伊吹の誤算

 絶叫を手で塞がれた藍子あいこは、立ち眩みと極度の混乱から腰を抜かしてしまった。床へ倒れ込む前に小杉が藍子を支え、そのままお姫様抱っこでオフィスへと運ばれた。

 そして現在、我に返った藍子は自分が今まで男性に対してしでかした失礼の数々を振り返り、再び伊吹いぶきの座るソファーの前で土下座をかましている最中である。


「ままままっ、誠に申し訳ございませんでしたっ!!」


「え、どういう状況?」


 オフィス内にいたVividヴィヴィッドColorsカラーズの関係者、藍子の妹でもある宮坂みやさか燈子とうこが三人分のお茶を応接用テーブルへ配膳し、伊吹の向かい側のソファーへと座った。

 伊吹の座るソファーの後ろ側には、直立不動の小杉と栗田 from 宮坂警備保障が控えている。

 伊吹は藍子にしたように、燈子にも喉仏を触らせようかと悪戯心が顔を覗かせるが、女性二人に同時に土下座させるのはさすがにやり過ぎかと自粛する。


「えっと、まず藍子さん。話しにくいので座ってもらえませんか? 僕は何も失礼だとか、気分を害したとか思ってませんので」


「え、男の人!?」


 声を聞き、一瞬で伊吹の正体に気付く燈子。後ろに凄腕の護衛が二人も控えている状況だからであり、決して藍子が察しが悪いとかポンコツであるとかではない。


「お二人とも宮坂さんなので、燈子さんと呼ばせてもらっても?」


「は、はいっ」


 燈子が立ち上がりそうになるのを手で制し、改めて藍子に座るよう頼む伊吹。藍子は燈子の手を借りてソファーへと座り、ようやく伊吹が藍子と出会い、ここに訪れるまでの経緯を燈子が知る事となった。



「何でお兄さんはこんな潰れ掛けの会社の株が欲しいんですか?」


 自分の方が歳下です、と言い出せない雰囲気なので、伊吹はお兄さん発言を放置する事に決めた。

 燈子は現役の美大生であり、藍子がアバターのイラストを発注した人物でもあった。もうすぐ支払い期日なのにお金が用意出来ていない藍子を心配し、オフィスで待っていたのである。


「将来性を感じたからです。藍子さんが仰る通り、Vtunerブイチューナーには無限の可能性を感じます。それに、藍子さんを裏切った元所属YourTunerユアチューナーを見返す手伝いがしたいんです」


「でも、それって株を買わなくても出来ますよね?」


「僕がVividColorsの株を買わなければ、明後日に支払う為の資金が用意出来ないんじゃないですか?」


「いや、だからそれって貴方としての直接的な理由にはなりませんよ。資金だってあーちゃん……、失礼しました。姉名義の口座はすっからかんに近いですが、私名義の口座と不動産が……」


「ちょっと、とこちゃん」


 燈子の服の袖をくいくいっと引っ張る藍子。相手は男性であり、もっと慎み深く丁寧に対応すべきではという思いから、燈子を何とか諌めようとしている。

 藍子が自分に対して必要以上に気を回そうとしているのを感じ、伊吹はもっと踏み込んで話すべきだと判断した。


「……僕が株を買いたい理由を、正直に話せばいいんですね?」


「お願いします」


 真剣な表情で見つめ合う燈子と伊吹。その二人を不安そうに見守る藍子。

 伊吹は出されたお茶をぐいっと飲み込み、口を開く。


「まず、僕はVtunerブイチューナーがいずれ必ず世間に広く受け入れられると確信しています」


 思わず両手を掲げて立ち上がりそうになった藍子の肩を掴み、燈子が無理矢理座らせる。耳元で黙っててと囁き、釘を刺すのも忘れない。


「VividColorsはとてつもない規模の企業へと成長するでしょう。元一期生が立ち上げたゆめきかくなんて一瞬で抜き去る。意識などする必要はありません。圧倒的な差を見せつけてやれば、そのうち塵の如く崩れ去るでしょう」


 バタバタと藍子が身体を捻るが、燈子に圧を掛けられたので必死に歯を食いしばって声が出てしまうのを我慢している。

 その際、伊吹の視線が無意識的に藍子の乱れたスカートの中へ吸い込まれる。


(黒、かな?)


「それって貴方の想像ですよね?」


 コホン、と咳払いを一つ。


「今はそう取られても仕方ないと思います。Vtunerの可能性については、事業に協力されている燈子さんなら一定以上の同意をして下さると思います」


 燈子が頷いて見せたのを確認し、伊吹は何故自分がそこまでVividColorsの成長を信じて疑わないかの一番の大きな理由を説明する。


「僕の事を女性だと思い込まれた藍子さんは仰りました。男性キャラのアバターに男性の声に聞こえる声を乗せれば、人気が出るだろうと」


 高速でコクコクと頷く藍子。そして藍子の額に手刀を食らわせる燈子。


「では、本物の男性である僕が男性のアバターで視聴者とコミュニケーションが取れるライブ配信をしたとして、お二人ならどんなコメントをします?」


「……恐れ多くてコメントなんて出来ません」

「右に同じ」


(あっれーーー???)


「え、今まで普通に会話してたし質問もどかどかしてましたよね?」


「それはその、姉の会社存続の危機だったし、目的が分からないまま株を寄越せなんて言われたら必死にもなりますよ」


 燈子が言いたいのは、直接面と向かって真剣に話をしている今と、配信画面に映るイラストに向けて話し掛けるのとでは全然違うという事だった。

 藍子と燈子の返答は、伊吹が予想していたものとはかけ離れたもの。伊吹としては、砂糖に群がるアリの如く自分を求められるものだと思い込んでいたのだ。


「滅多にお目に掛かれない男と話せるですよ? 男が普段何を考えているとか、どんなものに興味があるのかとか、どんな女性が好きかとか、どんなパンツを履いているかとか気になりませんか?」


 二人揃って首を傾げている。自信満々で話していたのに、急ブレーキを掛けられてしまい不安に駆られ始める伊吹。後ろを振り返り、護衛のお姉さん達にも声を掛ける。


「お二人は生配信とかってご興味ありますか?」


 お姉さん達はお互いに顔を見合わせ、小杉が口を開いた。


「好んで見る訳ではありませんが、そういうのを楽しむ層が一定数存在する事は知っております」


「僕とネット越しにお話が出来るとして、何か質問してみたい内容とかって思い浮かびます?」


 ヴァーチャルライバーはキャラに成り切るタイプの配信者が多く、あまり私生活を曝け出したりしない場合が多い。であればこそ、なおさら視聴者はあれやこれやと配信者へ質問を投げ掛け答えを求める傾向にある、と伊吹は思っていたのだが。


「申し訳ないですが、お嬢様方が仰った通り、私から男性へと質問をするなど想像出来ません。今は質問された内容に対して答えているのであって、会話を楽しめる余裕はないです」


 伊吹の誤算。滅多に遭遇しない男性という存在に対し、何を質問すれば良いかなど分からないのだ。国内人口の男女比率は男一人に対して女性は三万人。生涯で一度も生の男性を見る機会がない女性の方が圧倒的に多いのだ。


(自分の生活において、男性という存在に馴染みがなさ過ぎて、どうコミュニケーションを取れば良いか分からない。

 と、言う事は。実際に質問している動画を公開し、親しみが持てるよう馴染ませて行けばいいのでは)


「あー、僕が想定していた反応ではありませんでしたが、ちょっとした実験をしてみてもいいですか?

 小学生でも答えられるような簡単な質問を思い付くだけ僕に投げ掛けて下さい。出来るだけ簡潔に答えて行きますので、そのやり取りをスマホのカメラでいいので撮影してみて下さい」 

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