだから。


「ふん……!」


 カナタは目を閉じて、指先を意識する。

 小さな傷から感じる痛み、指に付いている血液の流れ。

 それを、魔力の動き・・・・・に誤認・・・させる。

 自分は指先から魔力を放出しているのだと。


 カナタとグリアーレの二人は無言に。

 窓の外からは町の喧騒が、扉の外からは下の階で休憩している他の戦場漁りの子供達のはしゃぐ声が少し聞こえてくる。

 意識を指になんてやった事がない。

 果たしてこれで合っているのかと集中しているようで変な雑念がカナタの頭を駆け巡る。


「無理か」

「はっ……」


 気付けば休憩時間の半分ほどが経っていた。

 グリアーレの一言でカナタは目を開けると、指先の傷はすっかり血は止まっていた。

 カナタは目に見えた落胆を表情に浮かべて肩を落とす。


「何をいっちょ前にがっかりしている。大貴族の天才児でもあるまいし……そんなすぐに出来てたまるか。私達だってすぐに出来たわけではない」

「ほ、ほんと……ですか?」

「ただイメージと言われても難しいだろうからな。一日で出来たらそれこそ驚いていた所だ」


 グリアーレは落ち込むカナタに視線を合わせるようにしゃがんで、小さな傷のある指に優しく布を巻く。


「今日の所はこれで終わりだ。普段から魔力について意識してみろ。自分で怪我をするのは無しだ。何かあって問題になってはいけないからな。この練習をするのは私がいる時だけだ」

「え、そ、そんな……」

「その代わり、私がいなくても意識できるように課題を出そう」

「か、課題……?」


「この魔力を感じ取る練習はお前がこの前使った魔術を知るためのステップなわけだが……お前は何故魔術を使えるようになりたいんだ?」

「え……」

「そういう事を考えるのも意識するという事に繋がるんだ……少し考えながらやってみろ」


 訳の分からない課題を出されてカナタは部屋を後にする。


「はぁ……」


 扉の前で深いため息を一つして、重い足取りで宿の階段を下りていく。

 当たり前の話だが自分は天才では無かった。それだけの事だと言い聞かせながら。

 妙な経緯で魔術を出したからと、ほんの少しだけ淡い期待を抱いていたのかもしれない。自分は天才魔術師の卵かもしれないと。

 いつの間にか部屋を訪れる前の浮かれ具合は消えていて、しっかりとした足取りが現実に戻ったかのよう。

 

 そう……彼は天才などではない。

 天才ではなく異質・・なのだと気付くのは、ほんの少し後の話だった。

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