伊吹の少年期

 咲弥さくやが亡くなった後も、伊吹いぶきの生活は変わらなかった。


 美哉みや橘香きっかは物心がついたかどうかの小さな頃から、武術を習っていた。美子よしこ京香きょうか曰く、優秀な侍女になる為には男の子を守る力をつけなければならないとの事。

 伊吹がメイドかお手伝いさんかと思っていた二人は、正式には侍女と呼ぶのが正解だったらしい。美哉と橘香は伊吹を守る為にと、屋敷の離れにある道場で鍛えられている。侍女なのに守るとは、と不思議に思う伊吹だったが、男が少ないこの世界ではそういうものなのだろうと思うようにした。

 当初、伊吹は稽古に連れて行ってもらえなかったが、咲弥の死をきっかけに伊吹も加わる事になった。


 美哉と橘香が学校へ行っている間は、美子と京香から勉強を教わる。

 多少の違いはあれど、小学校レベルであれば元の世界で習った内容とそう変わらない。文字の書き取りや計算など、飲み込みの早い伊吹に驚く二人。私の孫は天才ね、と喜ぶ心乃春このは


 美哉と橘香は学校から帰宅すると、おやつを食べながら学校に通わない伊吹に二人が今日はこんな出来事があった、友達とこんな話をした、何を習ったなどを教える。

 そしておやつを食べ終わると伊吹も交えて宿題をして、武術を習う。その後、二人の手でも出来る範囲で料理を手伝い、六人で夕食を摂る。


 夕食後は心乃春か美子か京香のうちの誰か一人が、子供三人をまとめてお風呂へ連れて行く。咲弥が元気だった頃は同じようにお風呂担当に加わっていた。赤ん坊の頃から当たり前のように一緒に入っているので、伊吹は恥ずかしいとも嫌だとも感じる事はない。


 入浴が終わればもう寝る時間だ。三人で伊吹の寝室へ向かう。キングサイズのベッドで伊吹が真ん中、両隣に美哉と橘香が寝転ぶ。これも最早当たり前の光景過ぎて、伊吹は早々に夢の世界へと旅立つ。

 そして翌朝早くから、道場にて武術の稽古を受ける。そんな毎日だ。


 女性が義務教育を受ける年齢になっても、伊吹は変わらず屋敷内で過ごした。勉強は同年代よりも高レベルで、美哉と橘香が習っているよりも先を進んでいる。

 伊吹の前世知識があるのはもちろんだが、侍女二人の教え方がとても上手で丁寧なのも理由の一つだ。


 伊吹の日常に小さな変化が起きた。美哉と橘香に第二次性徴が訪れたのだ。身体が女の子から女性へと変化していく。もちろん月経も始まった。

 どことなく避けられているな、と伊吹が感じる日が増えていった。美哉だけが伊吹の後に一人で入浴をする。橘香だけが別の寝室で寝る。食事も別室で済ます。

 元の世界の常識とは違うとはいえ、さすがに避けられ過ぎて寂しいなと感じる伊吹。そんな時に、たまたま心乃春このはが二人に対し、“けがれ”がどうのこうの言っているのを耳にした。

 一緒に生活している家族なのに、汚いも何もないだろうと伊吹は憤る。思春期で、異性に対して嫌悪感を覚えての自らの行動であれば伊吹も受け入れた。しかし、実際は心乃春が生理中の美哉と橘香に対して「うちの孫に近付くな」と言い付けていたのだ。

 そのやり取りを聞いてしまった日の夕食時、伊吹はまた一人別のテーブルへ座ろうとする美哉に声を掛け、いつもの席へ座るよう誘った。


「みぃねぇ、いつも通りこっちで食べよ」


「え? でも……」


「無理にとは言わないけど、離れて食べるの変だよ」


 美哉が心乃春の顔色を伺いながらオロオロしていると、心乃春が伊吹を諭すかのように話し始める。


「伊吹、美哉は今穢れを纏っているの。だから一緒にご飯を食べたら、伊吹に穢れが移ってしまうのよ」


 そう話す心乃春に対し、伊吹は汚いものでも見るかのような表情を浮かべてしまう。


(何を言っているんだこのばあさんは。田舎の古いしきたりじゃあるまいし)


 伊吹が住んでいるのは山奥の田舎で、穢れとは古いしきたりの中にある考えであり、心乃春は伊吹の血縁上の祖母(四十八歳)である。何も間違ってはないが、今まで伊吹からそんな表情で睨まれた事がなかった心乃春は大きな精神的ダメージに見舞われた。


「みぃねぇはお腹痛いだけでしょ? ほら、おいで?」


 伊吹は美哉を抱き寄せてお腹をさすってやる。心乃春も侍女二人も、伊吹のする事を止められず見守るしかない。


「みぃねぇが嫌じゃなかったら、夜もこうして温めてあげるからね」


「うん、ありがとう……」


「きぃねぇもだよ?」


「うん! いっちゃん大好き!!」


 その日から、生理中であっても食事するテーブルを分けたり、別室で離れて寝たりする事はなくなった。入浴については本人の希望に従い、生理中は別で入る事に決まった。

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