前編 その3

 赤いいちごの最後の一つを、空音はつまんでケーキの上にそおっと乗せた。

「できた!」

 空音がこちらを見て、控えめピースを向けてきた。

 市販商品でかためたホールケーキが完成し、存在感をもってこたつテーブルの上に鎮座している。

「おにい! 写真撮って!」

「任せろ」

「なんであたしを撮ろうとするの⁉ ケーキを撮るの!」

 スマホのレンズを空音に向けたら普通ににらまれた。

 反応をわかっていながらしたことだけれども、迷いなく怒られるのも兄心としては複雑だ。

「ケーキ撮ったら、あたしも撮ってもいいよ」

「せっかくだから、空音とケーキのツーショットにしようぜ」

 空音が目をぱちぱちさせたあと、

「おー! おにいにしては冴えてるじゃん!」

 むにゅむにゅ口元を緩ませている空音。

 大仕事をやりきって満ち足りているのだろう、そんな無邪気な空音が心の底から愛おしい。

 空音は大きくなった。

 昔の幼くて何もできなかった空音はもういない。俺の周りをくるくる回って笑顔ではしゃぎ、困ったらすぐに俺の手を引いてきて助けてと言ってくる空音は、年とともに成長を遂げて見る影もなくなった。

 空音は俺からどんどん遠ざかっていく。それを今、目の当たりにしている。

「ねえ、おにい」

 と、空音が澄んだ瞳で俺を見つめる。

「な、なに?」

「おにいはさ、好きな人いないの?」

「なんで」

「だって今、あたしの写真撮ろうとしたし。もし好きな人がいたらさ、妹の写真なんか大切にしてるって知られるのイヤだと思うんだぁ」

 俺は虚を衝かれた。

 真剣な様子の空音が、俺の真ん前まで歩んでくる。

「おにいが、それでいいなら、いいけど」

 空音が両腕をゆっくりと前に伸ばす。そのまま俺の手に触れようという、その寸前で動きをとめた。

 二本の腕をすっと下ろした。何もなかったかのように、空音は真っ直ぐ前を向いていたけれど、

「あたしは高学年になったらね、お菓子作りを覚えたいんだー!」

 空音は上目遣いになって、楽しそうに話し始めた。

「やっぱりケーキもちゃんと作ってみたいし、クッキーとかマフィンとか、オーブンに入れて焼くのもしてみたい! おいしく作って大切な人にたくさん食べてもらいたいの!」

「た、大切な人! 空音にはそんな相手がいるのか……?」

「いるよ!」

 俺の心にひびが走っていく。

 空音は話を続ける。

「お母さんにお父さん、いつもご飯作ってもらってるから今度はあたしがって思うの!」

「家族にってこと?」

「うん! あ、でもおにいは……」

 俺の心の崩れ落ちそうなぴしぴし音が聞こえてきている。

「おにいは、なんというか、アレだから。普通とは違うから」

「泣かせたい相手ってことなんだな」

「そうじゃないけど、その、言葉が出てこなくて、おにいごめんね泣かないでね」

「泣く」

 悲しみの果て、思わずその場に座り込む俺。

 低い位置になった俺の頭を、雑に撫で繰り回す楽しそうな空音。

「……あんたたちは、何をしているの?」

 台所からそっと様子見する母さんが、ドン引きしているように見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る