第4章「再現者と表現者」

 慧都音大時代の 高野美由紀たかの みゆき は、全くもって目立たない存在だった。


 世界でもトップクラスのピアニストであり、慧都音大の客員教授の肩書きを持つ 加瀬純也かせ じゅんやに、どうして彼女が師事することが出来たのか?  真音以外の成瀬教授の門下生も皆疑問に思うほど、高野美由紀のレベルは低かった。


 ミスタッチが多い、楽譜の指示を軽視した演奏、実力に見合わない大仰なパフォーマンス。


 彼女の演奏は、偉大なる作曲家たちに対する冒涜であり、真音にとって不愉快極まりないものだった。


 世界中を演奏旅行で飛び回る多忙な加瀬教授が不在になることは珍しくなく、その間は、彼の愛弟子で慧都音大の大学院卒の助手である都築奏一つづき そういちが門下生たちのレッスンを託されていた。お互いの才能に惹かれ合った真音と都築が恋仲になるのに、然程時間はかからなかった。


 そんな彼との関係に暗雲が立ち込め始めたのは、真音が大学4年になってからだった。


「君の演奏は、とても優雅だし、技術も文句のつけようがない。でも……なんて言うか……無機質で素っ気ない感じがするんだよなあ……そうだ! もっと、表現力を身に付けてみたらどうかな? ほら、同門の高野たかのさんみたいにさ!」


 彼が発した言葉は、真音がこれまで貫いてきた、ピアノに対する姿勢を全否定するものだった。それからというもの、都築は、他の門下生たちの批判など御構いなしに、高野美由紀のレッスンに情熱を注いだ。その甲斐あって、高野美由紀は短期間で急成長を遂げ、“全国学生ピアニストコンクール“ という大舞台で見事、大輪の花を咲かせた。

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