押しかけ狼はご遠慮します

「ヴィクトリア、顔が赤いけどどうしたの?」

「な、なんでもないよ……」


 エイルに尋ねられ、ヴィクトリアは思わず手で顔を隠した。


(まずい。顔が熱い――。子どもだと思っていた彼が、あんなで私を見るなんて。……いや流石に、五〇〇年は人を変えるに十分な年月だろうか?)

 

「それはそうと、なんでこんなに賑わってるの?」


 ヴィクトリアは、明らかに普段とは異なる村の様子を見て幼馴染に尋ねた。


「もともとルーファス様とレイモンド様がいらっしゃるってことで、おもてなしのために用意してたのよ」

「『おもてなし』?」

「そう。ルーファス様はデュアルソレイユでは貴賓扱いだから、今回のことを報告したらまた国の補助がでたって」

「なるほど……」


 人間に友好的な上位魔族には媚を売っておこうということか。


 ヴィクトリアは一人森に住んでいて把握出来ていなかったが、人間の村が魔族の訪れを歓迎して賑わいを見せるなんて、五〇〇年前には考えられなかったことだ。


「にぎやかで良いですね」

「いつもはもっと静かなんですけど……」

「そうなのですか?」


 ルーファスはきょとんとした顔をした。

 飼い主のそばにぴったりと寄り添う忠犬のように、ルーファスがヴィクトリアの隣に立っていると、エイルがヴィクトリアの肩を叩いた。


「ヴィクトリア。お願いがあるんだけど、少しの間ルーファス様と時間を潰していてくれないかな?」

「時間稼ぎしろってこと?」

「そういう言い方はしない」


 アルフェリアは、ぷにっとヴィクトリアの頬を軽く抓った。


「昼食は、悪いんだけどこれを食べておいて」


 エイルはヴィクトリアにパンと牛乳の入った籠を差し出した。


「エイルが焼いたの?」

「うん。ヴィクトリアが帰ってくるって聞いたからね」

「嬉しい! ありがとう! 私、エイルの焼いてくれるパン大好き」


 セレネにいたせいで食べられなかった大好物を前に、ヴィクトリアは満面の笑みを浮かべて籠をルーファスに差し出した。


「ルーファス様! エイルのパンです。食べてみて下さい!」

 ルーファスは、差し出されるがままに一つ手にとって、パクリと口に含んだ。


「……美味しいですね」

「ルーファス様には別のをご用意してたのに……」

 エイルは、突然のヴィクトリアの行動に頭を押さえた。


「エイルのパンは美味しいから大丈夫だよ!」

 そんなエイルを前に、ヴィクトリアは自慢げに言った。


「パンを焼くのが唯一の特技だものね」

「アルフェリア。僕が他に何もできないみたいな紹介やめてくれる?」

「でも唯一の特技っていうのは間違いではないでしょ?」

「そりゃあ、間違ってはないけど……」

 エイルは溜め息を吐いた。


「お二人は仲がいいんですね」

 二人のやり取りを見て、ルーファスがふっと笑う。


「村の同世代は、僕たち三人だけだったので。……僕たちが生まれたときは、戦争がありましたから」

 人間同士の争いで、沢山の人が亡くなった。結果として、まだこの国の人口は戻っていない。


「魔族と争わなくても、人間同士で争っていては世話ないですよね。あの、魔族にも戦争ってあるのでしょうか?」

「この五〇〇年はありませんね。カーライル様は優秀な方ですから」

「……」


 恐怖政治とも言う。

 蜘蛛の糸にかかってしまえば、反旗を翻す前に殺される。

 ヴィクトリアはそう思ったが口を噤むことにした。

 カーライルは、今の魔族は人間の味方なのだ。その存在が恐怖を抱くべき存在だと、二人に認識させる必要はない。


 ヴィクトリアはエイルを連れて森に向かうとこにした。

 鳥の鳴き声が響く場所には、穏やかな時間が流れている。

 苔の生えた石を滑らないように気をつけて進むと、ヴィクトリアがルーファスたちと出会った、少し開けた水場が見えた。

 ヴィクトリアは、そっと水に自分の手を浸すと、ルーファスを手招きした。


「冷たくて気持ちがいいですよ」

 ルーファスも彼女に倣い、手を浸す。


「はい。陛下」

 二人きりになって、ルーファスの言葉はもとに戻っていた。ヴィクトリアは、それに気づいて一瞬目を細めた。


「陛下がおっしゃるように、本当に気持ちがいい」

 ルーファスは今も昔も同じように、ヴィクトリアの全てを肯定する。


「ここは――本当に、静かなところですね」


 ルーファスは、そう言うと空を仰いだ。

 木々に覆われ、空の光は葉と葉の間から溢れている。

 デュアルソレイユという名の通り、二つの太陽を持つ人間の住む世界の気温は、セレネと比べて少し暑い。一部の地域ではその暑さのあまりに人が住むことが出来ず、食物も育たない。


 また太陽がなく、人工的な光で世界を照らしている魔界セレナでは、デュアルソレイユの多くの食物は育たない。

 つまり太陽の有無が、二つの世界の植生には大きく関わっているのだ。

 セレネで生きてきたヴィクトリアにとって、デュアルソレイユの森の涼しさというものは、心地のいいものだった。

 上手くは言えない。呼吸がしやすい――なんて思う。

 でもだからといって、人の世界を、デュアルソレイユを侵略したいとは、ヴィクトリアは思えなかった。

 ルーファスの言葉に、ヴィクトリアは曖昧に微笑んだ。


「私がこの世界で、一番好きな場所です」


 森を訪れる村人はあまりいない。

 世界でただ一人のように感じられるその場所では、誰かの視線に怯える必要もない。世界はただ目前にあるだけだ。そこには誰の評価介在しない。


「陛下は一人がお好きなのですか?」

 ルーファスの問いに、ヴィクトリアは苦笑いした。

「それでは、何故――……」


「ヴィクトリア!」


 しかしルーファスの問いは、ヴィクトリアが答える前にエイルの声によって遮られた。


「エイル?」

 ヴィクトリアは首を傾げた。


「準備ができたから呼びに来たんだ」

 エイルは、ヴィクトリアの手をとった。

「……わかった」

 エイルに微笑まれ、ヴィクトリアはつられたように笑みを浮かべた。

 ルーファスはその笑顔を見て、二人に見えないように一人拳を握りしめた。


「……ルーファス様もよろしいでしょうか?」

「はい。勿論」

 従順な狼は、主人の言葉に首肯した。



「なんだかすごいね」

「だよね」


 簡素ではあるものの、音楽隊まで来ているのには驚きだった。

 今祭りということもあって、日は違う街からも人が集まってきていた。

 早く迎えが来たのは、彼らが手伝いを申し出てくれたためらしい。


「僕の家は特製パンを作ることになってるからもう行くよ。ヴィクトリアは、ルーファス様と楽しんで。それと、女の子は特別に服も貸し出してもらえるみたいだから、ヴィクトリアも借りるといいよ」

「えっ? ちょっとエイル!?」


 ヴィクトリアはエイルに手を伸ばしたが、その手をルーファスに掴まれた。


「あちらに服が用意されているようです。是非お着替えください」


 動きやすいヴィクトリアの普段着は、ルーファスのお気に召さなかったらしい。ヴィクトリアは顔を強張らせた。


 ルーファスの趣味は謎だ。 

 ヴィクトリアは、改めてそう思った。

 ルーファスがヴィクトリアにと勧めてきた服は、どれもフリルたっぷり、リボンや花などがついたもので、まるで貴族の令嬢の服のようだった。


「どの服もお似合いです。世界一可愛らしい。今の陛下を見た者は、きっと女神が降臨したと思うに違いありません」

「な、何を仰っているんですか……?」


 結局ルーファスが選んだのは、彼の瞳の色と同じ、青色のドレスだった。

 ルーファスは、青い造花の髪飾りをヴィクトリアの髪に飾ると、淑女に対する紳士のように、ヴィクトリアに手を差し出した。

 ヴィクトリアが広場に出ると、みなの注目は全て彼女に向けられた。


「貴方が一番美しい」

 ルーファスは、ヴィクトリアの耳元で囁いた。


「それはルーファス様となりにいるからで……」

「いいえ。貴方がここで誰よりも、お美しいからですよ」

「……っ!」


 ヴィクトリアは息を飲んだ。

 

 (一体どこで、ルーファスはこんな言葉を覚えてきたんだろう……?)


「私と踊っていただけませんか?」

 思わず顔をそらしたヴィクトリアに、ルーファスは頭を下げた。

「――はい」


 音楽は緩やかに奏でられる。

 ヴィクトリアは、ルーファスに導かれるままに体を揺らした。

 

 カーライルの時は断ってしまったが、ここはリラ・ノアールではないし、ちゃんとしたダンスを知っているものはほとんどいない。

 ヴィクトリアが多少間違えても、ルーファスの顔に泥を塗るようなことにはならない。


 ヴィクトリアは、ルーファスの大きな手や硬い体に触れながら、昔を思って目を細めた。

 子供だと思っていた彼に触れるたびに、時間の経過を感じる。

 可愛いだけだと思っていた相手が、もう違う存在になったように感じて、ただその中でも、彼が垣間見せてくれる昔のように自分を見つめる瞳の色に気づくたびに、ヴィクトリアは胸が締め付けられるような思いがした。


 ――どきどき、する。

 そして、昔は子どもだと思っていた子に、そんなふうに動揺する自分を恥じる。


「夢のよう、です」

「え?」


 音楽と人の笑い声に紛れて、ルーファスの声はうまく聞こえない。

 ヴィクトリアが首を傾げれば、ルーファスはヴィクトリアの体を引き寄せた。


「今貴方とこうしていられることが、私にとっては、まるで夢のようです」

 その声は、砂糖菓子のように甘い。


「目を閉じてしまったら、全部夢だったと、そう言われてもおかしくないと思えるくらいに。……たとえ貴方が、セレネで過ごすことが辛いと言われても。貴方のそばにいられることに、幸福を感じてしまう私をお許しください」


 その声は、祈りのようにも思える小さな声で。賑やかな夜の雑踏の中にかききえた。


 

 祭りを終えた二人は、ヴィクトリアの森にある家を訪れていた。

 城に持って帰る荷物をまとめる間、ルーファスは静かに部屋の隅で待っていた。

 エイルからはパン、アルフェリアからはリボン。幼馴染からもらったものをヴィクトリアが眺めていると、ルーファスが彼女に声をかけた。


「良い方々ですね。陛下が望まれているものをわかっていらっしゃる。……流石、陛下の幼馴染の方々です」

「……」

「帰りましょう」

 ルーファスはそう言うと扉を開けた。


「少しの間だけ、とどまるだけです」

 夜の外気が少し寒い。ヴィクトリアは、ルーファスの背を前に立ち止まった。


「私は、貴方の陛下にはなれません。魔王として、リラ・ノアールに住むことは出来ない」

「……」

「この村を守っているのは私で、私がいなくなったら、みんなも困ると思うし」


 村に久しぶりに帰ってきて、ヴィクトリアは改めて思っていた。ここが、今のじぶんのあるべき場所なのだと。

 ヴィクトリアは自分の体を抱きしめた。

 これが正解だと言い聞かせる。彼かどんなに自分を慕っていると言ってくれたとしても、それを受け入れることはできない。


 (魔王じゃないただの私を必要としてくれる人たちのそばで、私は生きていたい)

 

「それが貴方の願いなら、私はそれに従います」

 ルーファスは、静かにヴィクトリアの方を振り返った。


「ただ……たまに、会いにきてもいいですか?」

「え?」

「魔王としてあの城に住むことができない。そう仰るのなら、私から会いに来るのには問題はありませんよね?」

「それは……」

「やはり、駄目でしょうか?」


 懇願するかのように床に膝を付き、ルーファスはヴィクトリアの手を握る。

 見えない耳としっぽが見える。ヴィクトリアはやはり、ルーファスの顔に弱かった。


「わかりました。それならば……」

「ありがとうございます。陛下!!」

「きゃ…っ!」


 ルーファスは立ち上がり、ぎゅっとまたヴィクトリアを抱きしめた。


「ああでも、陛下かいいとおっしゃってくださるなら、犬と思って陛下の家においてくださってもよいのですが……」

「それはちょっと……」


 押しかけ女房ならぬ押しかけワンコ(狼)はご遠慮したい。


「流石にルーファス様と一緒に住むのは、結婚もしてないのに駄目だとエイルに怒られてしまいそうなので」

「……何故そこでエイルさんの名前を?」

 すると一瞬だけ、ルーファスのまとう空気が固くなった。


「……? エイルは私の兄のような人なので」

「そうでしたか。ならよかった」


 ルーファスはニコリと笑う。ヴィクトリアは首を傾げた。


(よかった? よかったって、どういうことだろう……?)

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