第三章:Vtunerデビューの準備
号泣
明けましておめでとうございます。
本年もどうぞ、よろしくお願い致します。
★★★ ★★★ ★★★
「
「事件、ですね。僕は侍女さんとご近所さんのお陰でここまで逃げて来たんです」
伊吹が
祖母が亡くなった事、それからしばらくして国から自分の侍女が罷免されたと訴える人物が屋敷に訪ねて来た事。そして、侍女が自分を地下室へ隠れるよう促した事。
万が一屋敷に危害を及ぼす人物が来た場合、どのように対処するかは何度も避難訓練を行っていた。地下室には外へ逃れる為の隠し扉が用意されており、数日分の着替えや現金などが入った旅行鞄が用意されていたのだ。
伊吹は
地下室で普段着の甚平から旅行鞄の中に入っていた白いタートルネックとジーンズに着替えた。パッと見て男性であると分かりにくい事を優先している為、季節外れではあるがそれを着るしかなかった。京香も侍女服を脱ぎ捨ててワイシャツとスラックスへ着替えた。
本来であれば警察署へ駆け込むべき状況であるが、不審人物達が警察官を連れてやって来たので判断が難しい。万が一警察署で侍女である京香の方に疑いを持たれれば、伊吹を守る者がいなくなってしまう。
京香は近くで身を隠すよりも、一度大きく距離を離してから身を隠す方が良いという判断を下した。
「東京へ向かいましょう。男性保護省は現時点でどこまで信頼が置けるか分かりかねますが、少なくとも
伊吹は地下室を出て、京香の後ろを着いて行く。腰を屈めてゆっくり庭の隅を歩いていると、屋敷の中から怒鳴り声が聞こえて来た。屋敷に残っている
屋敷の駐車場から衝撃音が響く。それも複数。
「これでこの車も動かせないわ!」
「絶対に殺すな! 伊吹様に穢れが伝染る」
「可能なら出血も控えるように」
「屋敷が汚れるものね」
「あの警察官達は?」
「無力化済みよ」
聞き覚えのある声が伊吹の背中越しに届く。ご近所さん達が駆け付けたようだ。まるで訓練された部隊のように落ち着いている。
「生まれて来た事を後悔させてやる」
「伊吹様には指一本触れさせない」
「全部の指を折ればいいわね」
「ついでに両足もいっとこう」
「殺せ殺せ殺せ!」
「だからダメだってば」
そんなやり取りに驚きつつ、伊吹は屋敷の敷地から出て、さらに進む。屋敷から少し離れた場所で停車している車が見えた。京香は伊吹に先を行かせ、後ろを振り返りながら車へと近付く。
「いたぞ!」
車に乗り込む直前で襲撃者に気付かれてしまい、京香は伊吹を後部座席へ押し込むと運転手にすぐに車を出すよう叫んだ。車から降りようとする伊吹に首を振り、後で連絡をするからと告げる。すぐに車は急発進し、山道を下って行った。
祖母の死。屋敷への襲撃。身を挺して自分を逃がしてくれた侍女達。荒ぶるご近所さん達。
そして近所のおばさん、もとい、お姉さんが運転する車に揺られる現在。全く現実感がない今の状況で、これから自分はどう行動すれば良いのかを考える伊吹。
最寄り駅は一日に止まる本数が少ないので、見つかる危険性が高い。お姉さんはわざわざ新幹線の停車駅まで送ってくれた。不慣れだろうと、車を駐車場に停めて駅で新幹線の切符の買い方を教えてくれた。
お礼を言おうと口を開くと、喋ると男である事がバレるから気を付けるように忠告し、改札まで見送ってくれた。お姉さんと別れた後、伊吹はスマートフォンを確認するが、未だに何の連絡もない。新幹線へ乗り込んだとメッセージを送るべきか悩んだが、通知画面が襲撃者達に見られる可能性を考えて、無事である事だけを送るようにした。
新幹線に乗って初めて、肌着が汗でぐしゃぐしゃになっている事に気付く。一度興奮が冷めてしまうと、本当にこれは現実なのかと、映画を見ているかのような不思議な感覚に陥る。祖母の遺骨が帰って来てから、一晩寝ていない。自分を攫いに来た襲撃者から逃れるという非現実感な状況。今世ではほぼ山奥から出ず、新幹線など乗った事はおろか見た事もなかった。
(二人は俺の師匠だ。誰であろうと負ける訳がない)
まともな思考は出来ず、しかし興奮状態なので眠る事も出来ない。大丈夫、すぐに屋敷に帰っていつも通りの生活に戻れる。根拠のない安心感を覚え、ようやく自分が昨晩から何も食べていない事に気付く。
(そうだ、ついでだしラーメンでも食べに行こう)
何のついでなのか分からないが、
人は満腹になると気分が高揚したり、陶酔感や幸福感で痛みや疲労感、ストレスなどが和らぐ。気が緩み、独り言を零してしまったタイミングで、スライディング土下座女に出会った。
「男性様が一人で新幹線に乗って東京で観光するなんて、今日貴方とすれ違った女全員が想像もしなかったでしょうね。よくもまぁ無事だったもんだ」
自分が体験している最中は気が昂ぶり、冷静な判断が出来ない。その体験を人に聞かせる事で、自分の置かれた状況を客観的に捉える事が出来る。今さらながら、伊吹は屋敷に残して来た侍女達は無事なのかどうか心配になる。
「それで、美子さんと京香さんは無事なんでしょうか?」
「ええ。二人は今、新幹線でこちらへ向かっているそうです」
そう言われ、伊吹はスマートフォンを確認するが、充電がなくなり電源が切れてしまっていた。
「僕は一体何をやっていたんだろう……」
自分で自分が理解出来ない。自分を逃がしてくれた侍女の安否を気にもせず、ラーメン屋に入り、女性と喫茶店でお茶をして、
その前にやるべき事があるだろうに。
「……どうやら迎えが来たみたいだね」
藍子と
コンコンコンガチャッ
ノックの音と同時に開かれる玄関の扉。振り返った伊吹の目に入ったのは、紺色の侍女服に身を包む見慣れた幼馴染み達の姿。
「……みぃねぇ? きぃねぇ?」
ゆらりと立ち上がり、伊吹はフラフラとした足取りで二人に近付いて行く。そんな伊吹を二人は同時に抱き締める。
「バカ!」
「心配したんだから!」
「ごめん、僕、お祖母様が、それで、屋敷が、襲われて、美子さんと、京香さんが……」
込み上げる様々な感情を抑えきれない伊吹。二人は掛けた言葉とは裏腹に、伊吹の頭と背中を優しく撫でている。
「うっ、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
心の中で行き場のなかった、祖母を亡くした悲しみや置いて行かれた寂しさ、自分を襲う理不尽に対する怒りなどが止めどなく溢れ出て、声を上げて泣く事しか出来ない幼子のような伊吹を、美哉と橘香はこの世界から隠すかのように包み込んでいた。
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