第4話

 ぼんやりと……白い天井が見える。知っている匂い……何だったかしら……? 聞こえてくる沢山のせわしない足音……。 

 見上げている視線を少し動かすと、点滴の袋が見えた。

「病院……」

小さく呟くと、近くにいた看護師が顔を覗き込み、振り返って医師を呼んだ。


「気が付いたかい。よかった。なんて言えばいいのか……とにかくよかった。大変だったね」

「大変……だった……?」

医師は私の様子を見て、うんうんと頷いた。

「今はゆっくり休みなさい」

医師は近くにいた看護師に短く指示を出して、場を去った。


 少しずつ……意識が戻ってくる。

 少しずつ……思い出す。

 少しずつ……少しずつ少しずつ少しずつ……


 否、一気に!


「いやぁああああああああ!!!!」


 フラッシュバックだった。

 叫び喚き泣いて暴れた。数人の看護師に押さえられ、すぐ傍にいた医師に鎮静剤を射たれた。


 翌日、母が日本から到着して、バタバタと病室に走って来た。

 死人のような顔で横たわる娘を号泣しながら抱きしめる。

 強く。強く。


 おかあさん……


母を感じた瞬間にポロポロと涙が流れてきた。

「ごめんね。ごめん、お母さん。ごめんなさい」

「何であんたが謝るの? 馬鹿ね」

「心配かけてごめんなさい。ホントにごめん」

「そんなに謝らなくて大丈夫だから。あんたが生きててくれただけで十分だから」


 母娘でひとしきり泣いて、少し気持ちが落ち着いた。


 母が来た翌日、

「警察の方からお話を聞かせてほしいと言ってきてるのですが、どうしますか?」

と医師に聞かれた。

「会いたくなければ、私の方から、今はまだ無理だと言っておきますが」

 正直、凄く怖かった。だけど、早く吐き出してしまわないと、自分の中でこの恐怖感が増長されていく気がして、その方が遥かに恐ろしかった。

「お話します」

答えると、母が慌てて、

「私も一緒にいていいか聞いて頂戴」

と私に言う。

 母には英語はわからないから構わないかな、と思い、同席させて下さいと医師に頼んだ。


 入って来たのは女性の刑事さん二人だった。

「本当に大変な目に遭いましたね。怖かったでしょう。申し訳ないのですが、こんな時に気持ち的に辛い質問を沢山しなければなりません」

「はい」

「辛かったり怖かったりして答えたくない時はいつでも言って下さい」

「わかりました」


 母には通じているはずもないが、なんとなくわかっているようだ。


 私は、自分の記憶していることの全てを話した。

 途中、若い方の刑事さんが何度か顔をしかめたり、わかりやすい英語で反応するので、母が物凄く心配そうに私を見ていた。


「一体、何人の人が殺されたんですか?」

「まだ意識不明の人もいるんですけど……全世帯の6割ほどが死亡または重軽傷」

「……そんなに」

「平日の昼間だったから、この程度の被害で済んだのだと思いますが……」 

刑事さんは、視線を外し言葉を濁した。


 男は、何らかのルートで手に入れた薬で一瞬にして相手を眠らせ、抵抗できない状態の被害者を刺してまわったらしい。最初のうちは。

「最初のうちは?」

「そう、最初、1階から5階くらいまでは」

その後、それでは飽きたらなくなった男は薬を段々減らしていき、半分意識があるままの相手を刺していく。そして……

「11階からは薬を射たずに刺していきました。相手が自分を恐れる顔がたまらなく楽しかったと……」 


 刑事さんが一旦黙り込む。

「まだ、続けても大丈夫ですか? 辛くなったらいつでも言って下さい」

「大丈夫です。続けて下さい」

本当は全然大丈夫ではなかったが、母が途中からずっと私の手を握って、背中を撫でてくれていたのが、私を勇気付けた。逃げない。そう決めた。

 ナイフで脅して、声も出せぬまま命乞いする相手を、笑いながら刺して行った。『ここのビルは防音に優れてるだろう?俺がそうしたんだ』と言っていたという。男の言葉についての真偽は定かではない。


「殺人鬼」、本当にいるんだな。

 人を殺したり、怯える顔を見るのが大好きな、人の形をした「鬼」が。


「殆どの人が悲鳴をあげる余裕もなかった中、12階に住む男性が、物凄い悲鳴をあげたらしいです。そしたら、上の階でバタバタと音がして、気付かれたのかな?と思った、と」

多分、私の部屋の真下に住んでいた人だ。

「それで一旦、エレベーターの方へ向かったが、エレベーターが動く様子もない。とりあえず、一度下に降りてみるかと思い、エレベーターの横の非常階段を使って降りていると、管理人室から女の人の悲鳴がした。と」


 私だ。


 最初、男は、私が外部から管理人を訪ねてきた人間だと思っていたらしい。

「『まだ、ここで騒がれてはまずい』と思ったそうです」

、ここで騒がれては……?

「まだ、13階から15階まで『』と。全部の階の人間を殺してしまわなければならなかったのだ、と」

動揺する。混乱する。

「それは……何のためなんですか? 何故なんですか?」

「……ゲームなのだと言っていました」

「ゲーム?」

「それは楽しいゲームで……コンプリートするのが目的だった……と」

意味がわからない。意味がわからない。嘘でしょう?


「でも、私の悲鳴を聞いて、男は管理人室に入ってきました。私が気を失ったので、隣のスクールの保健室に運んだのではないんですか?」

「気を失ったのは確かだったらしいです。ただ、保健室まで運んだ後、彼は例の薬をあなたに射った。をやっているうちに、あなたが起きてしまわないように」

全身が凍りつく。

「彼は……その男は……スクールの教師ではなかったのですか?」

刑事さんは少し口籠る。少し迷いがあるのが見て取れた。

「まだ……その辺は調査中で、なんとも……。お伝えでき兼ねます」

エレメンタリースクールの中でも「何か」あったのかもしれなかった。


「意識を取り戻したあなたを部屋まで送って行きました。……後は、あなたがお話して下さった通りです」

「あの……私は……何で助かったんですか?殆ど怪我もなく」

足の裏の皮が少しめくれていたのと、軽い擦過傷はあったものの、あの状況で、この程度の傷で収まっているのは不思議でしかなかった。

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