ヒーローの条件

 電車が大きく右にカーブをし始めた。右の窓から正面はるか先に先頭車両が見える。

 新浦安駅を通過していた。

 このスピードだと終点の東京駅までは十数分で到着するだろう。

 シンヤが今いる車両は後ろから三両目。十両編成の京葉線なので八号車ということになる。

 七号車に入ると、カーブに合わせて斜めに向いた六号車が見える。中に『残業獣』がいた。


「まだいるのかよ」


 シンヤは視界を赤外線スコープに切り替えた。

 六号車に高い熱量の物体が見える。それが『残業獣』だ。床にもいくつか散乱している熱は犠牲者だろうか。

 さらに目を凝らすと、先の五号車にも高い熱を発する物があった。


「まさか『残業獣』が二体」


 二体の『残業獣』を同時に相手をして勝てるのかは分からない。正直言って厳しいと思う。さらに時間も残り少ない。


「やるしかねえ」


 迷っている時間はなかった。シンヤは六号車手前の貫通扉の前に立った。

 五号車の『残業獣』の姿も少し見えた。二体とも『第二形態』で通路に立っている。

 電車が揺れた。線路のカーブが終わりに差し掛かる。『残業獣』はシンヤに気が付いていない。


 ――落ち着け。


 先頭の方から電車が徐々に縦並びに戻っていく。


 ――あと少し、我慢しろ。


 電車がもう一度大きく揺れる。シンヤと二体の『残業獣』が一直線に並んだ。


「今だ!」


 シンヤのボディスーツを金色の炎が包む。『ZSP』の出力を高めていく。

 目の前の貫通扉を開けた。


「『勝利への道ロード・オブ・ビクトリー』!」


 車内の通路を金色の光が奔る。一瞬でシンヤの体が六号車を滑りぬけた。『残業獣』は黒い灰になって飛散した。


「まだだ」


 シンヤの体は止まらずに、五号車も貫いた。四号車の手前で止まる。金色の炎は消えていた。振り返ると、五号車の『残業獣』も黒い灰と化していた。


「やった」


 賭けだった。今のシンヤには『残業マン』の最大の技を使うしかなかった。『残業獣』が二体とも通路に立っていたのも幸いした。『ZSP』はかなり消費してしまったが。

 だが、課長のおじさんとの修行の成果で、変身が解除されるほどの『ZSP』は消費しなくて済んだ。『勝利への道』は相当残業していても二回の発動が限度だと聞いている。

 これでシンヤは『残業獣』を三体倒した。初めての実戦にしては上出来と言わなければならない。二日連続徹夜していてよかったとシンヤはつくづく思った。

 五号車は『残業獣』の被害者が数人倒れていた。二人は体の大部分を食われていて、惨たらしい噛み傷を見せて死んでる。あと二人はまだ少し動いてはいる。

 まだ生きている人にすぐにでも駆け寄って助けてあげたい。だが、医療知識もないシンヤにはどうすることもできない。映画やマンガの中のヒーローのように万能ではないのだ。


「ごめんなさい。電車を止めたら救急車も来ると思いますから。少し待っててください」


 頭を下げてから、先の四号車に入った。

 一番手前の左側のドアの隅の床に膝を寄せて座っている女性がいた。


「紅月さん!」


 シンヤはすぐに分かった。

 サヨは両手で耳を塞いで下を向いていた。


「大丈夫?」


 シンヤはそっとサヨの手に触れた。サヨはさらに隅に身を縮こませる。


「もう大丈夫だよ。化物はおれが倒したから」


 サヨは恐る恐る両手を耳から下ろして、顔をあげる。そしてシンヤを見て目を見開いた。


「あ、いや。おれは怪しい者ではなく。えっと、正義の味方に近い存在です」

「なんか大きな動物のような生き物が……」

「それはおれが退治したから、大丈夫」

「退治……した」

「うん。もう安全」


 不意にサヨがシンヤに抱き着いてきた。豊かな胸の弾力が押しつけられる。推定Fカップの威力だ。


「うわ!」


 思わずシンヤは声をあげてしまった。

 サヨは嗚咽していた。怖い思いに一人で耐えていたのだろう。

 シンヤはサヨの背中をそっと抱きしめた。


「待たせてごめん」


 いたわるようにシンヤはサヨの体を離す。


「もう少しここで待ってて。おれはこの電車を止めて来るから」


 ゆっくりとシンヤは立ち上がった。頬を涙で濡らしたサヨが見上げる。

 職場にいる時よりおめかしをしたサヨはシンヤが想像していた以上に可愛かった。後ろ髪を引かれる思いを抑えつけてサヨに背を向けて一歩を踏み出した。


「あの」


 サヨの声にシンヤは立ち止まる。


「もしかして、夜神くんですか」


 今ここでボディスーツの自分が夜神シンヤだと言えば、この絶体絶命の窮地からサヨを救えば、彼女はシンヤに好意を抱いてくれるかもしれない。


 ――そう、おれは確実にイケている。


 シンヤは頭を振った。


 ――いや、違う。


 『残業マン』を抜きに、シンヤは生身の自分としてサヨと向き合いたいのだ。

 だから――。


「いえ。おれは夜神という者ではありません。『残業マン』です」

「ざ、残業マン。でも、わたしの名前を呼んでいたような」

「き、気のせいですよ。あはは。じ、じゃあ」


 振り向かずに軽く手を上げてから三号車に向かった。

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