幸福論 ラッセル

受け取ったこと

外的な興味を持つことは、大切であるということ。

この先の運命を気にすると、苦悩するということ。

人には相性があり、合わないことはある。ただ、合う人のいる環境というものはある。それを信じて探すことが大切だ。それには経験が必要なので、経験豊富な人に頼ることも大切だ。


目次 問い

第一部 不幸の原因

何が人々を不幸にするのか

バイロン風の不幸

競争

退屈と興奮

疲れ

ねたみ

罪の意識

被害妄想

世評に対するおびえ


第二部

それでも幸福は可能か

熱意

愛情

家族

仕事

私心のない興味

努力とあきらめ

幸福な人


気になったところとコメント

人並みの幸運があれば、個人の幸福をかち得られるような改革の示唆とある。

ラッセル氏は、知の鉄人としてしられるほどの賢人である。


自己のことばかり考えて、自分への興味ばかり求めると、幸福にはなれない、とある。


ペシミストへの批判。世界の本質を虚無ととらえて、自らも無意味と考える悲観的な見方に、ラッセルは批判的だ。彼は、世界に対して知的好奇心を絶やさず、興味を大切にして、探究を楽しむことを薦めている。そんな彼にとっては、無意味な自分の無意味な人生なんて考えは、ばからしく見えたのかもしれない。悲観的な考えにひたるくらいなら、行動したほうがいいとはっきり書いてある。

競争について、社会システムではあるけれども、逃れられないものではなく、自らがアクセルを踏み、競争に身を投じているから、社会の階級競争が生活に染み渡っていくと述べられている。その競争に染まった生活は、他の要素を犠牲にするほど、幸福から遠のいていく。その過酷さゆえに、リラックスすることを忘れる原因ともなると述べられている。

競争は、最近では見直されているところでもある。自分の生活の豊かさをメインに考えて、体験を優先することは、別の本にも書いてあったし、そういうブログなども見かける。


世評を気にするものではないとも述べられている。あるところでつまはじきものであっても、別のところではそうではない。気心のしれた仲間に出会うために環境を変えることは当然あっていいと述べられている。何より、他人から与えられたものではなく、個人の内側から沸き上がる心によって生き方を決めることが大切だと述べられている。

最近、そう思うようになった。自己本位であることは、生き方を考えるために必要なのだと考えるようになった。競争で勝つことが、あまりにイメージ良く広められているので、そうありたいと思うのは当然だが、そのために疲弊しては、もとも子もない。お金を得るには、時間がかかる。その時間は、別の体験とのトレードオフになる。何をするにもまず、我々の時間を失っていることに目を向ける。自分を満たす経験をたくさんすることが、人生を大切に生きるということなのではないか、と思う。


幸福のキーポイントとして、あげられているのは以下のことだ。世界に広く興味をもち、その興味を(物にしても、人にしても)友好的なものにすること。

私心のない興味は、人生を楽しくするともある。生活の重要な基盤を整える必要にかられた興味ではなく、気晴らしとなる興味を持つことが、幸せに繋がるんじゃないか、と述べられている。

今は、合理化と目的のために必要なものを、かき集める時代のように思われる。そのなかでも、自身の知的好奇心を満たすようなささやか楽しみのある興味は、大事かもしれない。


ラッセルをして幸福に必要なものは以下の通り。

事実をよく知ること。そして、自由な愛情と興味を持つこと。

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