黒塗りのバン、護衛を二人添えて

 スライディング土下座をかました後、ゆっくりと身の上話を聞かせた上で再度頭を下げたものの、藍子あいこは自分のお願いがすんなり受け入れられるとは思っていない。

 交渉が必要だ。YourTunesユアチューンズから支払われる収益の配分の比率まで打ち明けたのだ。今まで通りのVividヴィヴィッドColorsカラーズの取り分が四割では話にならない、三割でも多いと感じるだろう。しかし2割では会社の発展が見込めない。落としどころは二十五パーセントか。

 脳内で交渉内容を詰めている藍子に向かって、伊吹いぶきが声を掛ける。


「とりあえず話にくいので頭を上げて下さい」


「……分かりました。話を続けても、よろしいでしょうか?」


「僕は前向きに検討したいと思っています」


「それでは、……!?」


「ただし、条件があります」


 やはり収益配分を突っ込まれるか、いやそれよりももっとどぎつい要求をされるか。

 ここまで自ら身の上話を長々としたが、よく考えると伊吹の話を全く聞いていない事に今さら気付く藍子。伊吹が僕という一人称を使ったのも先ほどが初めてだ。

 彼女の事を、私はあまりにも知らない。ようやく自分が再び猪突猛進していた事を反省する。


「条件とは、どのような?」


 藍子の問いにすぐには答えず、伊吹はカバンからスマートフォンを取り出して手早く操作した。目当てのアプリを立ち上げて、藍子へ画面を向ける。


「銀行の預金残高、ですか? いちじゅうひゃく……、七億!?」


 いくら親が金持ちであると言っても、藍子自身の個人口座がそんな残高になった事は一度もない。そして、そんな預金残高を見せつける意図も把握出来ず、藍子は戸惑ってしまう。


VividヴィヴィッドColorsカラーズの会社株式、全部とは言いません。四十九パーセントを購入させて下さい。何なら新規発行して頂いても構いません」


「はぁ? ……はぁ~~~!?」


 企業買収、事業買い取り、ハゲタカファンド、反社会的勢力のフロント企業化。様々な嫌な想像が脳内を巡るが、藍子は今のVividColorsにそこまでの客観的価値がない事を見落としている。


「ちょっと、アイスコーヒー二杯で粘るのは許しても大声上げるのは許してないんだけど」


 ツカツカツカとママさんが二人が座るテーブルへ歩いて来る。伊吹はスマートフォンを伏せてテーブルに置き、小さく頭を下げる。


「だってママさん!」


「声が大きいって言ってるでしょこのお転婆娘! お連れさんに気を遣わすんじゃないわよ」


 居心地悪そうにしている伊吹を見やり、ようやく少し冷静になる藍子。いくらママさんと血縁関係にある気安い間柄だと言っても、初対面の伊吹がそこまで察せる訳がない。


「込み入った話になるんなら自分の会社でしなさいな。近くに車を待たせてるから」


「車? うちの会社なら歩いて五分だよ?」


 はぁ……、とため息を吐き、ママさんは藍子の頭に軽く手刀をかます。批難の声を上げる藍子を無視して告げる。


「理由は後でよくよく考えるんだね」


 ママさんは伊吹へウインクを送る。苦笑いを浮かべる伊吹。


「バレてましたか」


「バレいでか、これでも旦那と何年も一緒に暮らした身だよ」


 さぁさぁと二人を促し、ママさんは喫茶店の裏口へと案内する。従業員が使うであろう勝手戸を守るかのように、両サイドに黒服サングラス姿のお姉さんが二人、待機していた。片耳にインカムまで仕込まれているのを見て、伊吹はSPみたいなものかなと思った。


「悪いようにはしないよ。だから、突っ走りがちなうちの姪の事もよろしく頼むよ」


「分かりました、コーヒーご馳走様でした」


 何やら話が通じ合っている様子のママさんと伊吹を見て、何ナニどういう事何が起こっているのと騒々しい藍子。そんな藍子の腕を取って歩き出す黒服のお姉さんその一。


「何するんですか!? って、小杉さん。あれ? そちらは栗田さん。何でこんなところに?」


「ささっ、お嬢様。車までご案内致します。ご希望であれば昔のようにお姫様抱っこでお連れしますが?」


「ちょちょちょちょっと! 歩く、歩きますから!!」


 周囲の状況を確認しながら歩き出す栗田にエスコートされ、伊吹も喫茶店を後にする。ちらりと振り返ると、まだママさんは裏口に立っており、こちらを見送っているのが見えた。


 路地を出てすぐ、ハザードランプを点滅させている黒塗りのバンのスライドドアが自動で開かれる。立ち止まらずに乗り込む四人。


「追跡者見られず、車を出して」


 物々しい雰囲気を醸し出す車内ではあるが、藍子はバンの運転手も昔馴染みである若村だった事で緊張感のカケラもなくお姉さん達に話し掛けている。

 対して伊吹の表情は固く、何やら思い込んでいるように見て取れる。小杉は自分達が与えているであろう威圧感を少しでも和らげるべく話し掛ける。


「ご安心下さい、必ず無事にお嬢様のオフィスへお連れ致しますので」


「ん? あぁ、別に不安に思っている訳じゃないですよ。ただ、今の藍子さんと同じくらい楽観的に考え過ぎていたかなと反省していたんです」


 男が一人、街をうろつく。この世界の現代では考えられない事。何が起こってもおかしくない。危機感がなさ過ぎる。ママさんから言外に注意を受けた事を理解した伊吹は、世話を焼いてくれたママさんや駆けつけてくれた黒服のお姉さん達に対して申し訳ない気持ちを抱えていた。

 そんな伊吹に対して、小杉は肯定する事も否定する事も出来ずにいると、ちょうど目的地である藍子のオフィスが入っているビルの前へと到着した。

 すでにビルの周りは私服姿で巡回警備しているお姉さん達で固められていると教えられる。

 これは大ごとになってしまったな、とさらに肝を冷やす伊吹。バンのスライドドアが開けられ、車から降りると立ち止まらないよう指示されそのままビルへと入る。それほど大きなビルではなく、エレベーターの階数表示は一階から六階まで。

 一階はエントランスと管理人室のみ。エレベーター前で待機していた警備員の恰好をしたお姉さん(藍子曰く佐井さいさん)がボタンを押して、エレベーターの扉が開く。

 藍子が六階のボタンを押して、ゆっくりと扉が閉まりエレベーターが上へと動き出した。


「何か宮坂みやさか警備保障の最大防衛力って感じね。自分が宮坂家当主になった気分だよ。でも何でこんなに仰々しい感じになってるの?」


 現在の宮坂家当主は藍子の実の父親であり、ママさんの旦那さんでもある。つまり、藍子は無意識に現在の状況を正確に把握していた事となる。

 護衛として控えている二人は無表情で無反応を貫いている。伊吹はここで打ち明けておくか、と藍子へ向き直る。


「藍子さん、手をお借りしても?」


 藍子はどうぞ、と右手を差し出す。伊吹は左手でタートルネックをずり下げ、藍子の右手を自らの喉仏を触れさせる。


「喫茶店のママさんには見抜かれてしまいましたが、藍子さんもこれでお分かり頂けるでしょうか?」


 伊吹が喋る度に突き出した喉仏が振動しながら上下に動く。喉元に手のひら全体で触れていた藍子の手がビクリと跳ね、胸元へと引っ込められる。

 タイミング悪くエレベーターは六階へ到着し、扉がゆっくりと開いた。


「お、お、おっ、おふごっ!!!?」


 藍子の上げようとした絶叫は、そうなると予測していた小杉の手によって押し潰されたのだった。

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