夜を駆ける
シンヤは黒く輝くビルの壁面に着地した。
『残業マン』に変身した腕の中にはヒナタがいる。ヒナタもシンヤにしがみついている。
壁面に直立した状態でそのまま走り出した。
いくら『残業マン』と言えども重力には逆らえない。大きく左にカーブを描きながら走る。
次第にシンヤは地面に向かって進む形になった
「きゃー!」
ヒナタが嬉しそうな悲鳴をあげる。飛び切りの絶叫マシンに乗っている気分だろう。
両足が宙に離れる寸前で、壁面を蹴った――。
この二週間、ヒナタが呼び出した日は夜の街を二人で駆け巡っている。
シンヤは残業のあとの二人の時間に酔いしれていた。
――街の灯りに吸い寄せられた夜光虫のようだ。
思い返せば、シンヤは社会人になってから朝に出社して、家に帰るのが深夜。休みの日も昼過ぎまで寝て夕方から活動を始める。昼の世界を知らない時間が長い。
ヒナタも最近まで夜の仕事をしていた。
夜に生きるものたち――。
普通の人からすればシンヤとヒナタは特殊なのだろうか。シンヤはそんな気持ちになる。いや、ヒナタと二人きりで過ごす時間を積み重ねるほどに、自分たち二人は世界から切り離された孤独な存在だという実感が増す。
課長のおじさんとの『残業マン』の修行にも全く行っていない。最初は申し訳ないという気持ちはあったが、ヒナタと一緒にいることで頭の中が麻痺してしまった。
『残業マン』の力でヒナタが笑顔になってくれればいい。それだけでシンヤは十分だった。
散々笑い合って夜の街を駆けたあと、二人はどこかのビルの屋上で一息ついていた。
ヒナタは缶のカフェラテを両手ではさんで持って飲んでいた。シンヤは『残業マン』に変身したまま、ヒナタの様子を眺めていた。
「楽しいね」
「うん」
そろそろ、いやもう遅いくらいかもしれないが、シンヤは二人の関係をはっきりさせた方がいいのではないかと思う。
最初の内こそ、ヒナタと会えるだけでデートだと浮かれていた。だが、本当にそうだろうか。
ヒナタはシンヤのことをどう思っているだろう。
つまりは告白をして正式に恋人の関係になるべきではないか。このまま時間が過ぎると友達のまま先には進めないパターンに陥りそうだ。
「……桜花さん」
ヒナタがシンヤに笑顔を向けた。
「あ、いや。次はどこに行く」
「そうねー」
ヒナタが首をゆっくり動かして街の景色を見つめている。
――なにを躊躇しているんだ、シンヤ。勇気を出せ!
シンヤはヒナタに近づいて、重さを感じない体を抱き上げた。
「きゃ!」
ヒナタが小さく声をあげる。その声は嬉しそうだった。
――おれはこんなにも自然に桜花さんの体に触れることができるんだ。
少し考え込んでいたのか、気づけばヒナタがシンヤをじっと見つめていた。
「夜神さん……」
二人が見つめ合ったまま数秒間が過ぎた。
ヒナタのわずかに潤んだ瞳に夜の灯りが反射していた。
シンヤの思いが伝わったのか。
――これは行ける!
シンヤは変身を解除しようとした。
「そのままでいて」
「え」
「わたし――」
シンヤの動きが止まった。
「『残業マン』が好きなの」
ヒナタが『残業マン』のシンヤに唇を重ねてきた。
ボディスーツを通してエスプレッソの心地よい香りの中にわずかな苦味を感じた。
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