笑う福乃と泣く伊吹

 福乃ふくのは大会議室に入るやいなや、伊吹がへたり込んでいる前に正座した。


「ひっひっひっ! ようやく歳相応になったね。高天原たかまがはらから降りて来たんじゃないかって思ってたけど、伊吹様も人間って事だね。安心したよホント」


 騒ぎを聞いて駆け付けた美子よしこ京香きょうかが伊吹を指差して笑う福乃に抗議するが、福乃は笑っていなす。


「私は安心したって言ってるんだよ。張り詰めた糸はいつか切れるんだ。今で良かったじゃないか。伊吹様はまだ何も失敗していない。失敗するかも知れないと思って怖気づいただけだ。

 それってのはね、人を動かす立場の者には大切な事さ。自分の行動次第で他人の人生を左右してしまうって自覚したんだろ? 失敗する前に気付いたんだ、喜ぶべきじゃないか!

 ほれ、あんた達も座りなよ」


 福乃が藍子あいこ柴乃しのみどり琥珀こはくに声を掛ける。

 言われるがまま、皆が伊吹を囲むように床に座る。


「地に足が着いた考えが出来る方が経営者としては良いのさ。どうせ失敗しても田舎の屋敷に帰れば良いって無茶な事されるよりか、失敗する前に身を引こうとする方がまだマシさ。

 自分の成功より他人に掛けるかも知れない迷惑に目が行ったんだ。私は伊吹様を笑わないよ」


 魔女のように笑ってみせた事を棚に上げ、福乃が真面目な顔で伊吹へ語り掛ける。


「何で一人で抱え込むんだい? 事業投資に関しては、美哉ちゃんや橘香ちゃんよりうちの子らの方が詳しいと思うんだけどねぇ」


 伊吹の顔を覗き込むように見つめる福乃。伊吹は福乃の話を聞き、少し落ち着きを取り戻したのか、美哉と橘香から手を放して床へ座り直す。伊吹の顔を汚している涙と鼻水を二人が手早く拭いてやる。


「……すみません、会社経営を舐めてました」


「本当に舐めてる人がそんな顔で謝るもんか。伊吹様は立派に考えているからこそ、そんな情けない顔をしているのさ」


「おば様っ!」


 藍子あいこが言い過ぎだと指摘するが、福乃はその藍子に対して説教を始める。


「情けないのはあんただよ、いや、あんた達四人だ。男が不安で震えてる時に何もしてやれないで、何が妻だってんだ。

 伊吹様は誰を頼った? 誰に縋った? 第一夫人の藍子じゃなく、事業を支える秘書達でもない」


 あんた呼ばわりされた藍子、柴乃、翠、琥珀がキッと福乃を睨む。


「今、相手は幼馴染だから仕方ないと思ったね? そんなんで旦那様の一番になんか慣れる訳ないね。私が第一夫人でも第二夫人でもないのを知っているだろうに。

 一体私の何を見てきたんだい、全く情けないよホント」


 わざとらしく大きなため息を吐く福乃。何も言い返せず俯く四人。伊吹は居心地が悪くなり、口を開く。


「僕が悪いんです。何でも出来る気になって、気が大きくなってたんです。

 今まではこんな機械があった、こんなお店があった、こんなサービスがあったって言うだけで、あとは皆が形にするべく動いてくれた。

 けど、今回は違う。僕が言うだけで作れるもんじゃない。お金もいっぱい必要になる。もし失敗したらと思うと……」


「AI開発だって? うちでも二十年以上前からやってるさ」


 この世の不幸が全て降りかかってきたと言わんばかりに暗い顔をしてぼそぼそと喋っていた伊吹が、福乃の発言を受けて止まる。目も口もこれでもかというくらいに大きく開けて驚いている。


「そんな大層な事じゃないだろ? チェスの対戦でAIが人間に勝ったのはもうだいぶ前の話だよ。ゲーム機で将棋をするのもAIが対戦したりするだろ」


 ゲームに限らず、AIに対して専門家並みの知識を教え込み、問題の解決をさせようとする試みはこの世界でも行われている。伊吹の前世では『エキスパートシステム』と呼ばれていた技術だ。


「AIって言ったら、オーダーに沿った絵を描かせたり、文章を考えさせたり……」


 伊吹がAIと聞いて思い浮かべたのは、生成AIだった。人間がプログラムを組んだ上でその枠組みでしか回答を出せない従来の人工知能とは段違いの難易度となる。


「それが出来るようにする為に、今から投資するんじゃないのかい?」


 この世界現時点でのAI技術と伊吹が想像するAI、そしてその間を埋めるのに必要な研究者としてのイリヤ。ここでようやく伊吹の中で一つの線に結び付いた。


「そう、ですね……」


 伊吹が先ほどまでの情けない表情ではなく、いつも通りの、さぁこれから何をやろうかなという思案顔に変わり、皆が胸を撫で下ろしている。そんな宮坂家の女達をじろりと睨みつける福乃。こんな事も出来ないのかい、という無言の圧力を掛けられ、居住まいを正す四人。


「そうそう、それとねぇ」


 何かを思い出したかのように、伊吹に向き直る福乃。


「たった九百億が何だってんだ。伊吹様のお陰で宮坂家とうちの協力者達がどれだけ儲けたか忘れたのかい?

 十回や二十回の失敗なんて屁でもないよ、やるなら全力でやりな!」


 伊吹とGoolGoalゴルゴルとの間で起きたゴタゴタで、宮坂家は膨大な利益を得ている。例え伊吹が失敗したとしても、十分に補填が出来るだけの余剰資金が確保されているのだ。


「でも、それは僕のお金では……」


「伊吹様がいなけりゃ入ってない金さ。名義が違うだけで伊吹様の為みたいなものだよ。気にしなさんな。AI開発をしている会社の株を丸ごとVividColorsヴィヴィッドカラーズへ譲ったって良いよ」


 全く一から会社を立ち上げるよりも、ある程度AI開発に携わっている会社を買収した方が成果が出やすいのは目に見えている。

 開発責任者としてイリヤを指名してやれば、あとは彼女が好きにするだろう。


 AI開発の為の事とはいえ、成り行きで丸ごと会社を貰い受ける事になり伊吹が恐縮する。


「会社に一つや二つ、どうって事ないさ。それよりもうちの子達の事をもっと考えてやってくれないか?」


「……はい。分かりました。

 皆も、情けない姿を見せてしまって、ごめん!

 でも、これが本来の僕の……、俺の姿だ。情けなくて弱くて頼りない。

 もし皆が……」


 それ以上喋らせないようにと、藍子が伊吹の口に手を当てる。他の三人も、真剣な表情で伊吹に熱い視線を送っている。


「この子達が今さら伊吹様なしで生きていけるとでも思ってるのかい?

 一度は愛した女だろう、責任持って最後まで愛しておくれよ。その代わりにこの子達はもっともっと強く、頼りになるよう、私がこれからも鍛えるよ」


 伊吹が四人に頭を下げると、皆が抱き着いて伊吹を揉みくちゃにする。一時は三ノ宮家さんのみやけと宮坂家決別の危機かと思った四人にとって、もう二度と離したくないと力を込めて伊吹を抱き締める。


 そんな中、大学へ行っていた燈子とうこが帰って来た。


「えっと、どういう状況?」

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