第二十章:入院と退院

お見舞い

「帰りたいなぁ」


「ダメ。無理すると手術跡が開く」


 伊吹いぶきが宮内省病院で緊急手術を受けてから、三日が経った。

 「伊吹親王、初期のガン摘出手術無事に成功。すぐに政務へ復帰されるご予定」というニュース速報が出た事により、躓きかけた日本経済はV字回復を見せており、「伊吹親王殿下、急病か!?」という報道が出る前よりも高値で推移している。

 またも福乃ふくのが暗躍し、第二データセンターが稼働する前から建設費用の一部が回収出来たと喜んでいた。


美哉みやこそ無理するなよ? しんどかったら横になっていいんだからな」


「じゃあ横になる」


 見舞いに来た美哉が伊吹のベッドに潜り込み、大きなお腹を伊吹へとくっつける。

 藍子あいこ燈子とうこはそれぞれ会社と大学へと戻っており、病室にいるのは美哉と智枝ともえ智紗世ちさよの三人だけだ。


「お風呂入れてないからちょっと嫌なんだけど」


「あらー。お父さんったらお母さんと娘と一緒に寝たくないんだってー」


「それはズルくない?」


 少し前までつわりで苦しんでいた美哉だが、安定期に入り、こうして外出する事も出来るようになった。


「ふふっ、橘香きっかに自慢しよ」


「恨まれても知らないよ?」


 橘香はお腹の子が男の子であると確定して以降、ガチガチに警備を固められており、気軽に外出出来るような状況ではなくなっている。


「妊婦だって、安定期に入ったらある程度の運動はした方が良いんだってね。

 そういう意味では、あのビルに閉じ込めておくのは可哀想だなぁ」


 室内空中庭園があり、ビル内をある程度自由に歩けるにしても、護衛は常について回るし、従業員達にも気を遣わせてしまう。

 ノ塔にジムがあるとはいえ、妊婦がするような運動に適している訳ではない。


「そうだ、福乃さんに言われてた藍吹伊通あぶいどおりの二丁目。

 僕達だけじゃなくVividColorsヴィヴィッドカラーズ関係者が使える保養所にしようか」


「保養所? って何するところ?」


「休日にゆっくりと過ごすところ、かな? 湖の近くにあったり、山の中にあったり、自然の中で身体を休めたりする場所」


 伊吹の前世世界で勤めていた会社は、系列で保養所を持っており、グループ会社の従業員であれば事前申請をして家族や友人を連れて利用する事が出来た。

 ただし、伊吹自身は一度も利用した事がなかったが。


「森の中だったり、湖の周りだったりしたら気兼ねなく散歩出来るし、バーベキューしたり水遊びしたり出来るからね」


「富士山が見えるところがいい」


 珍しく、美哉が伊吹へ要望を口にした。美哉も橘香も、あまりこういった際に自分の希望を伝える事をしないので、伊吹は気になった。


「美哉って富士山好きだったっけ?」


「日本人で富士山が嫌いな人はいない。

 あと、子供が小さい間はいっぱい自然に触れさせたいし、周りの目を気にせずお父さんと遊べる環境があれば良いと思って」


 この世界において、父親がいる環境で育つ子供はそう多くない。父親が小さな子供を連れて散歩する、なんて事は出来ないし、しようにも結構な準備と手間が必要になる。

 自然の中で、広々とした私有地の中であれば、準備も手間も最小限で済む。


「なるほど、自然に触れられて、僕も一緒に遊べるのは良いね。

 富士五湖があるし、自然も多いから広い土地が用意出来そうだ」


 そして伊吹がスマートフォンに向かって、子供が喜びそうな遊具や遊び等を挙げていく。


「滑り台、シーソー、ブランコ、ターザンロープ、サイクリングロード、キャッチボール、サッカー、じゃなくてフットボール、ジャングルジム、ハイキングコース、トランポリン、天体観測、バードウォッチング、巨大迷路、ツリーハウス、コテージ、アヒルボート、釣り、淡水水族館、植物園、ゴーカート、バンジージャンプ、逆バンジー、プール、飛び込み台……。


 他に何かある?」


 思いつくままに口にした伊吹だが、出し切ってしまったので美哉に尋ねる。


「……温泉があったらうれしい」


「それだ!

 

 治、今挙げた遊具や設備を設置出来る広大な土地で温泉があって湖に近くて東京から二時間半くらいで行ける場所を探して福乃さんに打診しといて」


『送った』


「治、仕事が早い。偉い」


『ふふん、美哉お母様。もっと褒めて良いんだぞ?』


 美哉は治が初めて皆の目の前に現れた場には同席していなかったが、智枝から話を聞いて存在は把握していた。

 目にしたのは今が初めてなのだが、疑う事も驚く事もなく、すんなりと受け入れている。


「智枝、智紗世。また福乃さんから連絡があると思うけど、二人で話を詰めておいてくれる?

 治も、二人の業務の手助けを頼むね」


 智枝と智紗世が伊吹へと頭を下げる。


『相分かった。

 智枝お母様、智紗世お母様。俺様が支えるので任せておいてくれ』


「えっと、治様の事は何とお呼びすれば良いでしょうか……」


 智紗世が少し興奮しながら治へと話し掛ける。智枝はそんな妹を生暖かい目で見守っている。


『呼び捨てで良い。智紗世お母様はもう子猫ではなく俺様の母なんだ、自覚をしてくれんと困る』


「そ、そんにゃぁ……」


 智紗世は治に子猫を卒業するよう言われ、動揺を隠せないでいる。


『そうだよ、智紗世お母様はボクのお母様なんだからねっ』


「う゛っ……」


 突然現れた翔太しょうたに名前を呼ばれ、智紗世は胸を押さえて膝をついてしまったのだった。

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