手紙

 VCスタジオ監修の元で合成された歌が流れる。伊吹いぶき演じるあきらのアバターが表示され、旭の歌声の上にギターとベースとドラムの音が重ねられている。


「うーん、前奏とかないんだな」


 智枝ともえは今、パソコンを操作しているので伊吹から離れている。その代わりとして、今度は伊吹が藍子あいこを膝の上に乗せて抱き着いている。

 燈子は伊吹の左隣に座っており、肩が触れ合っている状況。二人とも顔を真っ赤にしてあわあわしているのが、伊吹の嗜虐心しぎゃくしんをくすぐっている。


「お兄さんが歌ってる部分から想像して前奏やら間奏を入れるのはすごく難しいと思うよ。

 YourTunesユアチューンズで公開してる人が増えて来てるけど、この三人は別格に上手だと思う。実際プロだし」


 演奏する才能とは別に、自分で旭の紡ぐメロディに合うコード進行やドラムのリズムを考える才能が必要となる。そして旭の歌っていない箇所についてはゼロから作らなければならず、非常に難しい作業になる。旭の歌唱部分に合うようにしないとならないのもまた、難易度が上がる原因である。


「前奏ってどんなんだったっけなぁ」


「ひぅっ」


 伊吹はわざと藍子の耳元で囁き、藍子のお腹に当てている右手をむにむにと動かす。無駄な肉がない柔らかな感触を楽しみながら、伊吹は前世で聞いていたこの曲の全体像を思い出そうとする。

 しかし、演奏経験がない人間にとって、特定の曲のドラムの演奏音やベースの演奏音をはっきりと記憶するのは難しい。ギターソロであれば何とか、という程度だ。

 伊吹は藍子の太ももをぽむぽむと叩きながらリズムを刻む。こうか? いやこうだったか? と何度繰り返しても音は降りてこない。伊吹に演奏の才能はないのだ。


「ああああのっ、ちょちょちょっとおトイレに行かせて下さいっ!」


 伊吹に楽器として扱われていた藍子が声を上げる。伊吹は、先に手を洗うようにと耳元で囁いてから、藍子を開放してやる。


「はい! ……はいっ!?」


 真っ赤な顔をさらに真っ赤にして慌てる藍子を放置し、智枝へ向き直る。


「やっぱり直接会って話さないと伝えられないよ。僕は理論で音楽を語れないし、脳内で流れてるメロディを人に伝える才能もない。ってかあるなら一人で全部やってる」


「直接お会いになるのは控えて頂きたいですが……」


 智枝が難色を示すが、紫乃しのは何とか安全に面会出来る場を設けられないか思案する。


「例えばレコード会社が持っているレコーディングスタジオに行って、録音ブースの中に待機してもらっている演奏者に対してマイク越しに指示を出す、とかはどうですか?」


 紫乃が担当する分野の中にレコード会社も含まれている為、何とか伊吹の思い描く通りの楽曲を完成させたいと思っている。


「指示を出すだけならスタジオまで行く必要ないと思います。演奏者と音声通話を繋いで出来ないですか?」


 琥珀の問い掛けに、伊吹は首を傾げる。


「やってみないと分からないけど、どうかな。僕が指示を出すんじゃなくて、先に演奏があって僕が似てる、似てないの二択で判断するしか出来ないのが辛いなぁ。

 似てる、さらに近付いた、良い感じ、っていうバカみたいな表現しか出来ないよ」


 そのまま、あーだこうだと議論にならない議論を続けていると、藍子が段ボールを抱えて戻って来た。


「先ほど伊吹さん宛てに荷物が届いたと、警備の方から受け取ったの。危険物が入ってないかしっかり検査済みだって」


 段ボールの封が開いていないのを見て、伊吹はX線検査をしたのかと内心驚く。伊吹はこのビルに来てから一度も外へ出ていないので、現在ビルの一階やビル周辺がどうなっているのか全く知らない。


「念の為、私が開けましょう」


 藍子から美子よしこが段ボールを受け取り、オフィスの端っこへ移動して開封する。段ボール内を目視で確認し、伊吹の前に中身を出していく。


「これは、ディスク? CD、じゃなくてDVDか」


 中から取り出されて、ローテーブルへ積まれていくDVD。正確に言うと市販の書き込み可能なDVD-Rだ。

 封筒が添えられており、美子が一読した後、伊吹へと手渡される。


「世界の向こう側から来た君へ、私から君へのプレゼントだ。

 自然に歌えば良い、愛こそ全てだと。

 革命を起こせ、これがロックアンドロールミュージックだと。

 明日は分からないが、昨日は確かにあった。

 週に八日働く事になったとしても、助けを呼ばないように。

 思うがままにやれ。男に納税義務はない。


 月明かりの紳士より。



 追伸、愛している」


「伊吹さん、どうしたの? 何が書いてあったの?」


 固まっている伊吹を心配し、藍子が声を掛ける。よく見ると手紙を持つ伊吹の手がブルブルと震えている。

 藍子は美子に目をやるが、心当たりがない美子は小さく首を横へ振る。


「……僕以外にも並行世界の記憶を持っている人物がいた」


「え? お兄さん以外にも?」


「うん、僕以外にも転生者がいたんだ」

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