第44話 本能
私鉄のホームで一人、電車の到着を待つ。電車が到着するまでのあと少しの時間、頭に浮かぶのは先程の紅葉の笑顔。
……全く、あの人は何を考えているんだ?
メールアドレスのこといい、完全に彼女にからかわれているな、俺。
そんなことを考えながら、ユウは電車を待っていた。
これから乗る私鉄は地下を走っていて、途中から地上へと上がっていく。今、ユウが立っている駅はまだ地下を走っているエリアの中にあり、紅葉からの連絡によれば水崎と青葉を乗せた電車があと5分ほどでこの駅に到着するそうだ。ユウと青葉は、その電車内で合流する予定になっていた。
そうだ、今のうちに金森に連絡しておくか……
約束を思い出したユウは、金森いずみにSNSを送ることにした。
『ゴメン!部の用事で、急に外出することになった。今日は先に帰ってくれ』
すると直ぐに、彼女からの返信が入る。
『了!まだ怪我が完治してないんだから、くれぐれも無理は駄目だよ!』
しかしその文章とは裏腹に、怒こっているキャラクターまで一緒に送られてきて、また思わず笑ってしまった。
『了解だ。そっちこそ雨が結構降ってるから、帰り道は気を付けるんだぞ』
すると今度は、嬉しそうに”ありがとうございます”と言っているキャラクターに添えて、『そっちこそ、気を付けて。また後で連絡するね……』の言葉。
彼女の気遣いに感謝しつつ、ユウはスマホの画面を閉じた。
大きくポッカリと開いた穴の向こうから風が吹いてきた。その穴の先は、只々…まっ暗な闇。風に混じって、地下鉄特融の匂いが強くなった。マシン油と排気ガスが混じった、この独特な匂い。
嫌いな人もいるだろうが、ユウはこの匂いが好きだった。何故かは分からないが、この匂いを嗅ぐと新聞紙のインクの匂いを思い出す。久しぶりに嗅いだこの匂いは、ユウを少しだけ幸せな気分にさせた。
今度は暗闇の向こうから、金属と金属の擦れ合う音が聞こえてきた。そしてその音は段々と大きくなっていく。…直に、電車がこの駅に入ってくる。
ユウは近くの柱の陰に隠れて、電車が到着するのを待った。紅葉からの連絡によれば、水崎は2号車、青葉は3号車に乗車しているそうだ。
先程の部室での紅葉との会話を思い出し、ユウの緊張感は膨れ上がっていった。自分に何が出来るか分からないが、取り返しの付かない事態だけは防ぎたかった。
そのまま1分ほど待っていると、大きな音と共に電車が駅に入ってきた。キーというブレーキ音と共に、電車が減速していく。そして停止したのと同時にドアの開く音。ユウは柱の陰から、スッと車両に向かって歩き出した。
男性駅員の電車到着を告げるアナウンスを聞きながら、ユウは自分の乗る車両が間違いなく3号車である事を確認しながら、開いたままの扉に向かった。どうやらその扉からこの駅に降車する人はいないらく、そのまま乗り込む。
帰宅ラッシュには、まだ少し早い時間帯だ。車内は、あまり混み合ってはいない。左右を見回すと、2号車と3号車を繋ぐ扉の近くに青葉らしき姿を見つけて、近付いていく。
「……黒木先輩、どんな様子ですか?」
向かいの席に座りながら、ユウは青葉に声を掛けた。彼女はチラリとユウを見てから、その質問に応えた。
「駅で二人の人と合流して、今は三人で行動してます。多分、一緒に儀式を行った二人だと思います。先程、姉さんから貰ったお守りを渡していましたから…」
そっと隣の車両を確認すると、なるほど三人でなにやら楽しげに話し込んでいる。それぞれ別の高校の制服を着ているが、その内の一人は左手を肩から吊るしていて怪我をしている様子だ。きっと彼女が骨折をしたという友人なのだろう。
「あの二人から、何か感じますか?」
青葉に向き直り、気になっていた事を聞いてみた。その質問に彼女は、首を横にふりながら、何も感じないですと応えた。
確かにユウも、あの二人からは何も禍々しいものは感じなかった。もっとも自分に、そんなことを感じる能力があるのかも分からないのだが。
……だとするとやはり、悪霊が憑りついているとすれば火東華衣なのか。
「先輩はどう思います?今回の件、悪霊が関わっていると思いますか?」
ユウは、素直に聞いてみることにした。色々考えていても仕方がないのだ。何せ自分は間違いなくこの手のことには素人で、目の前にいる彼女は玄人なのだろうから。
「……さあ? 興味ないです」
「え?」
「あの人達に何か憑りついていようがいまいが、関係ないですよ?だって知らない人達ですから。私は視えたり感じた事を、そのまま姉さんに報告するだけです」
無表情のまま、彼女はそう言った。そしてユウはその言葉を受けて、口を噤むしかなかった。確かに彼女の言ったことは、その通りだからだ。
ユウは、推し量りかねている。今、目の前に座っているこの美し過ぎる人は、その言葉通りの冷たい感情の無い人なのだろうか?
……いや違う。この人は、それだけの人じゃない筈だ。
それじゃなければ金森や紅葉にだけ見せる、あの顔の彼女は一体誰なんだ?
ユウが押し黙っていると、驚いたことに彼女が話し始めた。
「でも、もしソイツが私達に何かしてきたら……」
しかしそこまで話して彼女は、口を閉ざしてしまう。
「してきたら…… 先輩は、どうするんですか?」
頸の辺りにピリピリとした何かを感じながら、ユウは彼女に続きを促していた。
「消えて、もらいます」
そしてピリピリと感じていた何かは、彼女のその言葉を聞いた瞬間にぞわりとした悪寒に変わった。一瞬で全身の毛穴が、恐ろしさに粟立つ。
……やはり、やはりだ。
この女は、何か得体の知れない存在だ。
この女には、これ以上は絶対に関わるんじゃない。
ユウの思いとは別に、本能が彼女に関わってはいけないと告げている。
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