男性保護省の方から来た執事

 配信部屋よりもオフィスの方が広いので、場所を移して燈子とうこが描いたイラストの下書きを確認する。

 昨夜、家に帰ってからラフを描き、伊吹に確認してから仕上げるつもりだったようだ。


「絵に関して僕から言える事はないなぁ。上手い、カッコイイ、としか言えないわ。

 後は、今日来る河本こうもとさん達と話してもらって、動かしやすいイラストでとりあえずのアバターを作ってもらって初配信に臨めればいいと思う。

 河本さん達はこれからこのビルで仕事してもらうんだし、随時より良いアバターに変更して行けばいいかな」


「なるほど、どんどん良いアバターになって行く訳ね。そっか、これが買収した強みになるのね」


 他の企業へ発注する場合、一つ一つの変更に支払いが生じるので、短期間で何度も細かい要望を投げる事は出来ない。しかし社内、もしくはグループ内の企業であればそれが可能になる。


 燈子との話し合いを続けていると、オフィスのドアをノックして警備員が入って来た。


「執事と名乗るお客様がお見えなのですが」


「あぁ、聞いています。通してもらえますか?」


 京香きょうかがそう答え、伊吹へ向き直り事情を説明する。

 昨日保護省へ精液採取器を提出しに行った後、関係各所へ回った際に執事を派遣するという話を受けたそうだ。

 伊吹には今朝報告予定だったが、色々と問題が発生した為伝えそびれたとの事。



「男性保護省より参りました、久我くが智枝ともえと申します。

 私は出向している身ではありますが、保護省には不信感がお有りと存じます。ご信頼頂けるよう努めて参りますので、何卒よろしくお願い致します」


 黒いスーツに長いスカート。シニョンに纏められた髪型。伊吹はファッションに詳しくない為、ホテルのコンシェルジュという印象を受ける。身長は伊吹よりも低く、百六十センチに届かない程度か。


「初めまして、三ノ宮さんのみや伊吹いぶきです。よろしくお願いします」


 立ち上がって頭を下げる伊吹に対し、智枝は早速執事として主に対する教育を開始する。


「ご主人様、主が従者へ頭を下げてはなりません。我々は家具と等しくお使い下さい」


 伊吹は内心、面倒な人が来たなぁとため息を吐く。そういう堅苦しい事は出来るだけ避けたい。お世話になるとはいえ、お世話をされて当たり前とは思いたくないと考えているからだ。


「智枝さん、僕はもっと親しみやすいお付き合いを望んでいます。三ノ宮家は和やかな雰囲気の職場であると思って下さい」


「ご主人様のご希望は賜りました。善処致します。

 私の事は、智枝とお呼び下さい」


 智枝は伊吹が思ったほど頑固ではないようで、伊吹の望みには可能な限り応えるつもりのようだ。

 執事が付いたはいいが、現状で特に何かしてもらうべき事はない。


「今このビルにいる状況については京香さんに教えてもらって下さい。

 実家の屋敷に帰るとなると、智枝……、さんも付いて来てくれるの?」


 生まれた時からの関係性があるので、美子と京香に対して今さら呼び捨てにするのは気恥ずかしくて出来ない。だからと言って智枝のみ呼び捨てにするのは、と思い、結局敬称を付けて呼んでしまう。


「私はご主人様がおられる場所が職場でございます。どちらへでも着いて参ります。

 私もご主人様のご希望に沿いたいと思っておりますゆえ、ご主人様も私の言葉に耳を傾けて頂ければと思うのですが、如何でしょうか?」


 伊吹の希望に沿うようにするから、伊吹も智枝が言う事を聞いてくれ。そういう風に伊吹は捉えた。


「分かりました。すぐには慣れないと思うけど、智枝さんの助言を聞くようにします」


「智枝、とお呼び下さい」


(引っ掛かってたのはそこかよ)


「……智枝、よろしく」


 はい、と満面の笑みを浮かべて頭を下げる智枝を見て、伊吹は変な人だなぁと思うのだった。



 智枝は伊吹の指示通り、美子と京香へ伊吹についてのあらゆる事を質問し、メモ帳へ書き留めている。年齢は二十七歳と二人よりもだいぶ年下である。執事だから自分の方が立場が上、というような様子ではない事に安心する伊吹。


 智枝の事は侍女達に任せ、伊吹は燈子とオフィスへ顔を出した藍子あいことで河本達について話し合う。


「今向こうの荷物を整理しておられる頃だと思います。私達が伺う前から整理を始めておられたので、それほど時間は掛からないと思いますけど」


「二階のフロアに荷物を運び入れて、荷解き後すぐに作業を始めてもらいたいな。

 あ、秘密保持契約書を作らないと」


 伊吹達のやり取りを聞いていたのか、智枝が詳細を確認して来た。


「その程度であれば私でも作成が可能です。パソコンをお借りしても?」


「えぇ、こちらをお使い下さい」


 藍子からオフィスに置いてあるデスクトップパソコンを借りて、素早く書類を作成する。四人分の原本と控え、計八枚分を印刷し、智枝が藍子へ手渡した。


「ありがとうございます。先方が来られたら説明をして、署名してもらいます」


「いえ、これが私の仕事ですので」


 藍子に対して軽く頭を下げつつ、智枝がちらりと自分の方へ視線を向けたのが伊吹には分かった。


「助かるよ、智枝」


「いえ、何なりとお申し付け下さい」


 またも満面の笑みで頭を下げる智枝を見て、伊吹は褒められて喜ぶ犬を思い出した。

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