ブラックアウト

 シンヤは先頭の一号車に入った。

 車中には誰もいない。つり革が一定のリズムでわずかに揺れるだけ。不気味なくらいの静けさだった。


「運転席に入ってブレーキをかければなんとかなるかな」


『残業獣』は倒した。あとは暴走する電車を止めることができれば、この騒動を治めることができる。

 シンヤは運転席に通じるドアに近づく。

 不意に中からドアが開いた。


「うお!」


 運転手か、逃げ込んだ乗客が出てきたのか。

 だが、シンヤの予想は外れた。

 赤い異形の物体が出てきた。体長二メートルはある姿をシンヤは見上げた。

 屈強な人間の体型をしている。表面には筋肉繊維がむき出しになったような強靭な凹凸がある。

 顔は仮面をつけたような外骨格があり、凶悪な髑髏のような形状。

 背中からは左右に三本ずつ太い触手が伸びて宙を浮遊するように動いている。

 圧倒的な存在感には神々しさすら感じる。


「フウー」


 異形は不気味な呼気を発している。


「まさか。こいつが『第三形態』」


 状況的にシンヤの予想に間違いはなさそうだった。

 課長のおじさんは、『第三形態』と遭遇したら逃げろ、と言っていた。

 すでにシンヤは三体の『残業獣』と戦っている。『ZSP』も減っている。万全の状態とは言い難い。


 ――課長の言うように逃げるべきなのか。


 サヨを連れて逃げることは可能かもしれない。だがはるか後方の九号車にいるヒナタを見捨てるわけにはいかない。

 いや、九号車と十号車には他にも避難した人たちがたくさんいた。あと、他の車輌に倒れていた怪我人や生存者。

 そんな人たちを見捨てていいのか。

 さらに言えば、この電車を放置して逃げ出していいのか。

 暴走したままの電車が終点の東京駅に突っ込んだら、さらなる大惨事を生むのは明らかだ。

 だがシンヤはみんなが考えるスーパーヒーローではない。世のため人のために命をかける義理もない。ただ、サヨとヒナタを助けたい一心でこの電車に乗り込んで来たのだ。

 親しい人だけを助けることができればいい。それで上出来じゃないか。

 絶対的な恐怖の権化とも言うべき『第三形態』の『残業獣』を目の前にしてシンヤの妥協ぎみの決意は固まりつつあった。

 その時、シンヤの目の前には『残業獣』ではなく、幼い小学生のシンヤが立っていた。土に汚れたサッカーのユニフォームを着ている。


「全力でやったのかい」


 幼いシンヤが大人のシンヤに問いかける。


「おれは、おれは……」


 思い切り握りしめた右拳を突き上げた。『残業獣』の顎を打ち抜いていた。


「おれは『残業マン』だ! この電車に乗っている人は全員助けてみせる」


 何度かバク転をして『残業獣』との距離をとる。

 立ち上がると、目の前に『残業獣』が迫っていた。シンヤに付いて来ていて離れていない。


「なっ」


『残業獣』が拳を振り下ろした。

 強烈な衝撃。

 床、天井、床。視界が目まぐるしく変化する。

 体を強烈に打ちつけても勢いが消えずに床を滑った。

 顔の左半分が痺れている。ボディスーツを着ていても、生身で殴られるほどの衝撃。

 明らかにこれまで対峙した『第二形態』よりも強いと分かる。

『残業獣』の背中に生えた触手のうちの二本の先端がシンヤに向く。先端は花の蕾のように膨らんでいた。蕾が口を開くように二つに割れた。

 触手の先端から光線が放たれた。

 シンヤは床から壁に飛んだ。光線が当たった床に穴が開いた。

 光線は連続して飛んで来る。

 壁から天井にシンヤは飛んだ。『残業マン』の握力でわずかな突起を握って天井に張り付く。

 窓ガラスにいくつか穴が開いて割れた。

『残業獣』が天井にいるシンヤを見上げて口を開いた。


「やべえ!」


 口から光の球を射出した。天井を形成する板状の部品がいくつか吹き飛んだ。

 青い空が見える。

 シンヤは間一髪で床に降りていた。


「こいつ『ZSP』を放出することができるのかよ」


『第三形態』は『残業マン』と同じように『ZSP』を自在に操る能力があるようだ。

 シンヤは膝立ちになった。踵に何かが当たる。『武器生成クリエイト・ウェポン』で作った球だった。この球は『ZSP』でシンヤと引かれ合っている。後ろの車両から転がって来たのだ。

 ゆっくりとシンヤは立ち上がった。

『残業獣』は平然とシンヤに目を向けている。圧倒的な強さだ。

 シンヤは両手を振って体の前で交差させた。

 最初の『残業獣』との戦い同様、シンヤは『武器生成』で作った球を電車の外に並走させていたのだ。

 左右の窓を貫通して二つの球が『残業獣』に迫る。

『残業獣』は両手をあげて肩の高さで左右二つの球を受け止めた。手の中で球は回転している。


「こいつが本命!」


 シンヤは屈んで床に落ちている球をすくいあげながら投げた。

『残業獣』は右足を蹴り上げて目の前まで来た球を弾き飛ばす。球は天井を突き破って外に飛んで行った。


「まだまだあ!」


『残業獣』は両手を上げた状態で、右足を立ち位置に下ろそうとしている。つまり両手と片足が塞がっていた。

 シンヤは駆け寄って『ZSP』をのせて金色の炎に包まれた右ストレートを『残業獣』に叩き込む。

 その時――。

『残業獣』の残った左足が跳ね上がるのが見えた。

 シンヤは顎を蹴り飛ばされて、首が思い切り後ろに反り返った。

 そして目の前が真っ暗になった――。

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