人間の幼馴染

「アルフェリア! エイル!」 


 ぎゅうううううううううっ!

 ヴィクトリアは駆け寄ると、倒れ込むようにして大好きな二人を抱きしめた。


「あいだたたたっ!!」

「ヴィクトリア! 首! 首がしまる!!!」


 リラ・ノアールでの勤務から1週間が過ぎた頃。

 ヴィクトリアはカーライルに許され、一度アルフェリアたちが住む村に戻っていた。

 再会の喜びのあまりヴィクトリアが二人を抱きしめれば、二人は痛みのあまり悲鳴を上げた。


「いい加減にしなさい! さっきから、痛いって言ってるでしょ!」


 ドゴッ!!

 そして耐えられなくなったアルフェリアは、ヴィクトリアの頭に拳骨を叩き込んだ。


「ごめん。嬉しくてつい……」

 頭を押さえつつ謝る。


「ついで殺さないで」

「そんなつもりはなかったんだけど……手加減してたし……」

「ふうん。手加減ねぇ?」

「ごめんなさい……」


 頭は少し痛むけれど、軽口を言い合える環境が心地良い。

 アルフェリアを前にして、ヴィクトリアは久しぶりに、『本当の自分』に戻れたような気がした。

 素直に謝る幼馴染を見て、エイルとアルフェリアは顔を見合わせてふき出した。


「……全く、昔から力だけは強いんだから。いいわ。許してあげる。それよりヴィクトリア。。貴方、お城で高いお皿なんか割ってはいない? 大丈夫?」

「初日から危険って判断されて、薪割りとかが基本だから大丈夫だよ」

「それを自信満々で言うのもどうかと思うけど……」

 ヴィクトリアの言葉に、エイルは苦笑いした。


「でも、一ヶ月はお城で働くって言ってたのに、帰ってきて良かったの? なにかしでかしてない?」

「魔王城の食器ともなれば年代物だろうし……」

「二人とも思える心配性だなあ。大丈夫だよ。そこまでヘマはしてないってば」

「貴方は不器用だし無駄に力が強いし、朝には弱い。手のかかる妹みたいなものなんだから、心配になるのは仕方ないでしょ」


 アルフェリアは、さらっと厳しいことを言った。

 しかしその言葉に、ヴィクトリアはふにゃりと笑った。


「えへへへ」


(妹。妹かあ)


 そう思ってもらえていたなんて嬉しい。

 ヴィクトリアは気の抜けた笑い方をして――……ハッと我に返った。

 背後から視線を感じ、ヴィクトリアはぎぎぎきと錆びついた機械のように振り返った。


「み……っ。見ないでください……!」

「……そういう顔もなさるんですね」


 崩れた顔を隠すヴィクトリアを見て、ルーファスは天使の微笑みを浮かべていた。


 ヴィクトリアは心の中で転げ回った。穴があったら入りたい!

 アルフェリアやエイルには、甘えたいだけ甘えてきたヴィクトリアだったが、二人の前での自分が『ヴィンセント』とは程遠いことは理解していた。

 『ヴィンセント・グレイス』は、孤高という言葉が似合う、そんな存在だった。

 そんな過去の自分を慕ってくれているルーファスの前で、こんな姿を見せるなんて……!


「し……失望しましたか?」

「いいえ? もっと好きになりました」


 小声で尋ねると、ルーファスは満面の笑みで答えた。その笑顔が眩しくて、ヴィクトリアは目を細めた。


「お元気が無いようでしたので安心いたしました。今日はセレネでのことは忘れて、ごゆるりとお過ごしください」

「は……はい」


 ルーファスに気遣いの言葉を告げられて、ヴィクトリアは戸惑いが隠せなかった。

 セレネで過ごすと、どうしても昔のことを思い出してしまう――そのせいであまり眠れなかったことが、どうやら周囲にはバレていたらしい。


「何か気になることでも? もしかして、私が何か不躾を?」

「いっいえ!」

 ヴィクトリアは全力で首を振った。


「そんなこと、ありえません。ルーファス様には良くしていただいています。他の方々にだって……。でも、それにしても、カーライル様がよく許可してくださいましたよね」


 ヴィクトリアはカーライルに良くしてもらっているとは言えず、ポツリそう漏らした。


「今回の許可については、一度村にお帰りになる許可を出すべきだと、レイモンドがカーライル様に進言したようです」


「……え?」


 ヴィクトリアは、思わず驚きの声を漏らしていた。


(どうして私のためにレイモンドが……?)


 ヴィクトリアにはレイモンドがわからなかった。

 ヴィクトリアとして生まれ変わって、レイモンドには剣の勝負を挑まれたり、体に傷を負わせたりされたのに、その彼が、まさか自分の体調を気遣ってくれていたなんて――そんなこと、誰が想像できるだろうか?


「カーライル様はレイモンドには一目を置かれていますから、それを受け入れられたようです」

「……そうなんですね」


 ヴィクトリアはルーファスの言葉に、そう返すことしか出来なかった。



「ね、魔族ってやっぱり美形が多いの?」

「……アルフェリア」


 ヴィクトリアは、幼馴染の言葉に思わず脱力した。


(私の幼馴染は魔素中毒になってもまだ玉の輿諦めてないの!?)


 彼女を庇ったがために、自分はカーライルに捕獲されてしまったというのに……。

 ヴィクトリアがエイルに視線を向けると、エイルは静かに首を振った。

 そしてアルフェリアは、いつもの調子でルーファスに尋ねた。


「ルーファス様は、どなたが一番魔族ではお綺麗だと思われますか?」

「……それは勿論陛……」

「カーライル様、ですよね!」


 ルーファスは、『人間の味方であり、魔王ヴィンセント・グレイスの敵』でなくてはならないのに、人間であるアルフェリアの前でそれを言うのはまずい。

 ヴィクトリアは、ルーファスの言葉に言葉を重ねた。


「確かに……カーライル様はとてもお綺麗ですね。雪女の一族の血を引いているということで、肌は真っ白で品があるようなお顔立ちですし」

「ですよね!」


 ヴィクトリアは、あはははと感情のこもらない声をあげて笑った。

 カーライルは、中身はともかく顔だけはいい。中身はともかく――。


「じゃあズバリ、お尋ねしたいんですが」

「はい」

「ルーファス様とカーライル様って、ヴィクトリアのことどう思っているんですか?」

「あ……アルフェリア!?」


(――なんてことをルーファスに聞くの!?)

 ヴィクトリアは、思わず声を裏返らせた。


「大好きですよ」

 ルーファスは、天使の笑みを浮かべて愛の言葉を口にした。


「それって、一目惚れってことですか?」

「どうでしょう」

 ルーファスはくすっとアルフェリアに笑って答えると、それからヴィクトリアの方を見嬉しそうににこりと笑った。

 

(な、なんなのこの甘い雰囲気は……っ!?)


「…………っ」

 自分のことを話されると落ち着かない。

 ヴィクトリアは、ルーファスの視線から逃れるように下を向いて拳を握った。


 ヴィクトリアは、ルーファスと初めて会った日のことを覚えている。

 レイモンドの『幼馴染候補』として招かれた子どもの一人だった彼は、礼儀正しくヴィンセントの前に頭を下げた。


 だから、『一目惚れ』ではないだろう、とヴィクトリアは思う。


 だいたい男装して男として過ごしていたときに一目惚れされたと言われては複雑な気分だ。

 ヴィンセントとして生きていた頃、魔王としての立場もあってか、男女問わず自分と繋がりを求めてくる者はいたが、ルーファスはまだ子どもだったし、自分を好きだったなんてあり得ないはずだとヴィクトリアは頷いた。


「カーライル様も同じってことですか?」

「カーライル様のお気持ちは私にはわかりかねますが……」


 ルーファスは苦笑いする。

 ヴィクトリアは眉間にシワを作った。

 カーライルには、再会してからというもの嫌がらせしかされていないような気がする。


「この500年、ずっと笑われなかったあの方が、最近は楽しそうにされているのを見ることができるようになりました」


(え?)

 ヴィクトリアは、その言葉を聞いて目を丸くした。

(楽しそう……? あのカーライルが……?)


「だからカーライル様は……。心の底から、愛していらっしゃるのだと思います」


 ルーファスの言葉に、アルフェリアが黄色い声を上げた。

 エイルがアルフェリアに声を下げるようたしなめる。

 ヴィクトリアはルーファスの言葉に驚いたが、その言葉を口にしたルーファスの表情が、少しだけ暗いことにも驚いた。


「ルーファス様。少しよろしいでしょうか」

「はい。なんでしょう?」


 アルフェリアがエイルと話している間、ヴィクトリアはルーファスを人の少なさそうなところに呼んだ。


「村にいる間だけ、呼び方を変えていただきたいんです。ここで陛下と呼ばれたら困ってしまいます」

「……」

「ルーファス様がどう思われていたとしても、ここではヴィンセントの名をだすことはまずいんです」


 ヴィクトリアはそう言うと、自分を指差した。


「ヴィクトリア。ここにいる間は、ヴィクトリアとお呼びください」

「しかし、陛」

「ヴィクトリア」

 ヴィクトリアは、「無理です」と言いたげなルーファスを前に自分の名前を繰り返した。

「ヴィ……」

 ルーファスの声は、とても小さい。


「…………ヴィクトリア……様」


 ルーファスは顔を真っ赤にして、少し目を潤ませて、震える声で名前を口にした。

 ヴィクトリアは、そんなルーファスを見て苦笑いして、彼の手を握って言った。


「赤くならないでください。それに、様はいりません」

「む、無理です。そんな、だって私には、陛下をお名前で呼ぶ許可なんて……っ!」


(そういえば、ルーファスは昔から礼儀正しかったから、呼び捨てされた記憶はないかもしれない)

 

 ウィンセントとして生きていた頃から、ルーファスは自分のことを、基本陛下としか呼んでいなかった。

 そのことに気づいたヴィクトリアは、少しだけいたずら心を出して、彼の目を見て自分の名前を繰り返した。


「ヴィクトリア」

 ルーファスは目を瞬かせる。

 ヴィクトリアはそんな彼を見て、もう一度名前を繰り返した。


「ヴィク……トリ……」

「様はつけては駄目です」

「ヴィ……ヴィクトリア……さん」

「――はい」


 漸く村で使えそうな呼び方をしたルーファスに、ヴィクトリアはニッコリと微笑んだ。

 すると、ルーファスが顔を手で覆い、溜め息を吐いて座り込んだ。


「……陛下は、ひどい方です」

「……あはは……そうですね。自覚はあります」


(そうだ。私は、ずっと貴方やレイモンドに、ひどいことをさせてきた)


 ヴィクトリアが、少しだけ寂しそうに笑えば、ルーファスは嘆息した。


「……私の言いたいことを何もわかっていらっしゃらないところが、一番ひどい」

 ルーファスはヴィクトリアから顔を背けた。


「言いたいこと?」


 それってなんだろう?

 ヴィクトリアは、しゃがんでから顔を隠すルーファスに視線を合わせた。


「ルーファス様? もう大丈夫ですか?」

「――……ヴィクトリア」

 すると、ルーファスはヴィクトリアの腕を掴んで自分の方に引き寄せ、甘い声でその名を呼んだ。


「お慕いしております」

 ルーファスはそう言うと、ヴィクトリアの手の甲に口づけを落とした。


「な……っ!」


 不意をつかれたヴィクトリアは、彼の言葉に真っ赤に顔を染めた。

 立ち上がって顔を隠したいけれど、手を握られているためにそれも出来ない。


「な、なんなんですか。突然……!」

「陛下が私に意地悪なさるからです」

 ルーファスは、いたずらが成功した子供のような顔をしていた。


「……ここでは陛下と呼ばないでください」

 ヴィクトリアはルーファスから視線をそらした。

 なぜだろう。今はなんだかルーファスの顔がまっすぐ見れない。


「ヴィクトリア、ちょっと来て!!」 

「あっ。うん」


 その時アルフェリアに呼ばれて、ヴィクトリアはなんとかルーファスから逃れて駆け出した。

 自分から逃げるように走るヴィクトリアの後ろ姿を見つめて、ルーファスは低い声で呟いた。


「全く、なんてことをお命じになるのか…………。お名前でお呼びするなんて……それだけで、箍が外れてしまいそうになる」


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