第45話 暗闇



「……黒木先輩。珈琲、飲みますか?」


 スクールバックから、ペットボトル型の缶珈琲を二本取り出す。それは先程、駅へ向かう途中にあったコンビニで買ったものだ。買った時は熱々だったが、タオルで包んでいたので今でも十分に温かい。


「今日は少し肌寒いです。あったまりますよ?」


 ユウが缶珈琲を差し出すと、少し驚いた顔をした彼女がそれを受け取った。


「珈琲は淹れ立てが一番美味しいですけど、その缶珈琲だけは俺好きなんですよね。ブラックですけど良かったらどうぞ」


 すると彼女は小さな声で、「……ありがとうございます」と呟いた。


「何で私が、珈琲好きなの知っているんですか?」


「昨日、家にお邪魔した時に先輩だけ珈琲だったから好きなのかなって思っただけです。珈琲好きなら良かったです」


 青葉は蓋をゆっくり回し、少し香りを楽しんでから一口、口に含んだ。


「好きです。缶珈琲なら、この銘柄が一番好き」


「そうですか、良かったです」


 彼女はもう一口、珈琲を口に含むと、大きく息をついた。それを見届て、ユウもカシュッと蓋を開けた。口に近付ければ、直ぐに魅惑的な香りが鼻をかすめる。


一口含めばそれは身体全体に広がり、冷えていた心を温めてくれた。……思わず、息が漏れる。



「……怖く、ないんですか?」


「何がですか?」


「私のこと。姉さんから聞いているでしょう?」


「……怖い、ですよ。でも人って未知のことに出会った時には恐怖を感じるもんなんです。でも相手を知ることで、それは恐怖では無くなると俺は思います。だってほら、今も……」


 ユウは少しだけ勇気を出して、その恐怖にくすっと笑顔をみせてやった。


「少なくとも、お互いに珈琲が好きなのは知ったでしょう?」


 彼女は真顔で、そんなユウを見つめている。暫く見つめ合っていた二人だったが、先に目を逸らしたのは彼女だ。そして彼女は、意味深な溜息を一つ残す……


 「味の好みは、今も変わらないんですね」


 そして唐突に、彼女から出てきた言葉。その言葉の意味を理解出来ずに、ユウは動揺した。


「え? 今もって…? 先輩、記憶を無くす前の俺のこと、知ってたんですか?」


「……覚えていないなら、いいんです。どちらにせよ、今のあなたには関係のない話しですから」


そう言って彼女はもう一度、珈琲を口へと運んだ。



やっぱりこの人、前の俺のこと知ってる?


でも今の俺に関係がないって、どういうことだ?



「……今の話は忘れて下さい。私も、二度と話しません」


 しかし困惑しているユウを他所に、彼女はその話しを終わらせてしまう。


「それに…… どうせあなたは、直ぐに逃げ出しますよ。私のことを知ってゆくうち、みんな逃げ出すんです。だってお父様と姉さん、いずみちゃん以外は皆そうだったんですから……」


 そして彼女は、どこか寂し気な眼差しを窓硝子に映る自分自身へと向けた。



 ……もうこれ以上、彼女は先程の質問に答えることは無い。そう理解したユウは、こう返した。


「そうかもしれません。でもそれは、その時の俺が考えます」




 そうか、この人は……


 今まで沢山、否定されてきたんだ。


 自分の視えている世界を理解されず、あまりに傷つきすぎて他人を理解するのを止めたんだ。だから本当に身近な人達以外は拒絶して、ずっと暗闇の中で自分にしか視えない”何か”と向き合っていたんだ。


 きっとそれは、ユウには想像も出来ない世界なのだろう。


 その時だった。窓の外の暗闇が開け、突然に外の光が目に飛び込んできた。電車が地下を抜けたのだ。


 雨の日とはいえ、地下の暗闇に慣れていた目が少し眩む。それは彼女も同じだった様で、眩しそうに目を細めている。


「……ねえ先輩」


「何ですか?」


「雨の日でも、空は眩しいですね」


 沈黙の後、彼女はそうですね…、と呟いた。


 ユウはこの目の前の少女が暗闇から出た時に、どんな表情を浮かべるのかを想像していた。きっと彼女は今みたいに、眩しそうな顔をするに違いない。


 そしてユウは、そんな彼女を見てみたいと思った。

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