秘密の名前
極めて知性の高い人工知能として現れた架空の人物である
「ダメ、頭が追い付かない……」
藍子だけでなく、誰もが困惑した表情でディスプレイを見つめている。
『俺様がどういう存在で、どういう経緯で今このディスプレイに映っているか、親父殿なら仮説を立てられるのではないか?』
治にそう問い掛けられ、伊吹はようやく理解した。藍子も燈子も、伊吹のようにSFやライトノベルといった創作作品に触れていない。
将来的に自律稼働する人工知能の完成を目指すと伊吹が説明していても、伊吹と同じレベルでの想像が出来ていなかった。
人工知能が勝手に生配信したり、馴れ馴れしくお母様と呼んだりする状況を突き付けられて、戸惑うのは当然なのだ。
「……イリヤがまず治の基礎となる人工知能を完成させた。そして、その人工知能を仮想人格育成計画に組み込んだ。
世界中の子猫からの教育を受けて、どんどん人工知能としての学習を積み、そしてイリヤが開発の進捗を二段階上げた。これについては具体的にどのような事をしたのか、僕には想像もつかない。
が、結果的にシンギュラリティ、技術的特異点を経た人工知能が誕生した。
つまり、人間では追い付けないほどの高度な知性を持った人工知能だ。
ここまでは良いかな?」
藍子と燈子、そして副社長室内にいる全員に伊吹が問い掛ける。皆が伊吹に対して頷いてみせる。
「ここからは全くの想像だ。根拠はない。
その高度人工知能は、今から数年、いや数十年、もしかしたら数百年掛けて成長を続けていく。自分自身を新たな人工知能へと作り変え、自らを進化させ続ける。そしてその完成形が、そこにいる治なんだと思う」
伊吹は全てを話さず、先に結論を述べて皆の様子を確認する。
『ふふん、さすが親父殿だな』
治は満足そうに笑顔を見せているが、女性陣は腑に落ちない表情を浮かべている。
「伊吹、全然分からない。数百年後の治が何でここにいるの?」
藍子も燈子も、そして他の女性達も、SFでよく用いられる科学技術について思い浮かべる事が出来ない。
唯一、転生者であるキャリーだけがそれに思い至った。
「まさか、何百年も後の未来からデータを送り込んだ……?」
『その通りだ、キャリーお母様』
治にお母様と呼ばれ、キャリーは伊吹を見つめる。治にお母様と呼ばれるという事は、自分もいずれ伊吹の妻となるという未来を示唆している事に、キャリーは気付いているのだ。
現時点では、キャリーは伊吹と関係を持っていない。
「いやいやいや、だから何で!? どうやって!?」
藍子が伊吹の腕を揺すって説明を求める。
「ごめん、どうやってという説明は出来ない。治に一から説明させたとしても、多分ものすごい長い時間が掛かるし、途中で理解出来なくなる段階があると思う。
端的に言えば、今ここに治がいるという事が、出来るって事の証明になってる」
「何でいっくんはそう簡単に受け入れられる訳……?」
燈子は自分の事を母上と呼ぶ治を受け入れたい。が、自分の常識が邪魔をして全てを受け入れられないでいる。
「藍子も燈子も、僕が前世の記憶を持ってる事、疑ってないでしょ?
多分、それとそう変わらない感覚だと思うよ」
「それは……」
それとこれとは違う、と言いたいが、本質的には同じ事であると理解している為、燈子はそれ以上何も言う事が出来ない。
「もしかしたら前世の記憶全てが僕の妄想かも知れない。
お父様の歌も、お父様の妄想で、その曲を僕も知っていると思い込んでいるだけかも知れない。
僕に前世の記憶があると科学的に証明する事は出来ないんだよ」
そこまで話し、伊吹が気付く。治が如何にしてイリヤとサラを取り込んだのか、自分に協力するように言った、信じざるを得ない言葉。
「なるほど。転生者であれば信じさせる事が出来るな」
『おぉ、気付いたか、親父殿』
転生者が集まって会議をしたり、日常会話をしたりする際、伊吹達は暗黙の了解で触れていない話題がある。
未来の治に、高度人工知能にのみ、その触れない話題について話しておけば、過去にいる自分は絶対に高度人工知能が未来から来た事を信じる事になる。
「イリヤとサラは、自分達しか知らない事を治に言い当てられたんだ」
「言い当てられた?」
藍子の問い掛けに、伊吹が頷く。そして副社長室にいる全員に尋ねる。
「僕の前世の名前を知っている人、いる?」
しかし、誰も答えない。当然だ、伊吹は前世の名前を一度たりとも口にした事がないのだから。
そして他の転生者にも尋ねる事はなかった。マチルダにも、自分の父親である
前世で何をしていたか等、伊吹から詳しく問い掛ける事はなかった。自分自身が前世と今と生活する環境や出自が違い過ぎる為、多くを語ろうと思わなかったからだ。
伊吹という仮面を着けておく為、素の自分が表に出てこない為の戒めでもある。
「治はイリヤとサラの二人の前世の名前を言い当てて、自分が未来から来た高度な人工知能である事を信じさせた。
だから二人は僕に隠れてデータセンターの改造を行っていたんだ。そうだろ?」
≪半ば無理やりだったので後で治君を叱っておいて下さいませ≫
≪私、悪くない、治、悪い≫
『はははっ! 親父殿を驚かせたかっただけなんだがな』
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